姉に全てを奪われるはずの悪役令嬢ですが、婚約破棄されたら騎士団長の溺愛が始まりました
綾部まと
氷の侯爵と、聖女の姉の浮気現場に遭遇しました
月は眠り込んだ自宅の上を滑りつつあった。
「ただいまー」
メイドたちも寝静まっている。
先に休んでおいて、と伝えてあったから。
玄関先に飾ってある、鏡の私と目が合った。
十八歳という若さ、豊かな金髪、すべすべの肌。
何よりクララには、ベルモント家の財力がある。
「女子が必要とするものは、全部持ってるんだけど……」
ため息をついて、階段を上がった。
自室を通り過ぎて、隣接する姉ソフィアの部屋へ向かった。
「姉さま、もう休んでるかな?」
私は勢いよく扉を開けた。
先に待ち受けていたものは……
「ですよねー」
確かにソフィアは、ベッドで休んでいた。
一糸まとわず、氷の侯爵と共に。
彼は、私の婚約者だった。
☆
「お楽しみだったようね、姉さま」
ソフィアは飛び起きて、ぎょっとした顔で私を見た。
横にいる氷の侯爵は、すやすやと眠っている。
「クララ!?美食旅行に出かけたんじゃなかったの!?」
「宿泊先のホテルが全焼したの」
「相変わらず、悪運が強い子……!」
彼女は聖女で、艶のあるボディの持ち主だ。
妹の私が見ても赤面してしまう。
「あ、続きは言わなくても大丈夫。婚約は破棄だよね?」
ソフィアは私をにらみつけた。
さすがヒロイン、怒った顔もかわいい。
「お幸せに、姉さま」
氷の侯爵を起こさないように、私は扉を閉めた。
心の中で、そっと彼に別れを告げる。
彼らに顔を見られなかったのは、幸運だった。
「ふん。悔しそうな顔なんて、絶対に見せてやらない」
重い足を引きずって、自室へ向かう。
この展開は知っていたけど、辛いものは辛い。
「はあ、こういう日は寝るに限るよね」
広い部屋に、独り言が空しく響く。
ベッドに入り、ぎゅっと目を閉じた。
☆
「……眠れない」
ふかふかのキングサイズのベッドの上で、寝返りを打った。
「割と気に入ってたんだけどなー、氷の侯爵。ま、仕方ないか」
ソフィアは乙女ゲームのヒロインだ。
氷の侯爵と結ばれた後で、別の男性とも結ばれる。
妹の私は、ヒロインの邪魔をする悪役令嬢。
ゲームでは5人の男性と良い感じになった後に捨てられる。
「あ、そうか。良いこと考えた!」
私は思った。この茶番をあと4回繰り返す必要はない。
捨てられる前に、自分からフラグを折りに行こうと。
☆
数日後。星の輝く、気持ちのいい夜。
私は、全速力で街を駆け抜けていた。
「もう、ドレスが邪魔で走れない……うわ!」
盛大に転んでしまった。膝から血が出ている。
「うー。この、石畳みめ」
いつもは愛らしい中世のような街並みが、今は憎らしい。
なんとかして立ち上がると、ある男性に話しかけられた。
「大丈夫ですか?君は……」
私は彼を見上げた。灯りが逆光となり、よく見えない。
濡れるような黒髪と、漆黒の瞳が、かろうじて見えた。
「え、第二王子?」
それは私が会いたくなかった、張本人だった。
彼と遭遇する前に、家に戻りたかったのだ。
「……違う。彼は僕の双子の兄だ」
一瞬、傷ついたような表情が見えた気がする。
似ていると言われるのが、そんなにも嫌なのだろうか。
「こんな美しい方が、夜道を歩いていては危ないよ」
彼は私の手を取った。大きく、あたたかな手だった。
どこか懐かしさを感じていると、彼は言った。
「家まで送ろうか?」
私は彼の手を払いのけた。
彼は目を見開き、黒々とした瞳に吸い込まれそうになった。
「お断りします」
「どうして?」
「お答えできません。では、失礼します」
唖然としている黒髪イケメンを残して、
私は闇の中を駆けて行った。
「なぜって、答えられるわけないじゃん……」
第二王子の関係者ということは、
間違いなく第二王子ルートに進むのだろう。
そして、私は知っていた。
第二王子ルートの行く末を。
第二王子とピクニックに行くと、彼は別の女性に目を奪われる。
その女性と結ばれるために私が邪魔になり、処刑されるのだ。
その女性は姉であり、ヒロイン。
この世界で全てを手に入れる、ゲームの覇者なのだ。
対して私は、彼女を引き立てるための存在。
悪役令嬢、クララ・ベルモントだった。
☆
あれから、二年後。
フラグを折り続けていた私は、実家で贅沢三昧をして暮らしていた。
そんな私を見かねてか、お母様が登場した。
ゲームでは『お父様とラブラブ旅行中』だったので、初対面である。
「クララ、夜会へ行きなさい」
お母さまは有無を言わせぬ響きで、ぴしゃりと言い放った。
彼女は姉そっくりの、艶やかなボディを揺らしている。
「えー。夜会って、あの婚活でしょ?」
「婚約者を見つけに行くんです。このままでは生き遅れますわ」
ほら急いで!と母の一声で、メイドたちに囲まれた。
強制的にドレスを着替えさせられる。
「ちょっと、これセクシーすぎない?」
「せっかく綺麗なバストとヒップを持ってるだから、見せつけないと」
身体のラインを強調するような、ブラックのドレス。
戸惑う私に、母は片目をつぶって見せた。
「女の武器は、使えるものは何でも使うものですわ」
こんなキャラだったのか、お母様!
