猫舌とカップ麺とコバヤシ

ニルニル

ひとつカップ麺との闘い

「無茶だ、屋上から地上へ、カップ麺のお湯をそそぐだなんて!」

「無茶さ……。無茶だからやるんだ」


僕たちがいる高校の屋上からは、地上にカップ麺のフタを半分開けながら待っているコバヤシが見える。コバヤシは、そのふくよかな頬と脂ぎった額に汗を流しながら、いつもの愛嬌ある丸っこい巨体で大切にカップ麺を抱えている。


「無鉄砲すぎる! 理由は……? なんでこんなことをするんだ!」


僕はやつの言葉を待った。やつは……ゆっくりと口を開いた。


「……猫舌だからさ……」

「なに……!?」

「俺は……猫舌なんだ……!」


熱いものを食べられない。あのうわさに聞く猫舌―――ネコジタ―――なのだと、僕の親友は言った。僕は信じられない気持ちでいっぱいになった。なんだって、それじゃあこいつは、あっつあつのたこ焼きや、あっつあつでとろけるチーズの載ったグラタンや、あっつあつの肉汁あふれる小籠包が、適温になるまでふーふーしないと食べられないっていうのか……!? そんな馬鹿な話があるかよ!


「なんで言ってくれなかったんだ……!」

「なんでだろうな……。ただ……俺は今日、俺の特性―――ネコジタ―――に対して一つの答えを出そうとしている」

「それが……屋上から地上のカップ麺にお湯をそそぐことだっていうのか!?」

「ああ」


僕の親友はうなずいた。


「お湯を地上にそそぐまでの間に、お湯は屋上から地上までの空気に触れ続ける。必ずそれは、俺のような猫舌でも口に含める、適温になるはずだ!」

「それで……屋上から地上に、カップ麺のお湯をそそごうと……」

「そうさ」


親友はこっくりうなずき、


「コバヤシ! 準備はいいか!」


やつは地上で待機する丸っこい肉塊、コバヤシに声をかけた。


「いつでもいいでふよ!」


コバヤシのいつもの元気な声を聞き、僕たちには自信が満ちた!


「やるぞ! 決行の時だ!」

「ああ! やろう!」



親友がケトルを傾けると、そこからはもわもわと湯気の立つ熱湯が、透明な雫たちを真夏の空にきらきら輝かせながら飛び立った!

ケトルから発射されたあっつあつのお湯は、屋上から四階、三階、二階、地上へとあやまたず飛んでいく! その透明な液体から噴出されていたあっつあっつの証拠―――ほわほわの湯気―――が、地上へ届くにつれなくなっていっていることを、僕たちは祈った。


「よし!」


やつがケトルの傾きを元に戻し、地上のコバヤシに声をかける。


「コバヤシー! どうだー!?」

「ばっちり入ったでふよー!」


コバヤシからは確かな手ごたえ。僕たちは顔を見合わせた。


「行こう! コバヤシのもとへ!」



そこからの目まぐるしい変遷は、正直よく思い返せない。ただ僕たちはひどく落胆した、ということだけがわかっている。


「麺がほぐれない……だと……」


うかつだった。カップ麺の麺になんであっつあつのお湯をそそぎこむのか。僕たちは根本的なところがわかっていなかった!


「うそだろ……。カップ麺って、ぬるめのお湯じゃ食べられないのかよ……」


親友はがっくりと膝をついている。物欲しそうにカップを見やるその目が、ひどく悲しそうに見えた。視線の先のカップ麺は、頼りない温度のお湯で満ちている、まったく麺がほぐれていないしろものなのだ。僕は目頭が熱くなり、前が見えなくなってきた。


「ちくしょう、これじゃあお前のお昼ごはんが……!」


涙ながらに叫ぶ僕。親友は、首を振った。


「いいんだ。お前だって、コバヤシだって精一杯俺のことを支えてくれただろ。それだけで俺はじゅうぶんなんだ」


言いながら親友は、僕の肩と、コバヤシの丸い、白いシャツがパツパツに張っている肩をぽんと叩いた。

僕は泣いている。やつも泣いている。コバヤシは……コバヤシは、この状況には似つかわしくなく、決意に満ちあふれた目をしていた。


「あきらめるのは早いでふよ!!」

「コバヤシ……!?」


見ればコバヤシは、どこから出したのか自身の巨体の周りに大量の菓子パンの山を築いていた。


「おいらに任せるでふ!!」

「コバヤシ、なにをする気だ―――!?」


コバヤシは、ものすごい勢いで菓子パンを次から次へ口に放り込んでいく。見る間に菓子パンの山が消えていく―――!あっけにとられていた僕たちは、次第にやつから漂うものに気づいた。


「あつっ……!?」


そう。圧倒的な熱量。僕はピンときた。


「そうか!」

「!? 何が起きているんだ!?」

「コバヤシの胃に、血が集まっているんだ!」


大量の菓子パンを放り込まれたコバヤシの胃、体の中心にその巨体を維持する血液が集まって、コバヤシは中心から全身へボッと燃えるような熱さに包まれた! そして―――


「コバヤシ、カップ麺をどうするんだ!? そいつは食べられないしろもので……」


コバヤシはぬるいお湯で麺がほぐれなかったカップ麺を、己の中心、胃袋の真上に押し付け、温め始めた! 温度を遮断する機能のあるカップ麺の容器という壁をぶち破って、コバヤシの熱気はカップ麺内部にそそぎこまれる―――!

そして、ついに!!


「あっつあっつになったでふよ……」


コバヤシの熱気のもと、カップ麺は生まれ変わっていた。麵がほぐれた、スープの混ざったおいしいカップ麺に……!

目を輝かせる僕たち。しかし、隣にいる親友の顔は徐々に曇っていった。


「コバヤシ……! でも……」


はっとする。そうだ、僕の親友は猫舌だ! あっつあっつのカップ麺では食べることができない!

しかしコバヤシはうなずいた!


「任せるでふよ!」


そして大きく息を吸い込む。大きく、大きく―――


「コバヤシ、何をする気なんだ……!?」


僕たちが戸惑っている間にも、コバヤシは吸う息で膨らみ続け、そしてその時は訪れた!


「フゥーーーッ、フウーーー……!!」

「こっ、これは―――!?」

「そうか!」僕はピンときた。


「コバヤシは声楽部だ! 部の中でも圧倒的な声量を持つバリトン担当!」


そのケタ違いの声量を生み出す肺にこれでもかと詰め込まれた空気で、今超弩級の『ふーふー』をしている……! 僕は状況を理解した。

コバヤシの『ふーふー』は、カップ麺の表面のスープを激しく波経たせながらも一滴もこぼさない、すさまじいものだった!そして風がやむ―――


「ちょうどいい温度になったでふよ……」

「コバヤシ……!」


ちょうどいい温度のスープに野菜、ちゃんと戻ってほぐれていながら決して熱々ではない麺! 親友のお昼ごはんが完成だ!!


「ついに、ついにやったぞー!!」「ありがとうコバヤシ、ありがとう!!」


親友は僕とコバヤシに感謝をつげ、三人は抱き合い、跳び上がっては喜んだ。中でもコバヤシのまんまるな笑顔はピカいちだ!

僕たち三人は並んでお昼ご飯を食べることにした。僕はあっつあつのたこ焼き、親友は適温のカップ麺、コバヤシはまたどこから取り出したのか、菓子パンの山だ!

ありがとう、コバヤシ! やっぱりコバヤシ! なんてったって、コバヤシさ!!



おしまい

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猫舌とカップ麺とコバヤシ ニルニル @nil-nil

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