竜に問う

あいろん

竜に問う

 ある地域では昔から、少女を一人選び竜神に捧げるという風習があった。捧げられる少女は巫女と呼ばれ、その短い生涯を不自由なく生きる。その風習は数百年も続いており——九百五代目の巫女、レナ・スティウスもまた、歴代の巫女と同じく、竜神様への供物として捧げられることとなった。


「レナ、竜神様は清潔な者を好む。しっかりとその身を清めるのじゃ」


 そう言うのはレナの住む村の村長だ。生まれた頃から巫女として育てられてきたレナは、育ての親でもある村長の言葉に、一切の疑念を抱かず「はい」と応じた。用意された桶の中にある水をかぶり、布切れで体の汚れを落としていく。冬の寒さが幼いレナの身を襲うが、まるで感覚がないかのように淡々と作業をこなしていった。


 一通り体を清めたレナは、一糸纏わぬ姿のまま村長に連れられ、村の倉庫へと向かった。そこにあるのは村の蓄えで、ここら一体の領主に納品する分、作物が育ちにくく生活が困難な冬を越す分など倉庫によって分かれており——その中でも一際大きな倉庫に入ると、村長はにこやかに笑って小さな壺と塗り薬のようなものを差し出した。


「レナや、これは竜神様の好物の火竜酒じゃ。その身と共に捧げるといい。そしてこの塗り薬は……竜神様を弱らせる薬じゃ。口の中や耳の中に塗るといい。ただし、これはお前にも効果がある。塗るのは竜神様の目の前に立ってからじゃ」


 一切の迷いもなく、レナはまた、「はい」と答えた。その眼には何も映っておらず、生きながらにして死んでいるかのようだ。村長もそのことにはずっと気づいており、気味が悪いと内心悪感情を向けていた。しかし自分たちのためにその身を捧げる巫女である以上、表面上では優しく振舞っていたのだった。


 数刻後、村の人々に別れを告げ、巫女服を着たレナは火竜酒と塗り薬を持ち、竜神の住まう社へと向かった。中に入ると、小さな蠟燭が一本立っているだけだった。レナはその蝋燭に——魔法を使った——火をつけると、小さな声で呟いた。


「門よ開け」


 竜神の住む社というが、実際にその場に竜神がいるわけではない。巫女が門を開けることで、社の裏手にある巨大な山への道が開け、その先に竜神はいるのだ。


  巫女であるレナの呼びかけに応じ、門は開かれた。社の奥——山に面していた場所 にある扉が、全開となっていた。それと同時に、風は吹いていないのに押し戻されそうなほどの圧が放たれた。


「これが……竜神様の力」


 それは魔法が存在するこの世界でも圧倒的なものであり、レナは竜神に対して、途方 もない恐れを感じた。それと共に、巫女として捧げられることへの強い抵抗も覚えた。しかしレナには……この道しかないのだ。逃げても連れ戻され、最終的には捧げられてしまう。ならば、無駄な抵抗はしない方がいい。聡明なレナは、それを十分理解していた。


 前に一歩踏み出し、門の先へと進んでいく。眩い光の道を通り、前へ、前へ。

そうしていつしか、竜神の目の前に来ていた。


 竜神はその名の通り竜の神。竜といえば生態系の頂点に君臨し、人々を襲い街を壊滅させる恐るべき存在なのだが———白銀の鱗を全身に纏いそこに鎮座する姿は得も言われぬ美しさがあった。


『主が、今回の巫女か』


 脳内に直接響く声。レナはそれを竜神様の声だとすぐに察した。そして礼を失することなく返答する。


「はい。私が此度の巫女。レナ、と申します」

『ふむ……レナ、レナか。覚えた」


 竜神は僅かに首を揺らした。


「ありがたき幸せ」


 そう言って恭しく頭を下げるレナに、竜神は穏やかに言った。


『よい、其方はこれより、我に喰われるのだ。心中穏やかではないだろう』

「……」


 レナは何も言わない。否、いえるはずがないのだ。竜神の不興を買えば多くの人々が犠牲になるかもしれないのだから。


『レナよ、ところで其方は、あの塗り薬を塗らないのか?』

「あっ」


 言われて気づいた。村長に渡された塗り薬を塗り忘れていたことに。しかしそれよりも———


「なぜ、知っておられるのですか?」


 その上なぜそのことを言ったのか。塗り薬は、竜神を弱らせるためのものだというのに。竜神はその問いかけに、これまた穏やかに答えた。


『あの塗り薬は、我が伝えたものだからな』

「え……」

『我はもとより死に場所を探していた。しかし遥か昔……初代の巫女はそのことを許してくれなかった。故に我は、竜に効く毒の生成方法を伝え、その身を捧げに来る巫女に塗るように仕向けたのだ』


 レナは竜神の言葉に驚きを隠せなかった。竜神はなぜ死にたいのか。ならばなぜ、態々巫女の命を奪う必要があるのか。色んな疑問が頭の中を渦巻いたが———


 竜神の流す涙を見て、そのすべてが吹き飛んだ。


「なぜ、泣いているのですか?」

『それは……何時まで経ってもこの身は滅びぬことはないからだろう。私は無意識に、それを嘆いているのだな』

「そういうことではありません!」


 レナは怒った。目の前にいるのが竜神という、途方もない怪物であることも忘れて怒り狂った。


「数々の巫女の命を奪ってきた貴方には、泣く資格などあるはずがないでしょう!」

『む……』

「泣きたいのは此方です。なぜ効くかもわからない毒を体に塗り、この身を蝕まれながら貴方に食まれ生涯を終えねばならなのですか。私はまだ、十年と少ししか生きていません。他の人とは違って愛する人もできることがなく、ただ都合の良い巫女として生きてきました。そしてそれを強いているのは、その強大な力で人々を恐れさせる貴方なのですよ!」


 はぁはぁと荒い息をして、大量の汗をかきながら竜神を睨みつけるレナ。その姿に竜神は——心の底から、申し訳なく思った。


『すまぬ。すべて我が悪い』

「ええ、だからそう言っているでしょう!」

『ゆえに!レナ、其方はその身を捧げずともよい』

「え……?」


 竜神の衝撃の一言に、レナは仰天した。そんなの、考えたこともなかったのだ。自分が来るべき死の運命から逃れられることなど、ありえないと思っていたのだ。


『愛する人を作り、ともに生き、命を育み安らかに眠るがよい。我は独りで、この命を絶って見せよう』


 そういった竜神は、空へと羽ばたいた。


 そうしてその場に残されたレナは……


「ありがとうございます」


 そう呟いて、その場を辞したのだった。


その後、レナは村を出て旅をして、その先で出会った男と結婚し、数十年後、安らかな死を迎えた。

そして竜神の末路は、神のみぞ知る

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