さすが、街一番のお金持ちであるお父様を落とした女性だ。
呆気にとられる私を横目に、
母はメイドと執事に合図をした。
すると、あれよあれよという間に、馬車へ放り込まれた。
見張りの執事も同乗していて、脱走は許されない。
「ねえ、どこ行くの?」
私は向かいに座る執事に尋ねた。
「第二王子の宮殿です。そこに名簿がございます」
「最強の魔術師、隣国の貴公子、王子達まで……早々たる顔ぶれね」
そこには見覚えのある、4人の名もしっかり入っていた。
氷の侯爵を除いた、ゲームの攻略対象の男性たち。
名簿を眺めていて、ある名前を見つけた。
「『ユーリ・ブラッドフォード』?この名前、見覚えがあるような?」
攻略対象ではない。そのせいか、どうしても思い出せない。
「そうそう」と執事が言った。
「お母さまから伝言を承っております。『お土産は、デートの約束ね』」
「あー。お腹が痛くなってきたから帰りたいんだけどなー」
「続きがあります。『お土産をもらえるまで、毎晩、夜会に行かせますわよ』と」
私の仮病もむなしく、馬車は実家から遠ざかっていく。
夜会という戦場へ、ドナドナされていくのだった。
☆
会場は、趣味の良い飾り付けがされていた。
きらきらと輝く大きなシャンデリアを見つめて、私はため息をついた。
「すごい。これが宮殿の広間……」
ビュッフェで適当に食べ物を調達して、
女性たちが集まっているテーブルへ向かった。
どれも素晴らしく美味しかった。
さくさくのミートパイを頬張っていると、彼女たちの会話が耳に入ってくる。
「ねえねえ、第二王子のエリオット様も来てる!」
「あたしは絶対にローラン様。あの人に魔法をかけられたい……」
「氷の侯爵はご欠席なのね、残念だわ」
うんうん。私がゲームをやっていた時と同じだな。
二年経っても変わらない事実に、胸をなでおろす。
すると彼女たちは、声を揃えて叫んだ。
「「「でも一番は、騎士団長のユーリ様!」」」
……まただ。誰だっけ、それ?
おしゃべりな令嬢たちが、答えを教えてくれた。
「ずっと、隣国へ遠征に行ってらしたのよね」
「そうそう。彼のお陰で、国の領土も広がったみらい」
「騎士団長に昇格されて、ますます素敵になられたんでしょうね」
なるほど、分からないわけだ。
次の瞬間、オーケストラが音楽を奏でた。
私は思わず声を上げた。
始まってしまったのだ。ダンスの時間が。
☆
「げっ。これまでに帰ろうと思ってたのに」
男性はダンスの相手を探しに、こちらへ来た。
令嬢たちは、きゃあきゃあと歓声を上げている。
「ま、私の他にも女性はいるしね。興味のない振りしてれば良いか」
私はデザートを取りに、ビュッフェ台へ足を向けた。
しかし第二王子の声によって、さえぎられた。
「こんばんは。今日はずいぶん刺激的な格好をしているね」
そして4名の男たちが、私の前に立ちはだかった。
第二王子を始めとした、攻略対象の男性だった。
「君が今まで婚約していたから、手を出せなかったんだ!」
彼らから口々に言われ、一斉に手を差し出される。
オーケストラは、返事を急かすように音量を上げた。
真横から、令嬢たちの冷ややかな視線を感じる。
私は後ずさりながら、言い訳を探していた。
こういう時に限っていないのか。姉さまは!
