冬至

 カレアンは島の中央に山がある。

 はるか昔には海底にあってこれが噴火し、隆起してできた島で、今は活動を停止している。

 火口に溜まった水がこの島の主な淡水源である。

 この水が山を染み渡って、溢れ出てきた先に、街ができている。

 人々はこの水に生かされていた。

 山の中腹に台地があり、そこに湧水でできた小さな湖がある。

 原住民が大切に守ってきた水源地であるが、現在は一個人の所有物となっていた。

 その付近に木造の大きな屋敷がある。

 主人の名はカシアス・ベイヤーと言った。

 ゴウト朝最末期の六男イクナスの孫にあたる男で、二つの造船所とカレアン・エルムン銀行の実質的な所有者である。

 湖の脇道を、黒い馬車が進んでいた。

 御者は屋敷の前で停まると、扉を開けてステップを掛けた。

 毛皮を羽織った女が一人、現れた。

 女は玄関の前に立つ男に案内されて、屋敷の中へ入った。

 通されたのは一階の応接間だった。

 女は主人が来るまで入口の傍に立って待った。

 暫くして扉が開き、初老の男が現れた。

 女は出迎えて、男が椅子に腰を下ろすと、男の右前の椅子に座った。

「父は息災か?」

 女はやや恐縮して答えた。

「お陰様で先日までは体調が良く、外を散策していたようですが、昨日からまた…」

「そうか。息子はどうしておる?」

「変わらず絵を描いております」

 男はため息を吐いた。

「人は得難いな。自分の子ですらあれだ。育て方を間違えたようだ」

 女は答えに詰まってしまった。

「リエナよ。お前はしっかりしておる。頼りにしておるぞ」

「ありがとうございます」

 リエナは頭を下げた。

「サナエはどうであった?」

「準備を進めているようです。胡椒の販売権を渡すよう約束させました。傭兵ギルドの手配についても、ご指示の通りです」

「よろしい」

「しかし何故ロンバルドはあのように性急に動き出したのでしょう」

 リエナはサナエから妙な焦りのようなものを感じたと伝えた。

 それを聞いて男は陰湿に笑った。

「鉱脈が枯れてきておるのだ」

「鉱山のでしょうか」

 男は頷いた。

「年を追うごとに減っている。奴らに新たな商売を見つける才はない。人のものを奪う以外知らんし、できんのだ。サナエに奔走させておるが、あれの兄の動きは筒抜けだからな。サルマンもロンバルドも、落ちるのは時間の問題だ」

