桜前線について

中且中

第1話

「桜前線は三月下旬には関東地方を通過する見込みです。事前の準備を行い、危険のないようにしてください」

 朝のニュースでアナウンサーが言った。朝食を食べていた妹が「学校休みになるかな」と呟く。桜前線が通過する期間は、通例、学校は休校になる。電車も運行停止になるので、たいていの職場も休みになる。休みにならないのは、警察とかそのようなどうしても休むわけにいかない職業だけだ。

 桜前線が通過すると、その日の天気は桜吹雪になる。空から桜の花びらが次から次へと降ってきて、街は一面桜色に染まる。桜吹雪はだいたい三日ほど続く。だから、休みの期間も三日だ。降り始めは、ちらちらと空から花びらが降ってくるだけだが、それは次第に吹雪になって、視界は不明瞭になり、とうてい外出などできないようになる。花弁は側溝などに詰まってしまうから、桜前線通過後も、何日かは後始末に追われることになる。

 リビングの窓から空を眺める。空は薄い青色で、春の空だった。桜前線が訪れると、空は桜色に染まる。空は桜色の雲に覆われるのだ。この桜色の雲を桜雲と言う。桜雲は南で発生し、日本列島に沿って北上、各地に桜吹雪を降らすのである。

「大手スーパーなどは桜前線通過中の休業を決めています。食料品の貯蓄は、早めに行いましょう。またJRと私鉄各線も桜前線通過中の運休を発表しました。航空各社も同様です。また、NEXCO東日本によりますと、首都高速道路などの高速道を前線通過中は通行禁止にするとのことです」

 アナウンサーが言う。どうやら今年の桜前線はかなり勢力の強いもののようだった。先に到来した沖縄や九州などでは花びらが十メートルほど積もったらしい。家屋が倒壊してかなりの被害が出たようだ。関西や瀬戸内はちょうどいまごろ通過しているが、桜吹雪により電波状況が悪いので、被害の規模がまだわかっていない。だが、かなりの被害が出ているだろう。

 桜吹雪で積もった桜の花びらは、雪と同様に気温が上がれば融けてしまう。だが桜吹雪の花びらが融ける気温は三十度くらいなので、自然に融けるのを待つと夏までかかる。だから人力で処理する必要があるのだ。

 私は家の前の花びらの掃除をしなければいけないことを思って憂鬱な気分になった。小学生の頃、桜前線が来る時期は毎年わくわくしていたが、今では億劫さが勝ってしまった。

「桜前線ってさ、どこから来るんだっけ」

 と妹が訊いてくるので、

「南からだよ」と答えた。妹がむすっとして睨んできた。

「そんなの知ってるよ。南のどこからかってこと」

「大陸の山間部ってことはわかってるらしいけど」

「なんで、そこから桜雲が発生するんだろ。普通の低気圧は海の上でしょ。桜の海があるのかな」

「さあ。中国と日本の研究者が調べているけど、全然理由がわからないらしいよ。いろんな仮説はあるけど。探検家が何人も挑んでるけど、全員帰ってこないし。何があるんだろね」

 そう答える。私は妹の言う桜の海という言葉がなんだか気に入ってしまった。いい発想だと思った。本当に桜の海があれば面白いな、とも思う。山間部に突如として現れる桜の海。想像の中のそれは酷く綺麗だった。ふと私は、小学生の頃、桜前線が来るたびに、そんなふうな空想を連ねてきていたことを思いだした。私はそのころ、桜雲が発生するのは、巨大な天を衝く桜の樹があるからだと思っていた。そんな桜の樹があることを想像して、楽しんでいたのだ。

「なにがあるんだろ」

 と妹がぼやいた。ふと、私は桜前線がどうやって発生したのかという会話は、この時期、日本のいたるところで交わされているのだろうと思って、愉快な気分になった。私は桜の海と、幼い頃に考えた巨大な桜の樹の姿を、頭の中に思い描いた。それはとても綺麗な光景だった。

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