第8話 大団円

 普通であれば、

「その指紋は、今回の二人とは関係のない、その前に利用した人の指紋が残っていたのではないか?」

 とも考えられたが、いくつかの場所から、その指紋が検出されたのだが、一つは歯ブラシから検出されたというのだ。

 ホテルの清掃員に聴けば、

「ホテルの歯ブラシや歯磨き粉などの消耗品は、前の人が使用しようが使用していまいが、毎回新しいのに変えていますので、少なくとも、直前に部屋を利用した人のものでないとおかしいことになります」

 ということであった。

 もっとも、これはラブホテルに限ったことではないだろうと、刑事も思い、その言葉をもっともだと思ったのだった。

 今回の事件が、普通であれば、ただの殺人未遂ということで、それほど大げさにはならないはずだったが、前の誘拐殺人事件に絡んでくると話は変わってくる。

「令嬢を誘拐し、さらに殺害した場所に残っていた指紋が、また風俗嬢への殺人未遂の場所にあったということは、一種の連続殺人ということなのか?」

 ということで、被害者二人の関係が、注目された。

 発見された風俗嬢、彼女は、源氏名をつむぎというのは、前述のとおりで分かっていることだったが、警察が初めてその名前を聞いた時、

「つむぎ? 被害者令嬢の名前は、つぐみだったよな? これってただの偶然なんだろうか?」

 ということであった。

 ただ、この時、刑事の一人は、今回のラブホテルでの事件を、

「本当に殺人未遂なのだろうか?」

 とも考えていた。

 というのも、

「被害者を殺すつもりがあるのであれば、睡眠薬という中途半端なことをせずに、一思いに刺し殺すなどできなかったのか?」

 ということであった。

「自殺に見せかけようとしたのでは?」

 ということも言われたが、

「自殺に見せかけようというのは、最初から無理があるだろう? それだったら、何もデリヘルとして呼び出すことをせずに、彼女が一人のところを密かに一緒にいるかのような方法の方がいくらでもありそうな気がするんだ。しかも、防犯カメラに映ることを分かっているからこそ、女物の外套や帽子を用意してここから逃げたわけだろう? だったら、何かの犯行を計画していたことは間違いない。だとすると、彼女が死ななかったということに何か秘密があるような気がするんだ」

 というのだった。

「なるほど、そういわれてみると、単純な殺人未遂だとは思えないな」

 ともう一人がいうと、

「そうでしょう? 殺そうとするなら、もっと確実な方法がありそうなのに、敢えて睡眠薬にして、実際に死んでいない。それなのに、変装したりして逃げているのは、何かあるのではないかと思うんですよ。しかも、そこに、以前の本当の殺人事件の現場に残された指紋が残っているというのは、何かできすぎているとは思わないか?」

「ええ、確かにそうですね。少なくとも、前の殺人現場に指紋が残っているということも、殺人事件としては、あまりにも雑であるし、今回だって、べたべたと指紋が残っている。まるで、今回の事件で、前の事件を思い出させるようなそんな感じ、これをどう解釈すればいいんでしょうね?」

 というと、

「確かにそうです。そういえば、私は、前の令嬢殺人事件の話も、少しだけ聴いてみたんですが、あちらも少しおかしい感じがするんですよ。特に、誘拐したにも関わらず、身代金要求などはなく、誘拐宣言をしただけで、ずっと音沙汰がなかったのに、急に殺害されているということだったといいますからね」

 という。

「そうなんだよな。この二つの事件で、これは考えすぎかもしれないが、片方は、つぐみ、もう一人はつむぎ、名前が片方は源氏名だということなので、偶然なのかも知れないが、逆にいえば、源氏名などはいくらでも任意につけることができる中で、共通点のある、殺人、あるいは殺人未遂事件と、被害者と似た名前を付けるというのは、偶然としてはできすぎているように思うのはおれだけなんだろうか?」

 と言った。

「そうですね、本当に紛らわしいですよね。しかも、今回の事件でも、まるで犯人、あるいは犯人と思える人が、まるで変装をして、すぐにわかるようなことをわざとしているように思うと、どちらの事件も、事件ということ自体。どこかつかみどころのない感じがして、不可思議なんですよね。何か犯人、あるいは、犯人と目される人間の何か強い意志がそこにあるような気がするんです」