 男はテーブルに置かれた茶を啜った。

「穀物倉庫の在庫を古いものから売れ。値が落ちたらいつもの倍は買っておけ。来年以降また値を上げる」

「承知しました」

「サルマンはどうか?」

「しくじったようです」

 リエナは目を伏せてそう報告した。

 男の目がリエナを見据えていた。

「王の印を見つけられず、ひと月前に死んだと連絡を頂きました」

「あやつは何をしておる」

「ひと月前にオセル王死亡のご連絡以降音信が途絶えております」

「我々と学院の関係を示す証拠が残っていてはいかん。あの馬鹿者を探せ!」

「承知致しました」

 リエナは跪いて失態の許しを乞い、男が部屋を出ると、屋敷を後にした。

 帰りの馬車の中、リエナは声に出すのを堪えながら笑った。

 芸術家を気取る愚かな男に嫁いだ日から、この家を乗っ取るのが彼女の野望だった。

 あの血筋だけの脳なしに毎夜身体に触れられるのが苦痛で仕方なかったのだ。

 いつか全員消してやろう。

 それまでは、我が子のために堪えるのだ。

 それが彼女の支えだった。

 リエナはエルムンの長女として生まれた。

 ちょうどベイヤーに嫁いだ頃に父が病に倒れた。

 心臓の病だと言う。

 それ以来彼女は家業の銀行と、金融ギルドの運営、そしてベイヤーの事業を一手に引き受けた。

 ベイヤーの事業は、彼女にとって都合が良かった。

 何しろその全貌を見ることができたし、邪魔なものを蹴落とす機会も得られたからである。

 義弟は少々頭が足らないが、夫ほど愚かではなく、彼女にとっては邪魔な存在だった。

 自分の子の敵になるかもしれないのだ。

 だから、サルマン王室乗っ取りの実務は彼に譲ったのだ。

 できないと予想していたからだ。

 予想通り三年経っても太子を排除することができず、王は死んだ。

 しかも隠蔽したのだ。

 学院も愚か者の巣窟である。

 あとは、決定的な証拠を、敵陣営に渡すだけで良い。

 それも用意していた。

 義理の弟エドムを渡すのだ。

 彼を拉致して監禁したのは彼女であった。

 傭兵ギルドも海賊も使わず、自分で雇った私兵を使ったのだ。

 自室に戻ると、リエナは使用人にカールーンを呼ぶように伝えた。

 しばらく待つと、一人の男が現れた。

「奥様お待たせを致しました」

「良い。あれはどうしている?」

「船室で鎖に繋いでおります」

「はははは。あの老人もまさか息子がこの街の港にいるなど、思いもするまいな」

 カールーンと呼ばれた男は頷いた。

「太子を擁立している将軍がいたな」

 態とらしく思い出すような仕草で、彼は答えた。

「ケルビン将軍ですね」

「その男にこってり絞って貰おう。その男に引き渡せ」

「承知しました」

 カールーンは船に戻ると、乗組員が何やら慌ただしく動いていた。

「何があった?」

「ギルドの連中が臨検だと言ってます。既に中に」

「積荷は?」

「薬で眠らせて一番奥の樽に」

「分かった」

 カールーンは船室に向かうと、葡萄酒の匂いが充満していた。

「随分とやってくれましたな」

 海運ギルドを名乗る男が振り返った。

「あんたが船長か? ギルドに登録のない怪しい船は調べねばならんからなぁ。はははは」

「奥様に報告せねばならんな」

「そうだなぁ、奥様とやらにもよぉく言っておくことだな」

 カールーンはトゥベルを呼んで言った。

「リエナ様にご足労を願え。荷が困ったことになった」

 トゥベルが船室を出ようとすると、男が行手を遮って言った。

「待て、今誰だと言った?」

 男の部下は次々と樽を破壊していた。

「お前らやめろ!」

 男の声で一人は手を止めたが、もう一人は狂ったように樽を殴り続けた。

 呆れたように、男はナイフを取り出して投げると、男はようやく止まった。

「捨てておけ」

 男はそう言うと、部下は酒樽に頭を突っ込んで動かない相棒を担ぎ上げると、甲板へ上がった。

「誰の荷物だ?」

「リエナ・ベイヤー様の私物だ」

 その名を聞くと、見るみるうちに男の顔が青ざめていった。

「あの方は葡萄酒がお好きでねぇ。大層気に入っておられたんだが、どうするのかね?」

 カールーンは積荷の明細を男に見せてやった。

「かっかっ……、金で勘弁してくれ、い、い、幾らだ? 幾ら払えば良い!?」

「金一樽」

「そんな金は…」

「トゥベル、行け」

 カールーンは語気を強めて言い放った。

「分かった! 払う!」

「部下に持って来させろ。お前の身柄と交換だ」

 男は部下に金を取りに行かせた。

 暫くすると、数人の部下が金を詰めた袋を抱えてやってきた。

 カールーンは破壊された樽を空にして、へたり込んだ男の隣に置き、袋の中身を順に入れさせた。

 樽の九割が金貨で埋まった。

「たらねぇな。腕出せ」

 男は泣き喚きながら這いつくばって、必死に許しを乞うた。

 甲板に額を擦り付けていた。

「助けて下さい、助けて下さい……」

 カールーンは腰を下ろし、男の髪を掴むと、引き上げて、鼻水と涙で砂まみれになった顔に向かって言った。

「今後一切、俺の船に手を出すな。誓え」

「貴方様の船には手を出しません。誓います。誓います……」

 男の部下が哀れみの目で見つめていた。

「行け」

 そう言うと、すっくと立ち上がって逃げていくので、カールーンはその尻を思い切り蹴飛ばした。

 すると男は舷梯から転がりながら波止場に倒れ、ふらつきながらも立ち上がり、逃げていった。

「儲かっちまった」