氷の侯爵の家で、よろしくやってるのか!?
「くそう羨ましい!」
「何だって?」
「じゃなくて……帰ります!」
私は走り出した。
オーケストラの間を縫って、広間を抜ける。
その際、ちらりと見覚えのある顔を見かけた気がした。
☆
あれから毎晩、私は夜会に放り込まれていた。
会場は違っても、顔ぶれはだいたい同じ。
そして4人のうち誰かから、必ず求愛されるのだった。
私は気が付いた。
どうやらヒロインが他ルートにいる間は、好感度が私に向くのだと。
「で、気付いたところでどうしろと!?」
今夜も、馬車で夜会へドナドナされながら、私は頭を抱えた。
ソフィアは氷の侯爵とラブラブだ。
もうすぐ子供も生まれるらしい。
一方で私は、夜会を抜け出してばかり。
良い加減、お母さまも痺れを切らしている。
しかし私には、気になる男性がいた。
騎士団長のユーリだ。たまに夜会に出没する。
濡れるような黒髪に、漆黒の瞳。
すらりと伸びた手足に、端正な顔立ち。
令嬢たちが推すのも、よく分かる。
でもフラグを折ることに忙しくて、あまり話せないでいた。
「あの夜、街で会ってたよね。話しておけばよかったー!」
「クララ様、あまり暴れられては危ないです」
執事の冷静な声に、我に返る。
ふと、馬車の中に、大きな袋があることに気が付いた。
「これ、何?」
「洗濯屋に出すものでございます」
「ふーん……あ、そうだ!」
袋の中を見ていて、あることを思いついた。
宮殿が近付いてきて、私は慌てて行った。
「ねえ、お願いがあるんだけど。この服、持って行っても良い?」
一瞬、彼は眉をひそめた。
「どうして、こんなものが必要なのですか?」
「お願い。そうすれば、絶対にデートの約束を取り付けるから」
「ふむ。まあ、良いでしょう。修道院を探すよりは、気が進みますね」
聞きなれない単語に、耳を疑った。
「修道院!?」
「奥様が仰っているのです。婚約する気がないなら、修道院へと……」
「それは嫌だ。贅沢三昧の暮らしを捨てるなんて」
でも、もっと嫌なものがある。
婚約破棄されて、下手したら断罪されるエンドだ。
「さ、着きましたよ」
私は馬車を降りて、宮殿へ向かった。
夜会の広間という、戦場へと。
……と見せかけて、宮殿の裏庭へ向かった。
そして、こっそり衣装を着替えた。
☆
「よし。うまくいったわね」
宮殿に入り込んだが、誰も私に声をかけてこない。
それもそのはずだ。私は背広を着ていた。
楽団員に見えなくもない。
そう思って、オーケストラに混じり、ユーリの姿を探した。
「いた!」
今日も彼はかっこいい。
シャツの上からでも、彼が完璧な肉体をしていることが分かる。
私はオーケストラを抜け出し、ユーリの元へと走った。
彼は誰かを探しているような仕草をしていた。
「君は、クララ?その格好は……」
「聞かないで。とにかくバルコニーに出ない?」
ユーリは驚いた顔をしたが、すぐに微笑んだ。
「もちろんだよ。僕も君と二人になりたかった」
そうして私の手を引いた。
あの夜と変わらず、大きくてあたたかかった。
☆
「僕たち、前にも会ったことがあるんだ。覚えてるかな」
「二年前の夜でしょう?」
「その前、ずっと前にだよ。幼なじみってやつだ」
知らなかった。
悪役令嬢のクララに、幼なじみがいたなんて。
私が転生してきたのは、クララが十八歳の頃。
その前の記憶はない。ゲームでも一部しか描かれていない。
「……」
私の戸惑いは、首を振るより雄弁に答えを物語っていた。
「仕方ないな、忘れられても。僕は騎士団に入って、ずっと国の外にいたから」
「ごめんなさい」
「良いよ。君が忘れていても、僕は覚えていたから」
彼と私の距離が、ぐっと近付いた。
爽やかなコロンの匂いが、鼻をくすぐる。
「ずっと、クララのことを考えていたよ」
そう言った直後、彼はやれやれといった様子で首を振った。
「氷の侯爵と結婚したと思ってたから、夜会で見かけた時は驚いたよ」
「あの人には婚約破棄されて、姉さまと婚約したの。今は隣の国で暮らしてる」
次の瞬間、急に背後から声がした。
「クララ、そんなとこで何してるのかしら?」