 という。

「もう一つ気になったのは、どっちも、ナイフを使った一思いではないということなんだよな。もちろん、ナイフを使うと、返り血を浴びたりするというのもあるんだが、絞殺などは、よほど、相手が動きを封じておかないとできないことだろうし、暴れられると絞殺は難しいのではないだろうか? 誘拐しているわけだから、最初から、身体の自由を奪っていたということはいえるかも知れないが、それでも、必死になって抵抗すれば、身体に縄の後が抵抗した様子を生々しく残すものではないんだろうか? 実際にあったのかどうかまでは分からないが、今回の事件にいかに関わっているかということが気になるところではあるよな」

 と言った、

 とりあえず、令嬢殺人事件に、今回の殺人無水事件が関わっていることから、事件が意外な展開へと向かっていることは分かったというものだ。

 捜査本部が置かれていたところに、今回の事件も関わっているということで、こちらの捜査も追加された。

 それにしても、かたや、

「財閥令嬢殺人事件」

 という世間を騒がせるには十分ば事件のわりに、

「風俗嬢、殺人未遂事件」

 という、単独では、話題にもならないような話が結びついてくるなど、誰が想像したことだろうか?

 そもそも、

「二つ目の事件が、本当に殺人未遂なのか、疑わしい」

 と思っている人も多い、ただ、令嬢事件と同じ指紋が検出されなければ、きっと誰もが、殺人未遂自体を疑ったとしても無理はなかった。

「この二つの事件を、犯人は、どうしても結びつけたかったということなんだろうか?」

 と、事件がどうしても、極端に思えて、結びつけることが、頭の固い人では難しいだろう。

「指紋さえ一致しなければ、まったく別の事件だったはずなのだよな」

 ということになると、ラブホに残っていた指紋のあからさまさ。

 さらには、最初の殺人現場に、まるで、

「犯人はこの指紋の人間なんだ」

 といわんばかりのわざとらしさであった。

 つまり、一番重要な証拠である指紋を、一つだけではなく、二つまでも、これ見よがしに残している。このわざとらしさが、どのような意味を持つというのか、それがこの事件の一番の問題点なのではないだろうか?

 それを思うと、

「この事件には、不思議なこと、疑問に感じること。それも、根本的なところで多いということが、わざとらしさに繋がっていき、いずれ、事件をややこしくするか、その理由が分かることで、急転直下の解決を見るかも知れない」

 と思い、

「それだけ、この事件には、両極端さというものを秘めているということになるのかも知れない」

 とも考えられるのではないかと思うのだった。

 そんなことを考えていると、

「一体何から捜査すればいいのか、最初から分からないではないか」

 ということになってくる。

 つまりは、ここで、殺人未遂事件が絡んできたことで、却って、事件が複雑になってきた。

「まさか、それが犯人の狙いではないか?」

 とも考えられた。

 しかし、下手に混乱させるためとはいえ、策を弄しすぎると、どこから事件の真相が漏れるか分からない。これも経済学と一緒に、

「いかに最小の労力で、事件を形成するか」

 ということが大切になってくるのであろう。

 事件はそれから、

「つぐみと、つむぎ」

 という二人の紛らわしい女性の共通点から少しずつ分かってきた。

「二人は、大学も同じだったようだね」

 ということだったが、彼女たちは、別に知り合いだったというわけではなかったようだ。

 ただ、一度、偶然別荘地で仲良くなり、そこで数日過ごしたようだが、不慮の事故が起こり、それから、二人は、まったく連絡を取っていなかったという。そして、その不慮事故というのは、柏田誠一の妹である、つばさが水死するという、例の、

「池でのボート転覆事件」

 だったという。

 その時助かったのは、つぐみとつむぎの二人だった。不幸にもつばさだけが死ぬことになったのだが、つぐみとつばさは、もちろん、顔見知りところか、親の関係から考えると、その関係性は明らかである。

 その時のことを振り返ってみると、あくまでも想像でしかないが、兄の誠一は考えていた。

 ボートが転覆したのは、もちろん、誰かの意志だったというわけではないと思う。もし本当に殺そうとするのであれば、もっと確実で安全な方法を考えるだろう。自分の命を危険に晒してまで、相手を殺そうとする明確な理由が、まったく分からないからである。

 当の本人のつばさが分かっていない。わかっていれば、もう少し警戒するはずだ。

「なぜ、殺されなければいけないのか?」

 殺される理由があったとしても、ボート転覆などという事件では、怪しまれるのは当たり前、しかも、自分がそばにいて、自分も危険に晒されるというのは、あまりにもリスクが高い。