 カールーンは仲間に向かってそう言うと、皆大声で笑った。

「さて、出航だ」

 皆口々に復唱して作業に取り掛かった。

 臨時収入もあり、皆の足取りは軽かった。

「よくあんな書類がありましたね」

 トゥベルが言った。

「備えあれば憂なし、偽装用にサインを貰っておいたのさ。沖に出たら鳥を出す」

「承知しました」

 カールーンはキルシュに向けて出航した。

 風は追い風であった。


 冬至を迎え、この日から概ねニ日後に、太陽が昇る位置が南にずれて、昼間の時間が永くなってゆく。

 エレノアはタレイアと共にエルファト院に出かけた。

 息災を神に感謝するためだ。

 神への捧げ物はどうしようかと話し合い、アゼルの刀はどうかと持参したが、念のため金品も持って行くことにした。

 両刃の剣で、柄も鞘も漆塗りの合口拵という一風変わったものだ。

 一見すると杖のようにも見える。

 実際に鐺は厚めに作られていた。

 寺院の前には人だかりができており、皆それぞれが互いに良い年を迎えられるようにと祈っていた。

 参道を歩いているとエリン・メルクオールを見つけた。

 流石に多くの人々に取り囲まれており、応対に四苦八苦していた。

 二人はそれを見て不思議と笑みが溢れた。

 参道には多くの屋台が立っていて、皆楽しげに歩いていた。

 祭殿前の詰所にアルナス・グシュナーの姿があった。

 寄進に来る人々へ感謝を伝えている。

 二人はその列に並んだ。

 人々に囲まれたエリンもどうにか祭殿に辿り着いたのか、エレノアの後ろに並んだ。

「こんにちは」

 エレノアはエリンに声をかけた。

 タレイアも笑顔で頭を軽く下げた。

 弾けるような若さが、エリンには眩しかった。

「こんにちは。天候に恵まれてよかったですね。エリン・メルクオールです」

「エレノア・サラザードです」

「寄進ですか?」

「はい、これを」

 エレノアは錦に包んだ剣を見せた。

「変わったものですね。何をお持ちになったのですか?」

「……、杖、のようなものです」

「杖ですか……。神職もいつかは必要な日がきますからな」

 エリンはいささかずれたことを言ってしまったかと頭をかいた。

「実は息子が鍛えた剣なのですが、このようなものでも受け取ってもらえるのでしょうか? うちは宿屋ですのでこれと言ったものがないもので」

「あぁ、武具の奉納は昔はあったようですよ。拝見できますか?」

 エレノアはエリンに包を手渡すと、彼は丁寧に開き、剣を手に取った。

 当に杖と言った姿形であった。

 縁頭と鐺、責金以外黒呂色漆塗りの長い棒なのだ。

 金具は恐らく赤銅で、錆色がついていて、一部を磨き上げて模様が描かれていた。

 エリンはこの作者を知っていた。

 親指で鯉口を切って僅かに鞘を引いた。

 そして金色の巾木とその先の剣の地鉄を見ると、再び納めた。

「見事な漆塗りの杖ですね。さぞやお喜びになりましょう。さぁ、前が開きましたよ」

 そう言って二人を促した。

「こんにちは」

 アルナスが声をかけた。

「こんにちは。寄進に参りました。お納めください」

 そう言って錦の包みを渡すと、アルナスは受け取って、中を改めた。

「これは良いものを、ありがとうございます。大切に扱います」

 アルナスはエレノアの耳元に顔を寄せて、仕込み杖ですか?、と問うので、彼女は正解、と答えた。

「神に捧げたのちに、私がお借りしましょう」

 アルナスは微笑みながら両手で杖を支え、天に掲げて頭を垂れた。

 エレノアとタレイアはアルナスに挨拶をすると、祭殿に向かい、祈りを捧げた。

 鳶が飛び、声をあげていた。

 美しい音色だ。

 祭壇を出ると、俄かに小雪が舞い始めた。

 今年最初の雪だった。

「年明けから忙しくなるわね」

 エレノアは言った。

「今朝鳥が来ておりましたよ。カールーンからです」

「何と?」

「捉えた獲物を商売敵に渡すのだそうです」

「あそこは主人が亡くなっていたね」

「はい。遺族と関係者は揉めるでしょうね」

「そう言えばブレアスから、あれ以来連絡はありましたか?」

「ありませんね。喧嘩になると言う一報以来連絡はありません」

「国へ帰ったのかもしれないね。伝えてやれれば良いのだけれど」

「キルシュの担当に接触させますか?」

 エレノアは空を見上げた。

 青い空を鷹が飛んでいた。

「様子を見てやるように伝えておくれ」

「承知しました」

 二人は参道を下って、家路を辿った。

 今年巣立った大鷹の幼鳥だろうか、翼を広げて旋回していた。

 鷹も飛ぶことを覚え、獲物をとり、自分の力で生きてゆく。

 アゼルはどんな道をゆくだろう。

「あの子はどうしてるかしらね」

 エレノアは巣立った雛を思う母鳥の思いが少しだけ分かった気がした。

「きっと鍛冶場にいるのでしょう」

 エレノアはきっとそうに違いないと思い、思わず吹き出した。

「あの子を支えてあげて」

 タレイアは力強く頷いた。

 その日は夕暮れから大雪となり、辺り一面を白く塗りつぶした。



ーー エルオールクロニクル 第1部 完

『エルオールクロニクル〜2.砂塵の丘』につづく

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エルオールクロニクル〜1.待望の和子 東風ふかば @KochiFukaba

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