第3話

 最初の一歩目は、あっけなく踏み出すことができた。新校舎と旧校舎をつなぐ渡り廊下から、上履きに履き替えて、旧校舎に入る。靴はバックパックに無理矢理押し込んだ。

 校舎内は、以前入った時となにも変わらなかった。廊下の窓からうっすらとした光が射している。古い木の床は、歩くたびにきしんだ。電灯はついておらず、全体的に薄暗い。私は階段まで歩きながら、各教室を覗き込んでみた。特になにも変わったところもない教室である。旧校舎は本来、三階建てで、一階と二階は倉庫のようになっており、三階が私の通っていたころは六年生の教室になっていた。一階の教室内には机や椅子、その他用途のわからない雑多な物が置かれている。

 階段を登ると次の階に出る。さらに登る。三階である。さらに登る。屋上へと続く扉があるが、開けると教室へとつながっている。暗い。電気をつける。どこかの教室。机がずらりとならんでいる。扉の上のプレートにクラス番号が書かれている。ここは六年二組の教室らしい。あるいは六年二組の増殖した教室の内のひとつであるというべきだろうか。

 教室の扉はもう一つあるのでそちらを開けると、今度は外に出る。屋上である。屋上もまた同様に薄暗い。見上げると積み重なった旧校舎の各パーツが見える。どうやら塔の内部にできた洞のような空間らしい。積み重なるパーツの隙間から日の光が射しこんで、洞をほのかに明るくしている。天井の様子もうっすらと確認できる。何本もある梁のようなものが洞の天井付近を交差している。かなりの太さで、パーツを支えているように見えた。塔の骨組みを成しているのかもしれない。また近くの教室の壁面には配管がツタのようにまとわりついているし、増殖した旧校舎の非常階段は教室などの各部と連結しながら、パーツの合間を縫うように、縦横無尽に伸びている。

 洞にはいくつかの教室への扉や、昇降口がつながっていたが、一番遠い非常階段を使って登ることにする。非常階段には水道管や電線などの配管も絡みついており、ごてごてとしている。非常階段はやがて教室や廊下の隙間を通るようになる。照明は無く、闇の中を手探りで進む。鉄製の非常階段は足音が良く響く。暗闇に耐えきれなくなり、持ってきていた小さな懐中電灯をつける。光が足元だけを照らす。

 闇の中、非常階段を登り続けていると、次第に時間の感覚が曖昧になってくる。スマホで時刻を確認するとまだいくらも経ってないのに、何時間も過ぎたような気がしてしまう。闇の中に私の足音と息遣い、バックパックの揺れる音のみが聞こえる。私の発した音しか聞こえないと、だんだんと不安になってくる。懐中電灯の光が照らす範囲に入った非常階段の赤錆の浮かぶ段が、色と生々しい質感を持って次々と闇の中から現れ出てきて、光の照らす範囲を外れるとまた闇の中に没していく。

 やがて、そもそも自分は本当に塔を登っているのかどうかと疑念を抱き始める。自身の記憶さえ信じられなくなる。塔を登っているという記憶は私が生み出した妄想に過ぎず、私は闇の中の階段を永遠に登り続ける刑に処された囚人なのではあるまいか、とさえ思ってしまう。

「あ、あ、あ、あー、あー、あ、あ」

 自己の存在を確認するために喉から絞り出した声は、思っていたよりも苦し気でギョッとする。疲労と喉の渇きで声はかすれ、頭が朦朧としてくる。塔のなかは空気が滞留し、熱がこもっている。闇と熱は感覚を狂わせる。心臓の音が外部から聞こえ、カーンカーンと反響する足音が体の内部から聞こえてきているような気がする。

 踊り場に扉が見えた時、私は迷わずその扉を開けた。中に滑り込む。廊下である。非常階段用の扉から入ったらしい。近くの教室に入り、電気をつける。倉庫だ。私は近くの椅子に座り込んだ。息が荒い。深呼吸を繰り返す。吸って、吐く。遺骸のように青白い蛍光灯の光が室内を照らしている。どれほど登っただろうか。疑問に思えどそれを確かめる術はない。百メートルも登った気もするし、十数メートルほどしか登っていないような気もする。

 引き返したいと猛烈に思った。けれどもそうするにはもう一度あの非常階段に戻って下らなければならない。それは嫌だった。そう考えているうちに、何故私が塔に登ろうと思ったのかという理由を思い出した。花火を見るためである。塔に登りたいから登るのだ。私は立ち上がり、再び歩き出した。

 廊下はどこまでも続いているように一瞬錯覚するほど、だいたい通常の三倍は長いように思えた。突き当りにつくと階段を登り、廊下に出るので、廊下を進む。これもまた長い。さらに階段を登る。階段から出てすぐの場所に照明のスイッチがあったので、暗闇からは逃れることができた。これをひたすらに繰り返す。しかしいつまでたってもいっこうに外の様子を見ることができない。外に繋がる部屋や廊下に行き当たらないのだ。

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