第38話 五つの時代
翌日の昼前にイドリツァ城に赴くことにした。
城は大浴場から北方へ行き右手に曲がったところにある。城の前には開けた通りがあるが、人通りは少ない。市街地の中心から少し離れたところにあり、幹線道路が通っているわけでもないので商人や旅人もあまり近寄らないのだろう。
俺は道路の脇にあるイチョウの木によりかかる。ヴェローナは近くのベンチに座る。
前方には石造りの城壁が掘に沿って岸壁のように続いている。塔が三つこちらに突き出す形となっており、その上には兵士が配置されていた。
掘の上には長い石橋が渡されている。その先にあるアーチ門を抜ければイドリツァ城となる。
エーザー・セレンはいまや一国の王だ。反乱によって前王とその子息が殺され前王の弟であるミハイルも病気で死んだあと、彼に王位継承権が回ってきた。
内戦が終結し彼はイドリツァ城に戻ってきている。俺の首に掛けられたペンダントを見せれば、と彼は言っていたがいざ兵士を目前にすると少し臆してしまう。
ただ冗談で渡したものなのかもしれない。それでなければただ馬車の乗車賃を肩代わりしただけの、それも格下の身分の人間を呼んだりするだろうか。リップサービスの一環を真面目に受け取ってしまっていたら俺は……。
首を振る。別にそうだったら謝罪して帰ればいいのだ。平常心で、さも当然のように招待状を差し出せばいい。
「行こうか」
「あ、はい」
ヴェローナと共に、石橋も前へ行く。革鎧で武装した男に声を掛け、招待状を見せ、名前を言う。兵士は親切だった。招待状を後方で待機している者に渡し、筆跡の鑑定と宮廷への連絡をお願いしてくれる。
暫く近くのベンチで待っていると、先ほどの兵士が近寄って、入城が許可されたと言う。彼は申し訳なさそうに頭を掻いて笑う。
「こういうの、大抵は嘘なんだがな」
後方にいた兵士二人に付き添われて城門をくぐる。広く、縦長の中庭が続いている。芝生と、その間を抜ける石畳だけの簡素なものだ。
中庭の右方には古めかしい礼拝堂がある。鍾乳洞に生えた石筍のように、細長い尖塔が幾つも伸びており、小さいながらも物々しく、荘厳な雰囲気がある。
中庭の向こうには、これまた年季を感じる建物がある。大きな砦が一つとそれに付属して小さな塔が四つ。石積みで建てられた簡素なものだ。
恐らく、礼拝堂はキティラ王国の時代、砦はコルフィーニオ帝国時代のものだろう。
中庭を抜け、砦を横切ると、二階建ての華美な建物が見えてくる。
コの字にこちらへ口を開いたそれはおびただしい装飾が施されていて、それでいてそのごつごつとした凹凸は鏡に映したように対照的である。飛び交う鷲、咲き誇る花々、そして武器を持った男達。何のモチーフかはよくわからない。
正面玄関前にはアブデュルガディル・ホラーサーンの廟で見た、エンタシスの柱が並べられている。玄関は柱で三つに区切られていてガラスのドアで閉じられていた。
ガラス戸を兵士が引いて中に入る。するとまた、今度は一つだけガラス戸が正面にあり、そこから中に入る。
玄関ホールからは道が三つに分岐している。左右へ抜ける道、奥の階段へ向かう道。赤い絨毯で埋め尽くされた道を奥へと進む。
階段は左右に大理石の壁を伴って、視線を上へと向かわせる。少し曲線がかったまっさらな白い天井に金色の意匠が散りばめられている。蔓だろうか。それは一点から隅をなぞって広がり、所々で花を咲かせている。蔓をたどって視線を下になぞると、馬蹄形に切り取られたアーチの向こうにシャンデリアが吊るされているのが見える。金色の、重々しいそれは蝋燭を灯していないと言うのに自ら光を発しているかのようで……、階段の先にいる人物を照らしているように見える。
「会いたかったよ」
エーザーは優男のような笑顔を浮かべた。
そのままの服装では目立つと言うことで、控室で着替えることになった。ブリーチズという少しきつめのズボンを穿き、シャツ、コートを着て、さらにその上から紺色のウエストコートを羽織る。色糸でそこら中に刺繍がされていて少々華美だ。
何度か、鏡の前で自分の立ち姿を確認する。俺は正直言うと、こういった正装が好きではない。いつも着ている服に比べれば可動域が狭く感じるし、生地が肌に合わないのか身体がちくちくと痒くなってしまう。
