第6話
バックパックを受け取って、階段を登り始める。足取りは軽かった。スマホの充電が心もとなくなってきていたが、ネットに繋がらないので、あまり温存する必要もない。遠藤が腕時計をつけていたので、時刻を確認する用途に使うこともなくなった。交代で懐中電灯を持ち、足元を照らしながら、非常階段を登っていく。遠藤が言う。
「もしも、さっきのが、未来の教室だとするなら、この非常階段も未来のものってことになる」
「上にいくほど未来のものになるのかな」
「そうかもしれない。けど、たぶん、いくつかはコピーなんじゃないかな。下の方で確認したけど、そのときはそっくりだったし」
「じゃあどこかで変わってるんだ」
「……違うかも、何時間か後の教室だったかもしれない。明日とか。それなら違いなんてわかんないし。分裂した教室は全部、未来の教室で、違うかな、未来の教室の再現かもしれないけど、とにかく、全部、何時間後か、何日後か、何年後か、何十年後かの教室を再現しているんじゃない。上にいけばどんどん未来のものになってくんだ。この階段もそうだよ。この手すりとか、こんなペンキ塗ってなかったし。いつの未来かはわかんないけど」
「でも、なんで」
「知らない」
「……それはそうか。飛ぶ前に他の教室も確かめとけばよかったね」
非常階段は蛇行することなく、まっすぐと伸びている。この調子でいけば塔の外壁にたどり着くことができるだろう。初めて非常階段を登った時に感じた恐怖はあまり感じなかった。やがて前方に光が見えた。闇が薄まっていく。非常階段や周囲の教室や梁、配管の輪郭が浮かんでくる。風を感じた。階段を登るとさらに光は大きくなり、やがて私たちをも照らした。外に出たのだ。目がくらむ。徐々に目が慣れていき、外が夕暮れであることに気づいた。陽は沈もうとしている。橙や茜、[[rb:菫 > すみれ]]色の入り混じった空が視界いっぱいに広がっていた。息を呑む。夕暮れがこんなに美しいものだと知らなかった。地平線にそびえる入道雲が夕暮れの空の様々な色に染まっている。山々の稜線が影絵のようにくっきりと見える。
非常階段は塔の外壁にツタのようにくっついていた。風はあまり吹いていない。下を見ると、街が広がっている。私の住む街だ。しかし、なにかが違う。遠藤も手すりから身を乗り出して、見下ろしているが、違和感に気づいたようだ。「あれ」と言う。
「ビルなんてあったっけ」
「ないよ」
遠藤が街の一区画を指さす。そこには高層ビルが林立している。
「駅もあんなに大きくなかった。改装工事? あそこの住宅地は更地になってるし、あそこにもマンションができてる。あれもできてない? デパート。あ、でも、わたしの家はある。佐々木は?」
「ない。なんかマンションになってる」
「これ別の街じゃないよね。なんか見覚えあるし」
首肯する。眼下にあるのは私の住む街だ。たぶん、未来の。塔の内部の教室は上にいくほど未来のものになって、塔から見える景色は上にいくほど未来のものになるのだろうか。階段を上に登っていく。下を見ながらだ。なにも変化がない。空の様子も変わらない。時刻すらもかわっていない。だが、ある瞬間、コマが変わったみたいに景色が変わった。空が変わったのだ。雲の配置が変わっている。夕暮れなのは変わりないが、雲の量が増えているのだ。街を見る。更地になっていた住宅街跡地に重機が入っているし、幾棟もの高層ビルが建設途中の状態にある。最上部のクレーンは夕陽に照らされている。風の強さも変わっている、さきほどよりも強い。髪が乱れる。遠藤がぽつりと言う。
「何年後なんだろう」
「十年は経ってるんじゃない。あんなビル建つってそれくらいないとありえないでしょ。田舎だったのになんでなんだろ。こんなビル建つなんて信じらんない」
遠藤が街の一角を指さす。
