第7話

 非常階段は塔のまわりを一回転して、再度塔の内部に入った。中に入り、少し歩くと、非常階段はそこで終わっていて、扉があった。非常口だ。開ける。廊下がある。教室は、塔の外側のほうに位置している。教室の扉を開けると、室内は窓から入る宵の残照にぼんやりと照らされていた。私は窓に近づきカーテンを広げた。街が見下ろせる。ぽつぽつと燈火が灯り始めている。

 花火を打ち上げるのは、街を流れる川の河原でだ。ちょうどそれは旧校舎や高校などのある地区の近くだった。だからこそ、私は塔から花火を見ようと思ったのだ。くしくもこの教室の窓からは打ち上げ場所の河原を見下ろすことができた。ここからなら花火も綺麗に見えるだろう。日も暮れてしまったし、これ以上登っても、さらに最適な花火見物の場所が見つかるとは限らない。そこで、私は遠藤になぜ自分が塔に登っていたのかを話していなかったのを思い出した。なんとなく気恥ずかしくて言い出せなかったのだ。

「どうしたの」

 遠藤が窓の傍から離れない私を心配したのか声をかけてくる。

「……遠藤はどこまで登るの?」

「塔を? どこまでだろ。特に決めてないけど、なんで?」

「私、ここでやめようと思って、登るの」

「降りるの?」

「花火見る。ここから。それから降りる」

「へ? 花火?」

「うん。言ってなかったけど、見ようと思って、花火。そのために登ってたから」

「花火? 花火見るために登ってたの? なんで言ってくれなかったの?」

「……なんか、その、恥ずかしかったし、言うの」

「あー、うん、意外だったけど、べつにわたしも、気になったから登ってるだけだし」

「で、その、さ。遠藤がいいなら、一緒に見ない?」

「え? いいよ、全然。いいじゃん、花火、見ようよ。ここから」

「……いいの? ほんとにいいの?」

「いいよ、べつに。ていうか佐々木が誘ったんじゃん。なんで驚くの」

「だって遠藤は最後まで登るのかと思ってたし、言いにくかったから。調べたいのかと思って、塔のこと。だから頂上まで登るのかなって」

「登りたいよ、気になるし、でも夜になったら塔壊れちゃうし、そのうち戻ろうと思ってたよ。でもさ、気になるし、夢中になってたら、こんな時間になっちゃった。それにそろそろ降り始めないと、時間けっこうヤバいしね」

「……」

 バックパックを降ろす。中身を机の上に出していく。

「それなにが入ってたの? めっちゃ重かったけど」

 遠藤が覗いてきて、噴笑ふきだす。「なにそれ、そんなん入ってたの?」腹をかかえて笑っている。私は机の上のものを眺めた。塔に登る前の変なテンションで用意してしまったが、たしかに変だ。というより量が多い。やたらと重いわけだ。

 バックパックで運んでいたのは、冷凍のたこ焼きやらラムネやら、りんご飴やら、お面など様々の、私がお祭りの屋台で売ってそうだと思ったものたちである。中には金魚の入った水槽を再現した置物も持ってきていた。これがやたらと重いのだ。食材ら保冷剤と一緒に入れていた。遠藤はツボに入ったらしく、しゃがんで背中を震わせている。

「お祭りっぽい気分にしたかったから……」

「でもさ、そんなに持ってこなくてよかったじゃん。重かったでしょ。言ってくれたら半分持ったのにさ」

「私、花火大会に行ったことないから。街のお祭りにも行ったことなくて、この時期はお母さんの実家に帰ってたから。でもなんか今年は親戚の誰かが病気で、けっこう生きるか死ぬかみたいな感じらしくて、実家に帰らないことにして。だから、それで今年は、なんか、やってみたくて。だって来年はまた実家帰るだろうし、大学はこの街出ようと思ってるし、今回が最後かもしれないし。でも塔にも登ってみたかったから。なんでかわかんないけど」