着替え終わりホールに出て、ヴェローナの着替えを待つ。エーザーは従者を一人脇に置いて壁にもたれ掛かり、じっと目を瞑っている。
ヴェローナが出てくる。彼女は緑青色の衣装に身を包んでいた。細く形どられた上半身に比べ、下半身に不釣り合いなふくらみを持ったローブ。そこに散りばめられた装飾が絹特有の光沢をもって映し出されている。フリルが上衿の辺りから一直線に伸び、前スカートの裾まで落ちている。前スカートにはつないだ花飾りのようにフリルが円を描いている。胸には可愛らしいリボンがあしらわれた胸当てがつけられている。腹部に添えられた両手は袖に付けられたレースで薄く隠されていた。
「手を貸そう」
エーザーはふらふらと歩くヴェローナの右手を取る。
「いえ、私歩けます」
「いいんだ。遠慮しないで」
「……はい」
彼女の手をつかんだまま、エーザーは歩き出す。赤いウエストコートが彼の金髪によく似あっている。
廊下を左手に曲がり更に右方に曲がる。赤い絨毯の道は途切れ、開けた回廊が姿を現す。天窓から降り注ぐ光が丁寧に磨かれた床を照らしている。
不思議な空間だった。壁面と、天井のアーチ部は鮮やかな色彩の絵画で埋め尽くされていて、その中では引き締まった肉体の男達や、少々ふくよかな女性たちが大げさな表情や動きを持って躍動している。
「これらは先々代の王の時代のもので、コルフィーニオ帝国の神話を描いている。回廊を進むほど描かれている神話の時代も下っていくんだ」
エーザーは丁寧に絵画たちを紹介する。神話は大きく五つの時代に分かれるという。
まず神々の誕生から繁栄。『創造主』が二人の神を作り、二人が交わることでまた別の神々が生まれた。神々は増えていったが自分達の力を過信したことで『創造主』と怒りに触れ、彼らは交わろうとも次の世代を生み出すことが出来なくなった。そこで神々は自分達に似せた人間を作り出し、彼らに子供を作らせることにした。
ここから黄金時代が始まる。人の神々は共存し、争いの無い平和な時代が続いた。この時代を描いた絵画はどれも春の陽気を感じさせる、幻想郷のような雰囲気を漂わせている。
白銀の時代。神々と違い人間は特別な力を持たなかったため、次第に神々を疎むようになった。度々諍いが起きたため、神々は人間のもとを離れて彼らを見守ることにした。
青銅の時代。人間同士で諍いが起こるようになる。彼らは縄張りを作り、それが村になり都市になり、そして国になる。神々は自分を崇める国を支援し、人間の戦いに介入した。
鉄の時代。ここまでくると現代に近い。描かれているのは戦いばかりだ。鎖帷子を着た男たちが画面を埋め尽くしていて、血みどろの争いを繰り広げている。胸を槍で突かれ落馬する騎士。折り重なった死体。荒れ果てた戦場。
「私はこの時代の絵が一番好きだ」
絵画の説明を終えたエーザーが呟く。俺は彼の隣に立ち、後ろに手を組んだ。
「戦争が好きなのか?」
「どうだろうな。……確かにそうなのかもしれない。戦と聞くと心沸き立つものがある。男なら誰しもがそうだろう?戦って相手を打ち負かす。それに勝る快感は無いのだと……」
エーザーはちらりと絵画から視線を外す。その目線の先にはヴェローナがいた。彼女は回廊の突き当りにあたる壁面に描かれた、巨大な絵画をじっと見つめていた。
「彼女は美しい」
「え?」
「君に会えたことも嬉しいが、何よりも私は彼女に会いたかった」
エーザーは俺の肩を叩き、ゆっくりとヴェローナに近づく。
ヴェローナはエーザーに気づくと軽く会釈をした。
「お気に召しましたか」
「いえ、その、この絵は?」
中央に描かれた黒い閃光。その周りでは人々や神々たちが慌て恐れおののいている。世界は暗い雲に覆われ、木々は枯れ、建物は廃墟と化している。
「世界の終焉。『創造主』が堕落した人間と神々を掃滅させるのです」
「それで、その先は?」
エーザーはヴェローナを見下ろし、ほほ笑む。
「これで物語は終わりですよ」
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