細心ちゃんと不敵くん

小松 加籟 official

第一話 登校

 一見すると何でもない朝の通学路を、胸ポケットに容れた録音機につないだヘッドホンでジャズを聴きながら、不敵くんはマウンテンバイクを転がしていました。


 君が、道化師から買った林檎を、僕は食べた。

 その林檎は、悪魔の実だった。

 僕は、君と悪魔の実を食べた。Oh,僕は君と悪魔の実を食べたんだ。

 僕は『肉体の悪魔』を読んだけれども、ラディケは多分、気分で書いたんだ。


 鳥の一群が、中空を飛んでいました。鳥は、正しさに怯えながら、空の同胞と、旅に夢中でした。街路樹の並木道を、不敵くんは颯爽と行きます。雑草 is never die.


 君は知っているか? 天体の動きは、大魔導師が考えたんだ。I think so.


 不敵くんは、くすっと笑いました。そんな漫画チックな歌詞が、不敵くんのこころにストレートに響きました。

 形而下学的にも何の変哲もない小径を、不敵くんはすーっと通ってゆきます。不敵くんはポケットからデバイスを取り出し、すっすと操作して、

 「登校now」

 と、Xで呟きました。


 細心ちゃんは、寝起きの不機嫌さを押し隠さずに、寝台から起き上がりました。

 「もう、起こしてよね、お母さん」

 と、細心ちゃんはXで呟こうかな、と思いました。

 淫魔ルックの儘、更衣室へ向いました。浴室でシャワーを浴びて、制服を着、一階の食事室へ行きました。

 食事室では、細心ちゃんの母親が待っていました。

 「もう、遅いじゃない、さっちゃん」

 「うぃ」

 仏語で、細心ちゃんは言ってみました。細心ちゃんの過去は、フランス外国人傭兵部隊の隊員でした。然し、フランス語では、細心ちゃんは、孤独でした。

 パスカルの『パンセ』で、「逃げろ、私の友よ、君の孤独の中へ」と言ったけれども、細心ちゃんは、フランス外国人傭兵部隊では、ただひたすら、優秀な軍人でした。パスカルは、血で書けといったけれども、細心ちゃんは、涙で書く、或いは、素直に書く、というかんがえでした。

 細心ちゃんは、家を出る際、母親に「行ってきます」と云い、徒歩で、高等学校迄ゆっくりと、篠突く雨に打たれ乍ら、コンビニエンスストアに立ち寄り、傘を買って、傘を差して、歩いてゆきました。

 ゆっくりと、閑静な住宅街を、歩いてゆきました。

 羽生という名の野生の黒猫が、細心ちゃんの、つぶらな瞳を、ただ凍りつくような暗闇めいた眼で、感情的に見凝めました。

 「よう、羽生、元気?」

 「ご機嫌麗しゅう、細心」

 細心ちゃんは、惻惻たる面持ちで、高等学校へ着きました。


  不敵くんは、エンピツを、クルクルと廻します。授業 is 古典。

 「私は、古典がすきです。大岡昇平をご存じでしょうか。大岡は、『野火』を著しました。『野火』は、中年男性のインテリですが、カニバリズムという行為に及びますが、個人的には、さほど印象にのこっていません。おそらく著者は、さらりと書いているのでしょう。私は、『野火』が、最大公約数的に、死生観を書いています。主人公の、死生観が、私には、印象にのこっています。おそらくですが、私に言わせれば、大岡昇平は本能に従ってませんね。大岡昇平なら、『野火』は、死生観が、酷く写実的ですね。大岡は、『野火』を、異端の書と称しましたけれども、私に言わせれば、心理的な戦争小説ですね。其儘言いました」

 不敵くんは、ノートに、「大岡昇平、野火」とメモをしました。不敵くんは、落書きをします。

 「災厄の地にて、人々は踊る。人は戦いを好むけれども、血を流すのは、いつも、決まって、男の方だ。女、子供は、戦場には、一般的に言えば、居ない。子供が戦うのは、アニメや漫画のみならず、映画でも、有り得る。But,ヒト科には、呼吸する、という、生存の自律的本能的行為、という、下手をすれば、いや、上手く行けば、生存罪悪感という、罪の意識の種を、蒔く」


