尊敬するということ 大切な人を大切にしようと思う
尊敬している人は誰ですか?
それはどのような方ですか?
どこに感銘を受けましたか?
自己啓発本のワークでよく目にする文言だ。
戦国武将、偉人、芸能人、アニメキャラを挙げる方が多いのを見掛ける。
私はこの質問に答えられない。
知識が足りていないというのもあるかもしれない。
歴史は好きな為、戦国武将や偉人にも興味があるし、それなりに調べている。
先人が成し遂げてきた事柄、それに至るまでの過程を見ると「凄いな」「素晴らしいな」「ありがたいな」とは思う。
だが、尊敬かと言われるとピンと来ない。
両親に対しては以前も書いたが、父親に対して現状尊敬の念を抱くことは出来ない。
母親に対しては本当に感謝しているし、受けた以上の恩を返したいと思っている。
職場の先輩や上司に対しても同様だ。
若い頃の右も左もわからなかった私の面倒を見てくれた先輩。
反社会的な世界に足を突っ込みかけていた私に「社会人とは」を教えてくれ、不義理を犯した私を最後までかばい、その後も面倒を見てくれた上司。
もちろん感謝もしているし、恩も感じている。
だがこれも尊敬かと言われるとピンと来ない。
何故ここまで私のために時間と労力を使ってくれ、面倒も見てくれた人達に対して尊敬という念を抱くことが出来なかったのか。
それは私の心の問題であった可能性が高いと感じる。
大量の水を受けるには大きな器が必要だ。
大きく重い物を受け止めるには頑丈で分厚い壁が必要だ。
例え少量の水だとしても、受ける器が無ければ全てこぼしてしまう。
軽く投げられた物であっても、受ける気が無ければ宙を舞って地面に落ちてしまう。
要は私の中に受ける器と、受け止める力が無かったのだと思う。
この力は生まれてから生活していく中で少しずつ育まれるものなのだろう。
何かをしてもらったら「ありがとう」と言い、感謝の念を覚える。
何かをしてしまったら「ごめんなさい」と言い、罪の意識を覚える。
悲しんでいる人がいたら、悲しみを分かち合い寄り添う。
迷っている人がいたら、出口を一緒に探す。
心を形成していく機会というのは日常に溢れているわけだが、私はことごとくそれを逸してきた。
時間の流れるままに、ただただ生きてきた。
目指すものが上空にあるのならば、そこまで登るための階段を思い描く。
階段を造るために、その土台を形成する。
私はそれを放棄してきた。
不条理な世の中をただただ恨むだけ。
自分は何も持っていないと思い込み、持っている人を妬むだけ。
そのように時間だけが過ぎ去ってきた。
自分は何故生きているのか、何がしたいのかがわからなかった。
だいぶ前置きが長くなってしまったが、自分が何をしたいのか。
何をするべきなのかを考えている中で、一つだけ大切なものがわかった気がする為、今回の記事に残しておきたいと思う。
自己分析をしていく中で冒頭の「尊敬する人は誰ですか?」の質問を本気で考えてみた。
戦国武将や偉人、これまで出会った人達の中から考えてみたが、やはりピンと来ない。
ここで胸の奥に寂しさのような、悲しみのような、罪の意識のような、怒りのような、でもどこか温かく満たされた気分のような、何か言いようの無い感情が渦巻いていることに気付く。
その感情と向き合ってみると、一人の人の存在が浮かび上がってきた。
私の妻だ。
妻とは私が一番苦しかった時に出会っている。
その時の私は前妻と別れ、全てを失った気になって自暴自棄になっていた。
今考えれば最低な考えだとは思っているが、心の拠り所を求めていた時にたまたまそこにいたのが妻だった。
妻と付き合い始め5年が経った頃、私が30歳の時に夢中になれる仕事と出会い、妻と離れがむしゃらに働いていたのだが慣れない土地での孤独感に私は疲れ切っていた。
一緒に暮らそうと妻に話し、横浜に呼んだ際に同棲するならばと結婚した。
それから約10年。
妻と出会ってからは15年。
何故今まで気付くことが出来なかったのか。
私が心から尊敬している人は目の前にいた。
いや、尊敬というものがどういうものなのかを初めて認識出来たという方が正しい。
私は妻を尊敬している。
そう認識した瞬間に、妻と過ごした15年間のことが怒涛のように頭を巡った。
私の前では
いつも笑顔だ。
弱音を吐いたことが無い。
陰口を言わない。
不平不満を言わない。
いつもやる気に満ち溢れている。
勤勉で向上心も失わない。
感情的にならない。
付き合った当時、私が辛かった時には仕事終わりで疲れているにも関わらずすぐに駆けつけてくれ、朝まで一緒にいてくれた。
私がどれだけわがままや理不尽なことを言っても、全てを受け入れてくれた。
私が何かをしようとする時には必ず応援してくれた。
心が折れそうな時には寄り添い、支えてくれた。
一緒に暮らそうと言った時には、自分も家族と離れるのは寂しかっただろうが、すぐに駆けつけてくれた。
私が鬱になり仕事を辞める際にも、「頑張ったね」と労って頭を撫でてくれた。
鬱状態が酷く、私が一日家にいるにも関わらず何も出来なくても笑顔で私を責めることは無かった。
人によっては「それは普通のことだろ?」「そんなことに感動するのか?」等の意見もあるだろう。
本当に普通だろうか。
私には真似出来ない。
そんな人が私の目の前にいてくれる。
妻として現在も私を支えてくれている。
これまでも大切な人ではあった。
これからもそれは変わらないだろう。
だが、今回の気持ちに気付くことが出来たことで、私が妻に抱く愛の深さを改めてはっきりと認識することが出来た。
同時に妻が私を心から、深く愛してくれていることも認識出来た。
妻を尊敬するのは当然のこと。
確かにそうかもしれない。
本当に出来ていますか?
心から。
尊敬する人は一人でなくても良い。
だが、本当に大切な人を尊敬することだけは忘れたくない。
今更だが私は尊敬を知ることが出来た。
私というパズルのピースが一つ埋まったような気がした。
今自分を支えてくれている人は誰ですか?
本当に一人で頑張っていますか?
本当に孤独ですか?
自分の行動で悲しむ人はいませんか?
逆に自分の行動によって喜んでくれる人はいませんか?
私はこれから喜んでくれる人を探していこうと思います。
もちろん一番に喜んでもらうのは妻だ。
捨てなくて良かった。人生。 縁野 凜 @pssenrin24
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