第39話 王の散歩
回廊を抜けた先は大きな広間になっていた。広間は入り口から奥に向かって縦長に伸びていて、長テーブルが一つ、その長辺に沿って並べられている。アーチ窓が三方に連続して並べられていて光を取り入れていると共に、窓枠の隅に寄せられたカーテンの間からは緑豊かな庭園を覗くことが出来た。
長テーブルに座っている人間は四人。全員男性だ。
一人は見覚えがあった。低い背丈と長い髭。セビトリアでエーザーに仕えていた者だった。男達は俺達を一瞥すると、怪訝そうな表情で軽くお辞儀をした。エーザーが彼らに何と言っているのかは知らないが、居た堪れない空気だった。
ヴェローナと二人して向かい合わせに座らされる。横座に座ったエーザーのすぐ隣が俺とヴェローナ。その奥に家臣であろう男達が座っている。
給仕がグラスに白ワインを注ぐと、エーザーは軽く食事前の挨拶をする。内容としては俺達二人の紹介と昼食会に出席している男達の紹介、そして俺達の旅の成功を祈るものだった。
前菜は鮭のカルパッチョ。丸い皿の中心に向かって山を作る様にして盛り付けられている。初めて食べたが、滑らかな舌触りのサーモンがさっぱりとしたレモンで風味付けされていて中々に美味だった。
「君はこういうのは初めてかい」
エーザーがヴェローナに声を掛ける。ヴェローナは少しの間気づかず、慌てて彼の方を向き直る。
「あっ、えと、昼食会のことですか?」
「そうです。そう緊張せずに。この場を楽しんでほしい」
「その……はい。楽しみます」
ヴェローナが笑顔で返すと、エーザーは照れくさそうに食事に向き直る。
サラダが出てくる。皿一杯に詰め込まれたレタスと、添えられたプチトマトと胡瓜。
沈黙が続く。食器のカタカタという音だけが聞こえてくる。
俺の隣に座っていった長髭の男がフォークを置いた。彼は名をヴィッテルと言い、宰相を務めている人物だった。
彼は、小さく咳をする。体調が芳しくないようだ。覇気のない目。目尻に寄った皺からも疲労がうかがえる。
思えば、他の家臣もそうだった。皆やつれて、少々の食事であるはずなのに食器はカタカタと音をたてるだけ。まるで生きる屍のようだ。
「では君たちの出会いは運命であると?」
「いえ、その。私がそう思っているだけなんです。イゼットは……」
話が振られたことに気づき、振り向く。
「……運命じゃないさ」
「こう言うんです」
ヴェローナが困ったような顔で言う。
「その心は」
エーザーが右肘をつき、聞いてくる。俺はしばし思案する。
「根拠とかじゃない。自分の道筋が予め決められているなんて、まっぴらごめんですよ」
「だが、君の人生はどうだイゼット。君が旅を始めなければ、カラカトの、その宿に泊まらなければ彼女と出会うことはなかったのだろう」
「まあ、そうだ」
「ここにこうしていることを、運命と定義付けてもなんら不思議ではないと思うが」
議論は苦手だ。俺は首を縦に振る。
食後、エーザーと共に庭園を散歩することになった。庭園の中でも特にエーザーが気に入っている場所に案内してくれるらしい。もちろん、ヴェローナも一緒だ。
広大な面積を持つ庭園は徒歩で歩くには時間がかかりすぎるとのことで、馬車を使うことになる。裏の戸口前に控えていた御者に挨拶をして、俺達はワゴンに乗り込んだ。
馬は石畳を駆けていく。メタセコイアの青々とした葉が左右の視界を遮り、ただ一点に続く舗装道を鮮明に見せている。ゆらゆらと揺れる葉の影、深みを増してきた緑が
太陽の光を少しだけ柔らかくしてその道を照らしていた。
しばらく走ると、馬車は右手に針路をとる。すると整然としたメタセコイアの姿は消え失せ、雑木が繁茂する林が眼前に現れる。道は先ほどまでと同じく舗装されているものの、田舎町の一角に出てきてしまったかのような錯覚を覚えた。
暫くして、馬車を降りる。林の一角に、小さな金属製のアーチ門が掛けられている。
まるで秘密基地の入り口のような、そんなこじんまりとした佇まいだった。
門をくぐる。蔓が巻き付いたアーチは数十歩先まで伸びており、陽光のあたる出口へと俺達を誘った。
外に出る。大きな池が見えた。合鴨が水面を泳ぎ、波紋が同心円状に響いている。
揺らぐ水面には黒い影が映っている。
顔を上げると、二棟の建物が見えた。茅葺屋根と、それに漆喰で塗り固められた壁面。柔和で素朴な、田舎の家屋がそこにはあった。
