第5話
あまりに見つからないので少し休憩しようとなって、教室に入った。適当な椅子を選んで座る。スマホで確認すると時刻は午後の四時を少し過ぎたころだった。遠藤も疲れたのか黙って、窓のあたりを見つめている。窓は暗く、鏡のようになっている。すると唐突に遠藤が言った。
「ここエアコンなんてあったっけ?」
「旧校舎の教室には無かった」
「あれ」と言って教室の隅を指さす。そこには確かにエアコンが設置されていた。さらに壁に貼られた書道の半紙を示す。
「塔の下の階の教室にも無かった。それに、これ、書道の字さ、『希望』じゃなかった。あと、なんかこの教室、机の数多くない? こんな多かったっけ」
私は気になって椅子に貼られたクラス番号を示すシールを確認した。五年五組とある。旧校舎には六年の学年以外の教室はなかったはずだ。「これも」と遠藤に見せる。私は言う。
「旧校舎には、この塔のもとになったやつには六年生のクラスしかないはず。それに、小学校のクラスは三クラスしかなかったのに」
遠藤は驚愕に目を見開く。
「じゃあこれは、旧校舎じゃないほう、新校舎? それも塔になったってこと?」
「違う。新校舎は木の床じゃないし」
私は立ち上がり、机の引き出しをあさり始める。くしゃくしゃになったプリントを引っ張り出して広げると、日付が印刷されている。K5年とある。西暦表示はない。私が知る元号のイニシャルはKではない。遠藤がプリントを私の肩越しにのぞき込み、呟く。
「これ、未来のプリントなの? 教室も?」
答えずに、教室の壁を見渡す。カレンダーがあった。近寄る。この街の名所の写真がのったカレンダーだ。デザインからわかるし、街のマークがある。この街の役所が毎年発行しているもので、私の家でも使っていた。西暦が表示されている。確認して、愕然とする。私の知る年より二十一年ほど加算されている。八月の写真は高層ビルだが、街には高層ビルなんて存在しない。さらには八月なのに天皇誕生日があった。私の知っている天皇誕生日は九月だ。いつのまにか遠藤もカレンダーを見ている。ぽつりと遠藤が言う。
「未来じゃん」
「たぶん」
「だよね」
遠藤は突然駆け出し、窓を開けた。外には闇が広がるばかりだ。私もそばによる。遠藤がスマホのライトで闇を照らす。闇の中を光が漂う。
「塔の中だ」
「どうしたの」
「窓開けたら未来につながってるんじゃないかと思って」
「そんなことあるわけないでしょ」
「でもこの教室は未来の教室なんでしょ。それがちがかったら、コピーか、未来の教室の。それならつながってるかもしれないじゃん。アニメとかみたいに」
それもそうだ。
「……あ」
「どうしたの」
「いや、非常階段見つけた」
「どこ」
「あそこ」
教室の窓の斜め下に非常階段があった。スマホのライトの光に照らされて闇の中に浮かんでいる。距離はそれなりにある。高さもだ。だが、ぎりぎり届きそうな距離であるし、怪我もしなさそうな高さでもある。
「佐々木さ、飛び移ろうよ、あそこに」
遠藤が私を見て言う。
「マジで?」
「マジ。超マジ。だってこのままじゃいつまでたっても外見れないよ」
「……ん、あ、まあ、そうだけど、でも、危なくない?」
「うん、ふつうに危ない。わたしが先に行くから、あとから来てよ、なら安心じゃん」
そういった後、遠藤は教室の棚を物色し始めた。出てきたのは使いかけのビニール紐とガムテープだった。「なんにもない!」遠藤はそう言って、別の教室に行こうとして、私にもテープか紐を探すように言い足してから、廊下を走っていった。私も言われた通りに別の教室に行き、棚などを物色する。
音を立てて机の上に収奪した品々を置いていく。ビニール紐が合わせて六つ。
「ビニール紐って命綱になると思う? ……ないよりはましか」
ビニール紐を何本も束ねて一本の綱にする。窓と窓の間の柱に端を結び付け、もう片方を遠藤は自身の腰に巻きつけた。「大丈夫な、はず」そう言って窓枠に飛び乗る。私は指示された通りに懐中電灯で非常階段を照らした。遠藤は生徒用机をあさって取り出した何本かの鉛筆を一本ずつ非常階段めがけて投げていく。何回か失敗してから、成功。階段の踊り場の上に落ち、かあん、と音を立てる。もう一度投げる。成功。「よし」と言う。突然、不安になり、「本当にやるの」と聞こうとして、遠藤が窓枠の上にいないのに気づき、遠藤が既に飛んでいるのだと知った。かけ声も何もなく。なんともないことのように遠藤は飛んでいた。闇の中に遠藤は消えて、それからスマホのライトの光の範囲に入り、踊り場の上に着地した。前方に転がり、受け身をとる。立ち上がり、私の方に手を振ってくる。
「佐々木も来なよ」
遠藤は自身に結び付けていた紐を手すりに結んでいる。
「あ、違う。リュック、リュック投げて、軽くしたほうがいいから。紐に結んでからね。後から投げ返すから」
言われた通りにバックパックに紐を結んで投げる。遠藤がキャッチする。
「お、重っ、なにはいってんのこれ」
「いろいろ」
紐の先に重りをつけて投げ返してくる。受け取る。ガムテープが重りになっていたようだ。紐を身体に巻きつける。窓枠の上に乗る。遠藤が自身のスマホのライトで着地点になる非常階段の踊り場を照らしてくれている。
「大丈夫、落ち着いてやれば。落ちても大丈夫だから。たぶん、受け身とってね、やりかたわかる? わたし受け止めるとか無理だからね。死ぬからそんなことしたら。人間の体重何キロあると思う。例えばさ、50キロだとするじゃん。例えばね。そんなのを受け止めてみ? 死ぬって。死なないかもしれないけど、マジで怪我するよ。あ、ちょっとまって、今どいとくから、階段の下のほうにスタンバっとく。うっかり階段転げ落ちたら、がんばって止めるからね。安心して。どうする自分のタイミングでやる? わたしがカウントダウンしよっか? どっちでもいいけど、やっぱ、わたしは自分のタイミングでやったほうが」
うるさい。
「遠藤、うるさいって」
「ごめん……」
遠藤が黙る。私は闇に浮かぶ着地点を見下ろす。
いちにのさんで飛ぼうと思って、こころの中で数える。深呼吸をする。頭の中が急に冷えて、視界が狭まり、世界がスローモーションになる。いち、にの、さん。窓枠を蹴りつける。闇の中に飛び込む。闇が質量を持って、身体にまとわりついてくる。プールに飛び込んだみたいだ。闇は液体のように粘性を持っていた。前方には光と着地点が見える。ゆっくりと世界が進んでいく。着地点が迫る。着地。衝撃がくる。膝を曲げる。体全体を使って足の裏から伝わる衝撃を拡散していく。前方に転がる。一回転。二回転。受け身をとる。痛みを感じる。だが危険な痛みではない。回転が止まる。立ち上がる。擦り傷が少しできたが、血は出ていない。制服の汚れを払って、乱れた髪を整えながら、階段の下に立つ遠藤を見る。思わず笑ってしまう。遠藤も笑っていた。二人で大きく笑う。なぜだか可笑しかった。楽しかった。理由なんてどうでもよくて、体の奥から可笑しさがこみあげてきて、それで私は笑うのだ。たぶん、遠藤もそうなのではないかと思う。いや、そうあってほしいと私は思う。
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