「あそこの、神社の森の大銀杏が、枯れてないし、葉が緑ってことは、夏なんだ。さっきの景色が変わる前も同じ色だったから、もしかしたら、おんなじ日なのかも、つまり、今日、八月三十一日、未来の。で、さっきの変わる前のは、今見てる一年前の八月三十一日。高さが変わるごとに、一年後の八月三十一日の同じ時間の景色が見えてるんだよ」
遠藤の推論が正しいかはわからなかったが、なんとなく当たっているような気がした。
外を見るという目標を果たしたものの、謎が増えてしまった。無言で階段を登り始める。生暖かい風が肌を撫でる。高さはどれほどなのだろうと、ぼんやりと思う。高さがどれほどかはわからないが、何時間もかけて登ってきたほどには、高くなかった。都心に出た時に登った展望台よりも低いように思う。奇妙だった。なにもかもが。ただ上に登るほど未来が見えるのだから、塔の中が時空が歪んでいるのだとしても、そこまで驚くことではないような気がしてくる。疲労と塔の奇妙さから、様々な考えが脳内に泡のようにうまれて消えていく。
しかしなかなか消えない泡があり、それはやがて疑問となって頭の中に居ついてしまった。つい疑問をそのまま独り言のように、口に出してしまう。
「……塔の一番上にいったら、なにが見えるんだろ。ていうか、そこの教室とかどんな感じなんだろ」
遠藤は虚をつかれたような顔をして私を見る。柳眉をしかめる。何かを考えているらしい。
「……ああ、うん、そっか、そうだ。全然気づかなかった。そうかもしれない。上にいくほど未来になるなら、てっぺんに行けば終わりになるのかも、この学校が、いや、旧校舎だっけ? それが取り壊されるのかもしれない。取り壊されたから、塔が終わってるんだ」
「旧校舎は取り壊さないよ。なんか、街とか県とかの文化遺産なんだって。あとなんだっけ有名な建築家のひとが設計したとか、それで、建築関係の人からも保存してくれって言われてるらしいし、国もそのうち文化遺産に指定するかもって話だよ。改修とかはすると思うけど、取り壊しはしないんじゃないかな」
「じゃあ倒壊したんでしょ」
「火事とか、地震とかで?」
「そんな感じ」
私は塔を見上げた。登ってきたよりも何倍も塔は高くそびえている。今いる高さの十倍もあるかもしれない。遠藤の推測が正しいのならば、旧校舎は百年後も残っていたのだろう。それはなぜだか喜ばしいことのように私には思えた。壊れてしまったというのは悲しかったが、それは私にはどうしようもない。旧校舎が倒壊した時には、私は生きていないだろうからだ。ふと、この塔ができたのは、旧校舎が、自身が倒壊するのだということを、伝えようとしたからではないか、と考える。旧校舎はなぜだか自身がいつ倒壊するのかを理解してしまって、そのことを塔をつくるという形で表現しているのかもしれない。塔から見える未来の景色が八月三十一日のものであるのも、塔が倒壊するのが、いつかの未来のその日であるからなのかもしれないし、塔を構成する教室や廊下や階段も、実は全て八月三十一日のものなのかもしれない。そんな空想をして、私は苦笑してしまう。
塔がなぜ建設されたかの理由はわからないが、塔のシステムがわかっていくにつれ答えに近づいていくような気がする。太陽は地平線の下に沈んだ。何十年後かの未来の八月三十一日の太陽が沈んだのだ。きっと、塔の別の高さから見えるあらゆる八月三十一日の太陽も同じように沈んでいるのだろう。
ここでも花火大会は行われているのだろうか、と私は思った。私の目的は塔に登ることと、花火を見ることだったのだ。遠藤と一緒に見たいな、と私は思う。しかしその提案をしたとして遠藤は了承してくれるだろうか。遠藤はたぶん塔の全容を解明したいと思っているのではないだろうか。遠藤はただの好奇心から塔に登っているようだが、ここまで来たのなら、頂上まで登ろうと思っているのかもしれない。
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