私たちは振り向いた。そこには美しい女性が立っていた。
白のドレスに身を包み、美しい栗毛をなびかせている。
「ね、姉さま……」
「お母様に言われて見に来たの」
月明かりに照らされ、私を睨みつける顔すら美しい。
当然だ。彼女はこのゲームの覇者、ヒロインなのだから。
☆
「君のお姉さん?ソフィアか?」
「ええ、久しぶりね。ユーリ」
完全な沈黙が、場を支配した。
二人は見つめ合っている。
すっかり忘れていた。
私と幼なじみということは、姉のソフィアとも旧知の仲なのだ。
―――あぁ、やめて。
嫌な汗が、首に伝わった。
せっかく好きになった人を、奪われたくない。
でも私はといえば、よりによって背広を着ている。
全然セクシーじゃない。
お母様の言葉は本当だった。
使えるものは、使うべきだったのだ。
「まだ、あの約束のことを覚えてたの?」
「当たり前だろ。僕は君以上に一途だ」
ユーリは微笑んだ。爽やかな風が吹き抜ける。
「僕は結婚するならこの人、って決めてたからね」
最悪だ。ひどく疲れて、だるくなった。
生きていくだけで、とてつもない労力が必要な気がした。
私は手すりにもたれかかった。
前世は地味なOL、今は当て馬の悪役令嬢だった。
さようなら……
身を投げようとしたその時、
ソフィアの言葉が耳に飛び込んで来た。
「大事な妹よ。幸せにしなさいよ」
「え?」
「ってクララ、何してるの!?」
耳を疑うと、ぐらり、とバランスを崩した。
「お、落ちる!」
目を閉じて、衝撃に備えた。
しかし、いつまでもその時はやって来ない。
恐る恐る目を開けると、ユーリに抱きかかえられていた。
しかも、宙に浮いている。
「え、浮いてる!?」
ユーリにお姫様抱っこをされたまま、空に浮かんでいる。
そんな私を見て、ソフィアが呆れた声を出した。
「国の中で魔法を使うのは、禁止じゃなかった?」
「大事な人を守るためだ。仕方ないだろ」
ゆっくりと、私たちはバルコニーへ戻って行った。
私を降ろしたユーリは、悲しそうな顔をしていた。
「どうしたんだ?死ぬほど嫌だったのか?」
「ち、違うけど……」
私は混乱していた。
魔法だって?あのゲームにそんな要素、あったか?
確かに『最強の魔術師ルート』は存在した。
でも魔法の詳細については、あまり出て来なかった。
「気が動転しているかな。でも、もう大丈夫だよ」
ユーリは私を、強く抱きしめた。
そして私の頭を、優しく撫でてくれた。
☆
「はは。君の姉さんと結婚の約束をしているのかと思ってたのか」
「笑わないでよ……」
翌日も、私は宮殿にいた。
婚活のために、広間にいるのではない。
宮殿の庭を、ユーリと散歩していたのだ。
「僕はクララ以外の女性に目を向けたことは、一度もないよ」
ユーリは私に、キスをした。
すると脳裏に、あるCMが浮かんだ。
『第二王子の弟、現る!?次の舞台は、魔法の世界!』
そう、未プレイだから忘れていた。
あのゲーム、続編が出ていたんだ!!
「二年経って、今は続編の世界ってことか……」
「ゲーム?」
「い、今のは忘れて」
彼は穏やかな笑みを浮かべた。
どこまでも優しい彼に、私は申し訳なくなってきた。
「ごめんなさい。昔のこと、覚えていなくて」
「大丈夫。君が忘れていても、僕は覚えているから」
太陽に照らされて、端正な顔が輝いているのがよく分かる。
彼は微笑んだ。あたたかく、深い笑みだった。
「愛してるよ、クララ。もう二度と、君を離さない」
こうしてユーリから溺愛される日々が、幕を開けた。
☆
後日、私は別の転生者から聞かされることになる。
このゲームには二年後に、第二弾が出ていたことを。
ソフィアの妹で悪役令嬢だったクララは、
急に人が変わったように、素晴らしい令嬢になっていたらしい。
そして、幼なじみである最強の騎士団長と、
いつまでも幸せに暮らしてたと―――
姉に全てを奪われるはずの悪役令嬢ですが、婚約破棄されたら騎士団長の溺愛が始まりました 綾部まと @izumiaya
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