 それを分かっているのだとすれば。あと考えられるのは、これが本当に事故であり、三人がすべて助かることは困難だが、二人までは助かる可能性があると考えた時、

「つかさが、まさか、自分を犠牲にしてでも、つぐみを助けることで、すべてがうまくいくと考えたのかも知れない」

 ということだ。

 これは、刑事訴訟法における

「違法性阻却の事由」

 と呼ばれるもので、

「正当防衛」

「緊急避難」

 などと呼ばれるものの一つの、

「緊急避難」

 にあたる。

 二人乗りのボートに3人が来た時、3人だと全滅する場合に、2人が助かるというために、一人が犠牲になった場合、後の二人が、もう一人を見殺しにしたとしても、無罪であるというものだ。

 確かに、それは仕方のないことだろう。

「人を犠牲にしないと、自分が助からないのであれば、その人を責めることはできない。それは、少しでも良心があるのであれば、自分が同じ立場になった時を考えたり、何よりも、その人は、これから一生、自分が人を犠牲にしてまで生き残ったということをトラウマにしながら生き続けなければいけない。これは下手をすれば、死ぬことよりもつらいといわれることなのかも知れない」

 と考えられるのだ。

 事件としては、単純なものだった。だが、人それぞれの気持ちには歯止めが利かないのだろう。

 犯人は、誠一だった。もちろん、目的は復讐。

 真相は分からないが、誠一としては、つぐみが許せなかった。ひょっとすると、

「私はあなたの主人なのよ」

 などということを言ったかも知れない。

 だからと言って、こんな状況になったら、もう主人だろうが、従者だろうが関係ない。そういって、つばさが、助かろうと思えばできたはずだ。

 しかし敢えてそれをせず、結果的につむぎは生き残った。

 にも関わらず、表から見ていて、彼女に、

「つばさの犠牲のもとで自分が生きている」

 という気持ちはなさそうだった。

 どちらかというと、

「あの時のことは、早く忘れたい」

 とまわりに話しているという。

 気持ちは分からなくはないが、どうしても、自分の家が従者という立場で、どうやっても、逃れることのできないことだと思うと、どこかで、この因縁を断ち切らなければと思うようになった。

 そうなると、憎しみは増加するだけだった。

「つむぎを殺そう」

 と思ったのは、その時だった。

「恐ろしい呪縛というものから逃れるためには、どこかで呪縛の綱をぶち切るしかない。そのために、自分が殺人犯で捕まったとしても、それが、妹の供養になるのであれば、それでいいのだ」

 と考えた。

 つむぎに対しては一切の恨みはない。ただ、黙って見ているだけだった彼女は無理もないことなのだが、だが、妹の命を背負って生きていくには、自覚が足りない。

 なによりも、誠一には、

「自分の人生を諦めているようにしか見えない」

 と感じたことだった。

 それが悔しかった。

 だから、殺すつもりはなかったし、反省を促すことができればいいと思ったに違いなかった。

 そもそも、つむぎの件がなければ、事件はもっと複雑になっていただろうが、誠一にはもうよかった。逃げる気もないし、ここで捕まっても、別にいいと思っている。

 もう、つぐみも恨んではいない。これからは、自分が供養をしてやろうとすら思っている。

 だから、警察に捕まることは、問題ではなかった。

 彼にとっての目的は達成されたのだ。

 だが、警察がどうしてこの事件で、誠一を怪しいと思ったのか?

 それは、

「犯行にナイフが使われていなかった」

 ということだった。

 誠一は、最近新興宗教に入信していた。もちろん、妹の供養のために入信したのだったが、その宗教では、

「血というものを露骨に見ることを意味嫌い。血が交わることも本当は問題だと思っている。ただ、輸血などのやむを得ない時はしょうがないというような新興宗教だったのである」

 だから、ナイフなどで血が噴き出すことはできなかった。つむぎにしても、睡眠薬よりも、ナイフか何かで、軽く傷つけるだけでよかっただろう。

 それをなぜしないのかということを考えることで、警察も分かったのだ。

 ちなみに、つむぎという源氏名だが、あの事故の後、つむぎは供養のつもりでつぐみと同じ呪縛を感じていくというつもりで、似た名前をつけたのだった。

「つぐみ」

 と、

「つむぎ」

 それぞれに、忌み名だったというわけだ。

 つまりは、

「神に対して身を清め、汚れを避けて慎む」

 という意味の供養だったのだった……。


                 (  完  )

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忌み名 森本 晃次 @kakku

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