「これ買ったの?」

「うん、近くの百均とかスーパーとかで、ちゃんと保冷ボックスに入れたから、大丈夫だと思うけど。……遠藤も食べる?」

「いいの?」

「いいよ、ちょっといっぱい持ってきすぎたから。それに、わたしひとりで食べるのも、なんか悪いし」

 準備を始める。といってもすることと言えば、容器に移したりするだけだ。時刻を確認する。六時半である。例年ならば七時に花火大会は始まる。河川沿いの公園と神社には屋台が多く出店され、見物の場所も用意されている。窓から見ると打ち上げ場所に明かりがともっているのが確認できる。公園にも人が集まっているのが見えるので、この未来の八月三十一日でも花火大会は開催されるのだろう。

 諸々の準備を終えて、椅子に座る。いずれ花火は上がるだろう。ただ、塔に登る前に予想していたように花火を上から見下ろすことは、この高さではできない。しかし、それでも花火を目の前に見ることはできる。それは得難い経験であるはずだ。塔から花火を見ているのは私と、遠藤だけだろう。しかも今見ているのは、何十年後の未来の花火大会のものなのだ。今見える景色よりも何十年か前の今日、私と遠藤の知る八月三十一日でも花火大会が同じように開かれているはずだ。今見ている未来の街には、未来の私がいるだろうか。未来の遠藤がいるだろうか。未来の私や遠藤は花火を見るだろうか。ならばその時には、何十年か前の自分が塔の上から同じ花火を眺めていることを思い出すのだろうか。今、教室の窓を隔てて、私と何十年後かの私が同時に存在していて、同じ花火を見ようとしているのかもしれない。未来の私は、同じ時間に確かに存在している今の私のことを考えているかもしれない。今の私が未来の私のことを考えているように、未来の私も塔の上から街を眺めている今の私のことをきっと考えている。私がこれから体験することを思い出しているのかもしれない。私が遠藤と一緒にこれから見るであろう花火の景色の記憶、それに関連する思い出を、未来の私は持っていて、それを懐かしんでいるのだろう。きっと、そうだ、と私は思う。今日は素晴らしい日だったし、これからもっと素晴らしい日になるのだ。花火の光に彩られて。そうあってほしいと私は思う。

「食べようよ」

 遠藤が言う。私は頷く。

 窓から見える景色を眺めながら、花火が打ち上がるのを待つ。冷凍のたこ焼きでも、舟皿に乗せると、屋台で売っているもののようだった。食べるとぬるい。客観的にはあまり美味しいとは言えないだろう。だが疲労からか、おいしく感じる。