 細心ちゃんは、欠伸を噛みころしました。

 「ふぁ~、ねむ……」

 「そこ、欠伸をしないで下さい」

 細心ちゃんは「テヘッ」と笑い、沈黙した。

 ふと、消しゴムが、机の上から床に転げ落ちました。

 隣りの男子が、ゆっくりとした動作で、細心ちゃんの消しゴムを拾いました。

 「どうも……」

 と、細心ちゃんは言って、黒板を見ました。

 黒板には、白墨の調った字面で、

 「秋の空は、気紛れにも、程がある。言い換えれば、深い秋の夕暮れ時には、石膏の亡霊が、ガタガタと隠微に動き出す。それは、けれども、一瞬の出来事だった」

 細心ちゃんは、ノートに、黒板の文字を、写し書きしました。ノートの端の余白に、「深い秋って、志賀さんならすらりと書くよね」と、丁寧なやや小さな字で、メモりました。

 「万年筆が善いなぁ……」

 と、細心ちゃんは、小声で呟くようにいいました。

 その独言を密かに聴き附けた隣りの男子が、

 「予備在るけど……」

 と、彼は徐ろに、言いました。

 「次の休み時間に、飲み物欲しいんだけど、財布忘れたから、百円貸して」

 「予備在るけど……」

 と、彼は、もう一と度いいました。

 「くれるの?」

 彼は無言でした。


  或る日の熄むことを知らぬような雨の放課後に、三々五々、教室の片隅に生徒が幾人か陣取って、チマチマとお喋りに興じていました。女子は不細工の翳口を敲いていました。

 不敵くんは宿題をしていました。

 「まぁまぁ難問だなぁ」

 「そう?」

 と、居残っている女子の一人が、いいました。

 不敵くんは、宿題の問題文を眼を通します。

 「それは、果たして、魂とは、こころのことでしょうか。その異いは、同一性と見なされながらも、その実態は、現代の知的階級でもはっきりとしていない。では、魂は、生まれたときから、肉体に附随する心臓に宿る精神に作用する心的な魂魄でしょうか。答えなさい」

 不敵くんは、解答欄に、

 「問題文の説明が不十分です」

 と、書きました。

 不敵くんは、窓辺から外戸の景色を茫漠と眺めていました。

 「世界は、瀕死の危機に晒されている。世界の人々が、死の匂を嗅いでいる」

 日本は、平和な神話だと知られている。日本は、平和上には、数多ある怪物が、この世の矩を越えて、蔓延っている。

 女子たちが、歓声を上げている。

 不敵くんは、その笑い声が、癪に障った。と、同時に、腹の底から、いかりが、沸々と湧いて、切なさが、充ち満ちて、悲しみが夜を切なくさせました。真夜中 is midnitht.


 「傘を忘れ、頸をギリギリと、匙った」

 「真夜中に? それは不幸だな」

 不敵くんは、さらさらと帰りました。

 不敵くんは、何時も傍に居て、正気を更に喪いつつも、女子の嗤い声を、のんびりと快晴に、さらさらと脳に神経を震撼させ、哀しみが、脳髄を、戦慄させた。 

「花を千切る」

「何を…」


  細心ちゃんは、喫茶店に、行きました。細心ちゃんは、喫茶店で、珈琲を飲みました。細心ちゃんは、珈琲をのんびりと飲みました。冷たい珈琲に牛乳を入れて、呑みました。

 細心ちゃんは、手軽な店員さんに、

 「いつもの?」と、尋ねられた。

 細心ちゃんは、冷めたいと、想いました。

 なぜ、こんな小さな街の淋しい喫茶店で、大切な時を、空費しなければならないのだろう。

 ふと、腕時計を見ると、時刻は、正午を過ぎた辺り……、けれども、誕生日プレゼントの腕時計は、確かに人間の心臓と同じくらい、働き者のように、細心ちゃんはおもった。


 不敵くんは、ギアを変えたように、表情をギリッと、変えました。

 何か、見てはいけなぃものを見てしまったかのような、気不味さを感じました。

 空を仰ぐと、素晴らしい曇天が、暴風に晒されて居ました。何故だろう、生きているその実感が、あんな構造の曖昧な、小さな店に、吸い寄せられるなんて。

 「スラムか……」

 不敵くんは、淋し気な眼差しを、絶え間なく看板へ、注いだ。

 

 


 

 


 

 

 


 

 

 

 


 

 


 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 




 


 


 

 

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