タングのこと

虎次郎

タングのこと


小学校の低学年の頃、僕は朝鮮から引き揚げてきて九州の西の果ての島の炭鉱町に住んでいた。学校から帰っての遊びはビー玉かメンコであった。僕はビー玉が得意で年少者は勿論、年長者がいても勝っていた。ところが、年長者の悪ガキがいて、僕が勝つのが気にくわなかったのだろう、僕は理由もなく足蹴りされて顔を殴られた。僕は弱虫であったが、僕に非はないので相手の胸ぐらをつかんで応戦したのである。近くにいた僕より3歳上のやはり悪ガキであったが、このけんかを止めに入った。止めに入っただけでなく、悪ガキの左手をつかんで右回しにネジった。三歳上の悪ガキは力強かったので、僕を殴った悪ガキを突き倒して言った。「自分より年少者をいじめちゃんいけん。」しこたま顔を殴られ、その悪ガキは退散していった。僕を助けてくれたそのお兄ちゃんは「タング」とみんなから呼ばれていた。初めてタングとあったのはその時であった。

 「タング」はメジロ取りの名人でもあった。近くの森にガキども数人を連れて行き、メジロ取りを教えてくれた。長い竿のさきを少し平たく加工して、そこに粘着性のトリモチを縫っておくのである。そこからが「タング」の出番である。口笛を吹いてメジロを呼び寄せるのである。雄のメジロの場合と、雌の場合のとでは口笛の泣き方が微妙に違うのでる。口笛を吹くと3匹は寄ってくるのである。長い竿のさきに塗ってあるトリモチにくっつくのである。メジロのいる場所は「タング」しか分からない。トリモチは「タング」によるともちの木の樹皮から作るのである。もちの木が何処にあるかは「タング」しか知らない。メジロを捕ったら、鳥かごにいれて、数日間は家で飼っていてその後は、放し飼いしているのである。あるときガキの一人がどんど焼きの時、焼き鳥にして食べようと提案したが、「タング」は珍しく怒って、「めじろを捕って食べちゃんいけんよ。洞窟の中にいるという「巨大なフクロウ」が怒って。夜になって出てきてお前達食べられるよ。と言うのだ。

 

数年たって正月も過ぎどんど焼きの時子供達が十数人集まり、いつもの広場でわいわい騒いでいた。どんど焼きを取りし来るのは数年前僕を殴った悪ガキであった。今はそんなむやみに人を殴ったりはしなくなったが、今日の采配はその悪ガキがしていた。燃やすものが少ないと言っては、一人一人に松飾りや、しめ縄、御守り、正月に使ったあらゆるものを持ってこさせた。餅や、芋なども持ってこさせた。僕も家にあるものを全部持ってきた。「タング」はそれをニコニコしながら見守っていたのである。火が燃えさかり、子供達は熱狂し、餅や芋を焼き始めた。あまりにも火の勢いが強いので、近辺の大人達が水バケツを持ってきて、火の粉が飛ぶのに備えた。

火の勢いも下火になり、餅も芋も食べ尽くし、日も落ちてきた頃、三カ所ぐらいの場所を決めて行って帰ってくるのである。まず一カ所はみんなの嫌っている古い墓場、二カ所目は浜の神社、三カ所目は工事現場に突然出現した洞窟に五分間滞在して帰ってくるのである。場所はくじ引きで決めるのであるが、僕は気味の悪い墓場が当たった。「タング」は率先して洞窟に5分間滞在する方にまわった。洞窟には「タング」が行かないと誰も行かないのである。洞窟にはお化けみたいな竜がいるという。洞窟の入り口には子供は立ち入るべからずと言う立て札が立っている。一斉に決められた場所に走って行った。僕ら五人組は坂道を登って墓に向かった。途中で二人は墓場は怖いからと行って、家に帰ってしまった。残り三人が墓場についた。

そこには一人の老人がろうそくに明かりをともして墓周辺の掃除をしていた。子供がこんなとこであそぶもんじゃなよと言うので、子供達はどんど焼きの後の怖いところ巡りなんだよと言ったら、老人はあんこ入りの饅頭を一個づつくれたので

、助かった。これが墓場に行った証拠となるのである。大急ぎで戻ったが他の二人は途中で家に帰ってしまった。僕だけがどんど焼きの場所に戻ったら、タングが一人焼き場の整理をしていた。墓場まで行ってきたよ、証拠に墓場を掃除していたおじいちゃんに饅頭をもらったよ。半分タングにあげるよ、と言ってちぎってやった。タングはよく行って戻ってきたねと褒めてくれた。

 その後も学校が終わるとタングを探し回ってその後をついて回った。針と糸を近くの雑貨屋さんから買って、竿は近くの竹林からとってきて釣り竿を持って海に出かけた。釣れる場所はタングが知っているのだ。

 崖を降りてそこから更に右手の方にでこぼこの海岸沿いを500m位歩くと岩場があって澄んだ海辺を見ると魚が泳いでいるのが見える。岩場の隙間の砂場からごかいを採ってきて餌にするのである。捕れた魚をそこの岩場で焼いて食べるのである。これらはすべてたんぐがおしえてくれるのである。泳ぎも教えてくれた。岩場と岩場のあいだ、10mぐらいを泳がせるのである。

 しかしタングが中学校にに通いだす頃からタングとは会えなくなった。中学校は遠い町の方にあって、帰りも遅いようであった。

 タングは身体も急に大きくなり、年下の子と遊ぶ情況ではなかったのだろうと僕は考えた。僕はタングと遊びたくて寂しかった。

 やがて僕も町の方の遠い中学に通うようになった。その頃はタングは中学を卒業していたのだろう。顔も見なかった

 あるとき帰る途中、道路脇で作業している工事人夫の一団がいた。その中でヨレヨレの作業服を着て無言で土を掘っている若者を見た。あれはタングではないかと一瞬思った。俺のあにーのタングに間違いない。「タング!」と呼びかけた。タングは少し頷いたようであったが、直ぐに作業に取りかかったのである。間違いなくタングだ。はじめてこの島に住んで遊んだとき、悪ガキから守ってくれたタングだ。タングに間違いない。

 丘を登ってそして崖を下っていくと、いい釣り場がある。しかしもうタングはいない。途中竹林から竹を切り取り釣り竿にした。海辺に降りて餌のごかいを掘った。釣り糸を垂れた。タングに教えてもらった通りである。あらかぶがよく釣れる。。岩場の間に潜んでおり、かぶりつくとバタバタと跳ね回るのである。背びれ、腹びれには鋭いとげがあり刺されると毒もあるので取扱いには充分注意が必要である。タングに教えてもらった通りであるが、もうタングは遊んでくれない。

 それかラら僕は学校出て、何回か転職して、ある時期建築業界で働いたことがある。現場代理人業である。僕の管轄の現場で工事人夫がたくさんいた。その中にヘルメットかぶって図体の大きな、顔は節くれ立ってクロっぽい顔の親父がいた。一瞬この人はタングだと思った。小さな声で「タング!」と飛びかけたがなんの応答もなかった。しかし間違いなくタングだ。

 メジロの捕り方だって上手だったが、しかし小鳥は捕まえたら直ぐにがしてやるようにと教えてくれた。優しい俺の「あにー!」だった。


「完了」





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タングのこと 虎次郎 @agetyu

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