「ちょっと持ってきすぎたね」

「少ないよりはいいよ。このさ、りんご飴って買ったの? 売ってる? スーパーで」

「これは屋台で買った。なんか、食べてみたくて。ちっちゃいころ、おじいちゃんに買ってもらったんだけど食べきれなかったから、今なら食べれるかなって」

「へー、でもりんご全部って大人でも無理じゃない?」

 それもそうだな、と思う。祖父は普通に一個食べていたが。

「なんか、甘いのばっかだね。好きなの?」

「……うん」

 遠藤は笑う。笑われても不思議と嫌な気分にはならなかった。むしろ楽しいとさえ思った。私も笑う。「わたしも好き」と遠藤は言う。

「あ」

 窓の外を遠藤が指さす。花火が上がっていた。あっけないなと感じてしまう。これを見るために塔を登ってきたというのに、花火は唐突に始まる。これから一時間ほど花火は打ちあがるはずだ。大きな花火だ。火の花が天で花開き、一瞬の間に散る。陳腐な表現だが、闇に浮かぶ大輪の花という言葉を思い浮かべる。金の華だ。花火の色とりどりの光が教室の内部に投げ込まれて、机や床や天井、机上のラムネの瓶などが、花弁を散らされたように彩られる。闇に包まれ、また打ちあがった花火の光に再度彩られる。花火の花弁はしばらく散りやむことはないのだろう。小さな花火が一斉に打ちあがる。手に持つりんご飴がきらきらと花火の光を反射して宝石のように見える。遠藤は窓のふちにこしかけて、外の景色を眺めている。遠藤は何を眺めているのだろう。何を考えているのだろう。わかるはずもないのに知りたいと思う。今日の昼に会ったということが、奇妙に感じる。私と遠藤はもう随分と前から互いのことを知っていたのだという気がする。遠藤もそう思っているのだろうか。わからないし、私はそれを知りたくなかった。ただ、この塔を降りたら、この関係性が失われてしまうのだという気がして、胸の底が疼くような感を覚える。黒目がちな瞳に、花火の光が反射している。私はそれを綺麗だと思った。ふと遠藤は私の視線に気がついたのか、こちらを見て微笑む。

「なに見てるの?」

「別に」

 私たちは同時に噴笑ふきだす。なぜだかわからないけど可笑しかったのだ。

 それから花火が終わるまで私たちは他愛のない話をした。今度は遠藤だけが話すのではなく、私も同じくらいに話した。くだらないことだ。くだらないことだが、愉快だった。

 花火はやがて終わり、片づけを終えて、私たちはもときた道を戻り始めた。塔の崩壊まで時間もあまり残されていなかったために、廊下などに寄り道するよりも非常階段を使ったほうがいいという話になる。無言で階段を降りていく。もう半分ほどは降りただろうという頃に、突然遠藤が話を始めた。

「……この塔がさ、この塔ができたのは、きっと世界が滅亡するのを塔が知らせようとしているんだよ。塔の旧校舎はいつかの未来に倒壊して、それは世界が滅亡したから、倒壊する。だから旧校舎は過去にさかのぼってそのことを知らせようとしてて、八月にひと月かけて塔をつくる。八月三十一日に塔が壊れるのは、旧校舎が未来のその日に壊れたから。塔がこの街につくられ始めたのは、未来に旧校舎が倒壊したからで、未来と過去なんて関係なしに、時間を無視して危険を伝えてる。みんなが塔を怖がるのは、塔がその世界の滅亡を伝えてるからで、不気味に見えるんだよ」

 私は呆気にとられて遠藤を見る。冗談なのか判断がつかない。

「そうかもね。なら塔の一番上から景色を見たら、滅亡した街が見えるのかも、もしくは爆弾が落ちてきてたり。昔の戦争みたいに」

「確かめようよ、来年。また登ろう、一緒に。今度は準備して」

「一緒に?」

「うん、嫌?」

「全然」

 私は答える。遠藤は微笑んで「良かった」と言った。実家に帰るのは無理を言って時期をずらすか、私だけ早く帰ってくればいいだけの話だ。

 塔を下り、旧校舎の昇降口から外に出た時、時刻はもう日付が変わる頃だった。旧校舎の近くの柵を乗り越えて、学校の敷地を出る、しばらく歩いてから見上げると、塔の先端部分は既に崩壊が始まっていた。道中、遠藤とSMSの連絡先を交換しておいた。塔は電波が飛んでいないので、できなかったのだ。しばらく歩き、交差点で遠藤とわかれる。夜道を自宅まで歩く。家族は全員寝ていて、家の中は暗かった。ベッドに倒れると疲労から私は泥のように眠ってしまった。眠りの世界に入る間際に、もしも今日一日がすべて夢だったらどうしようと思って、恐怖を感じた。恐怖から逃げるように私は眠りの世界に駆けこんだ。

 朝起きると塔は完全に崩壊していた。なにもかもが夢だったような気がしたが、スマホのSMSには遠藤のアカウントがあり、夢ではないことを証明していた。これからは塔を見る度に昨日見た花火のことを思い出すのだろう。私は来年もきっと塔を登っているだろうと、思った。そしてまた花火を見るのだろう。いつか訪れる遠くの未来の花火を。


終わり

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