第4話

 スマホで時刻を確認したらちょうど昼になっていたので適当な教室で休憩をとる。コンビニで買っておいたサンドイッチを食べていると、眠気に襲われる。アラームをセットして目をつむる。感覚が鋭敏になっているのがわかる。音が聞こえる。遠方で獣が啼いているかのような音。なにかおおきなものが軋んでいるような音。塔が揺れているのだ。そして獣の啼き声のような音は風の音なのだろう。塔の内部構造を吹き抜ける空気の流れがこの獣の悲啼を生み出しているのだ。鼓動と、疲労した足の痺れのじんじんとした感触。体内の音と塔の音が混じりあう。私の輪郭が曖昧になって塔と同一化しているような気分になる。

 ふと小さな音が聞こえた。塔の揺れる音でも風の音でも私の鼓動や呼気の音でもない。トントントンとリズムよく響いている。その音は周期的に小さくなったり大きくなったりとしていたが、全体的に見るとその大きさは次第次第に大きくなっているのだった。足音だ、と私は気がついた。私以外の何者かが塔を登っているのだ。足音は段々と近づいてきている。私は今まで通ってきた廊下などの照明を点灯したままにしていたことを思い出した。この足音の主は点灯されたままの照明を頼りに私のことを追ってきているのではないだろうか。耳を澄ましてみると足音は真下から聞こえてくるような気がする。私は慌てて立ち上がり、教室の電気を消した。物陰に隠れる。接触するにしても相手がどんな人物か見てから接触したい。もしも本当に私のことを追っているのだとしたら、前の廊下を通るはずだ。そうしたら容姿ぐらいは確認できるだろう。

 息を潜めて、待つ。足音は大きくなり、私は誰かが私の後を追ってきていることを確信する。足音が最高潮に達すると共に、フッと廊下をよぎる影が、開いた扉から見えた。足音が遠ざかっていく。はたと私は教室の扉を閉め忘れていたことに気がついた。塔において扉はすべて閉まっている。そのほうが増殖の際に生成しやすいのかもしれない。

 遠ざかっていた足音が、突然止まった。数瞬の静寂の後、足音は再び聞こえだしたが、それはこちらに近づいてきていた。私は思わず叫びだしそうになって、咄嗟に口を手で押さえた。心臓が早鐘のように打っているのがわかる。足音は近づき、どんどん大きくなり、ついには私の隠れる物陰のすぐ近くにまで迫った。相手が少しでも動けば、私が少しでも動けば、互いの姿が目に入るだろう。バックパックを抱えて、縮こまる。

 隙間から相手の足が見えた。上履きを履いている。私と同じ、高校の上履きだ。学生らしい。色は赤色で、同学年である。私を追う未知の存在が、私と同じ学生であることがわかり、その恐ろしさが薄れた気がして、緊張の糸が切れてしまった。体の力が抜けて、重点が移動し、ギイッと古い木の床が大きく軋んだ。隙間から見える足が動いた。影が私の上に落ちた。追跡者の影だ。私の隠れるあたりを見下ろしているのだろう。私は机の下に隠れていた。追跡者をそっと観察する。高校生だ。金髪で、色素の薄い、金に近いような茶色の目をしている。追跡者は視線をさまよわせ、やがて机の下の私と目が合った。

「うわっ」

 驚いた様子であとずさる。

「なにしてるの」

「……隠れてる」

「誰から?」

 私は追跡者を指で示した。

「わたし?」

「私を追ってるかと思ったから」

「ああ、電気がついてたから誰か先に登ってるのかなと思って。べつに怖がらせるつもりはなかったんだけど」

「そう……」

「とりあえずそこから出たら」

「うん」

 私は机の下から這い出た。立ち上がり、服についた埃を払う。追跡者は私の全身を眺める。

「高校生でしょ。私と同じ学校。二年生。見たことないけど、何組?」

「3組」

「へー、わたしは1組。名前は?」

「佐々木なぎ

「私は遠藤かえで。佐々木はさ、なんでここ登ってるの」

 花火を見に来たというのはなぜか恥ずかしかった。

「言わないとダメ……?」

「いや、べつに言いたくないならいいけど。あ、わたしはね、気になったから、中がどんな感じなんだろうと思って。だってこんなんさ、絶対気になるじゃん。でもお母さんに聞いたら、近づいちゃダメって言うし、弟とか友達に一緒に行ってみようって言っても、嫌だって言うし。わたしさ、転校してきたから、春に。だからあんまり知らなんだよね。いろいろ、この塔について、友達みんなしってるみたいだったし、街のひともみんな知ってて。なんかさ、お母さんは言い伝え、みたいなのがあるって言うんだけど。まあ、言われてみれば、小さいころ話して聞かされてたな、とは思ったんだけど、ほんとに塔ができてるとは思わないじゃん? おとぎ話なのかなって思ってたら、ほんとに塔が造られ始めてさ。で、登ろうと思ったんだよね。やっぱ気になるじゃん? なかどうなってるんだろなーって。でもお母さんもダメだっていうからさー、やめてたんだけど。今日で壊れちゃうんでしょ。また来年つくられるけど。でも一年なかどうなってるってわかんないままいるの嫌じゃん。だからさ、登ってみたんだけど、そしたら中の電気ついてたし、わたしのほかにも登ってる人がいるんだと思って、追ってみた。そしたら佐々木がいてって感じ。佐々木も登ってるんだよね」

「うん」

「じゃあさ、一緒に登らない?」

「別にいいけど……」

「あ、そうなの。やった。正直さ、ちょっとここ不気味だよね。だから誰かと一緒に登れたらなって思ってたんだ」

 私は肯いた。バックパックを背負い、遠藤と連れたって歩き出す。

 遠藤はよく喋った。私に気を使っているのかとも思ったが、たぶん、そういう性格なのだろう。遠藤の友人や家族、引っ越す前に住んでいた街の話をした。遠藤の話し方がうまいので聞き入ってしまう。遠藤が一方的に話すという形だったが楽しかった。一人で登っていた時よりは断然、気が楽だ。

 私たちがいま登っているルートは廊下と階段を繰り返し、いっこうに外の様子を確認できる気配がない。私も、遠藤もいちおう外は見ておきたいらしかった。そのうちに遠藤が非常階段を使うルートを提案した。そちらのほうが効率よく上を目指せるし、塔内部を縦横無尽に走る非常階段を使えば、いずれ外の様子も確認できるだろうからだった。嫌だったが仕方ない。遠藤もそれは同様で、非常階段はなかばトラウマのようになっているらしかった。私は了承した。しかしいざそうなると今度は非常階段につながる扉が見つからないのだ。教室やトイレ、非常口の扉を確認しながら進んでいく。

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