もしかしたらとっくの昔に庭園は通り過ぎていたのではないのか、本当に街はずれの田舎町に連れ出されたのではないか。そんな疑念すら湧いてくる、王宮の庭園とは思えない景色だ。
驚く俺の姿を見てエーザーは満足したのか、少々にやついた表情で手招きをする。
「ここは先の王妃、つまり私の伯母が造営したものでね。子供たちにも自由な田舎暮らしをしてほしいとのことだったそうだ」
彼が家屋の玄関ドアをノックすると、若い女性が出てきた。俺達のような華美な服装ではなく、質素な麻のチュニックとスカートを着ていた。
「屋敷は全部で七つある。その全てが、いや、六つだな。住民がいて屋敷と、その周辺の畑と庭を管理している。勿論、屋敷の住民は全て本当の農民だ」
玄関から中に入ると大きな居間に出る。部屋の中央には大木をそのまま切り出してきたかのような広いテーブルが、滑らかな光沢を帯びながら鎮座している。部屋の隅に置かれた小さな暖炉は少しくすんでいて、初夏の終わりを告げる暑さとは対照的な冷たさを感じさせる。居間の奥にある開け放たれた扉からは、太陽光が差し込んでいた。扉の間からはベランダの柵と、柔らかな水面と、家屋が二つ見える。
「紅茶にしましょう」
屋敷の女性が手を叩いて俺達をベランダに連れ出す。そこには小さな鉄製の丸テーブルが一つあり、俺達はしばしそこで紅茶を楽しむことになった。
女主人の名前はネヴラと言った。彼女は俺より一つ年上、つまりこの中では年長者だった。エーザーとは親しいらしく、俺と同様に敬語を使うことはない。明るくはきはきとしていて、元気のいい人だった。彼女は俺達の出身、年齢、趣味なんかを聞き出して、上手く会話を繋げてくれる。恐らく飲みの席で一人いれば良い空気を作ってくれるだろう。
しばらく出身地の話で盛り上がっていると、エーザーが旅の話が聞きたいと口を挟む。ネヴラが面白そうに身を乗り出したので、俺は別になんてことはないと前置きしたうえで話し始める。
つらつらとシャグモからの道のりを辿っていく。エーザーはじっとしたまま聞き、ネヴラは時々質問を挟んでくる。何というか気分がよかった。まるで自分だけの宝物を見せびらかす子供のように、高揚しているのがわかった。
カブライアまで話終えた時、エーザーが手を叩く。ネヴラがつられて手を叩くと、ヴェローナは小さく手を合わせた。
「あまり一気に話す必要もないだろう。明日はどうだ?」
「その、明日ですか?」
「そうだ」
エーザーは立ちあがり、湖を挟んで建つ一軒の屋敷を指さす。
「あそこは私の屋敷だ。あそこで十分休んでほしい」
彼はこの庭園に泊れと言っているのだろう。別にその申し出自体は嬉しいのだが、今日は昨日からの宿に連泊する予定だ。そのことを伝えると、エーザーは顎に手を置いて答える。
「どこの宿だ」
俺が宿の名前を告げると、彼はポケットから取り出した手帳にさらさらとペンを走らせる。
「使いの者に宿のキャンセルと、料金の支払いを頼んでおくよ」
「……厚意はありがたいが」
「では受け取ってくれ。早速屋敷を案内しよう」
ネヴラと別れて、池の対岸にある空き家へと向かう。間取りはネヴラの家とほぼ同じだ。一階には広い居間とベランダ、食糧庫と小さなキッチン。玄関からみてすぐ左方の階段を昇れば、寝室が二つある。近くの農民が交代で掃除をしているらしく、何処も清潔に保たれていた。
「食事は食糧庫から自由に調理していい。晩餐会は勘弁したいだろう」
「まあな」
知らぬ間に玄関前に横付けされていた馬車にエーザーは乗り込む。ヴェローナと共に玄関前で手を振ると、彼は手を振り返し、そして口を開く。
「ヴェローナ」
「は、はい」
「二人で会えたりしないかな」
「えと、その……」
「いや、いいんだ。では」
エーザーは苦笑して、御者に合図を出す。カタカタと回り始める車輪。俺達が来た道とは反対方向へと進んでいく。恐らく、この庭園への入り口は幾つもあるのだろう。
馬車が見えなくなった後も、二人して暫く玄関に佇んでいた。俺は壁にもたれ掛かり、ヴェローナはスカートの前に手を置いてすっと立っている。
「イゼットさん」
「ん?」
「ご飯、作れますか?」
カスタロフカ島放浪記 キツノ @giradoga
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