第7話 睡眠薬
つむぎを助けたその男は、つむぎの客というわけではなかった、
つむぎもその人を直接知っていたわけでもない。男が勝手につむぎを意識していたのだった。
だが、まったく関係のない人間がそんなことをするはずもない。どこかに関係があるはずだ。
一人の悪い客を撃退した時点では、二人に接点もなければ、顔見知りでもなかった。ただ、相手の男はつむぎの存在を知っていて、
「彼女を助けなければならない」
という思いはあったはずだった。
そういう意味で、いたはずなのに、この時点まで、つむぎの前に現れなかったのは、その男が、控えめな性格であったり、ガールシャイなところがあるからなのかと思ったが、その男を退けると、今までになかった積極さで、つむぎに近づいたのだ。
その頃つむぎは、すでに店でもナンバー3には入った人気者だった。店のホームページの表紙を飾ったりすることが多くなったのも、この頃だった。
同じような人気の女の子たちは、皆すでにベテランとなっていて、年齢も少々高めだったので、ちょうど新しい看板になる子がほしかった店からすれば、つむぎは恰好の女性であった。
もちろん、ホームページやパネルでは、目だけは出していたが、顔が分からないように加工している。
いわゆる、
「パネルマジック」
「パネマジ」
と呼ばれるものであった。
それでも、つむぎの容姿は、
「逆パネマジ」
と呼ばれ、
「他の女の子たちと比べても、全然見劣りしない」
というものであった。
実際には、
「容姿よりも、性格重視」
というのが、この店の売りだったようだが、つむぎの場合は性格もテクニックもレベルが高く、さらには顔も端正で、申し分ないとすると、売れるのも当たり前というものだ。
中には前のソープの頃の彼女を知っている人もいるが、
「まったくの別人になってしまっている」
といわれていた。
要するに、別人ではあり、きれいになっているのだが、前の彼女を知っている人は、つむぎを指名しようとはしない。
実は、この男も、昔のつむぎを知っていた。お客として入ったこともあり、それは一度だけだったのだが、入った感想としては、
「可もなく不可もなく」
ということだったようだ。
だから、再度リピートするところまではないと思い、彼女のことを忘れていたのかも知れないほど、まったく接点がなかったのだ。
だから、男は、つむぎが前の店を辞めたことも知らなかった。
辞めたのを知った時、彼女のことが急に気になり、どこに移ったのかということを、必死で調べたものだった。
それで移った場所を分かったのだが、必死になって探したわりに、指名しようと思わなかった。
「どこにいるかということが分かっただけで、それだけでよかった」
という思いに至ったのであった。
つむぎとすれば、彼がどんな男だったかということを覚えているはずもないし、彼にとっても、つむぎを意識しているわけではなかった。
それなのに、どうしてつぐみを気にするようになったのかというと、
「知っている女性に名前が似ていた」
ということからであった。
その女性を好きだったのかといわれると、
「好きだったというよりも、憎んでいた」
と言った方がいいかも知れない。
その女性は、実はこの間殺されたつぐみであった。そう、弘前つぐみである。
弘前つぐみが誰の手で殺されたのかということも警察にも誰にも分からなかった。
だが、警察の方で捜査が続けられる中で、一人の男が捜査線上に浮かんできたのだが、その男は名前を柏田誠一という。
柏田誠一という男は、弘前家にではなく、つぐみに対してだけ、恨みを抱いていたのだった。
ただ、この誠一という男、ハッキリとその正体が掴めていない。母親は父親がハッキリしない子供を産んだということだった。
最初は、結婚した相手との子供だということだったのだが、旦那が、子供の生まれた日にちや何かで、結婚前の子供だということを知ったようだったのだ。
二人の結婚は、まわりからせかされての結婚だったのだが、それをせかしたのは、どうやら、執権夫婦が絡んでいるようで、ウワサとしては、
「執権家の旦那が、手を出したのではないか」
といわれたようだが、
「根も葉もないうわさだ」
ということで、処理された。
だから、柏田誠一の出生の秘密も、語られることはなかったという。
母親は、すでに他界していて、今では、柏田一人、一般企業に就職し、普通に生活をしていた。
しかし、いつもどこかから仕送りがあるようで、銀行の柏田の口座に、
「生活費」
ということで、振り込まれていた。
その生活費を送ってくる相手に心当たりはない。もちろん、母親は知っているようだったが、その人がどこの誰なのか分からなかった。柏田は聞くつもりもなかったし、
「母親が死んだ後なので、助かる」
という、
「背に腹は代えられない」
という意識もあった。
そんな、
「あしながおじさん」
ではあったが、心の中では、
「きっと、育ての親なのだろう」
と思っていた。
養育費であれば、20歳まででいいのだろうが、やはり母親に対して、
「悪いことをした」
という思いがあるからなのだろうか、今でも送り続けているようだ。
実はそれを送り続けているのが、現在の執権だった。
彼の苗字も柏田といい、誠一の母親は苗字を、
「城田」
と言ったのに、自分が、
「柏田」
というのを名乗っているというのをおかしいと思いながらも、次第に、
「これが父親の苗字か」
と思うようになった。
父親が認知してくれているとのことであったが、自分から頼っていくつもりはなかった。母親も、
「それだけはやめてほしい」
と思っていたのだろう。
しかし、思ってはいたが、誠一には決して、
「お父さんに会いたいなんて思わないで」
と言いたかったのだが、どうしても言えなかったのだ。
そんなジレンマを抱きながら、母親は病気で死んでいった。
「一生、抱えたジレンマであれば、この俺が、今度は地獄まで持っていってやる」
と、母親の墓前に誓ったくらいだった。
そういう意味で、
「せめて、母親は、父親の姓を名乗らせてあげたかったのだろう」
と息子に感じていたのかも知れない。
息子は、
「どっちでもいい」
という思いの中で、
「母親が死ぬまでは、このまま柏田でいよう」
と思った。
しかし、母親があっけなく死んでしまうと、柏田は、
「苗字のことなど、どうでもいい」
と思うようになっていた。
「おかあさんは、俺にどうしてほしかったのだろう?」
と、父親に関しては、まったく意識していないような母親だったが、認知のこと、そして、養育費のことに関しては、かなり尽力したということだった。
柏田家の方でも、弘前財閥の執権として、いくらナンバー2とはいえ、その実力は、
「国家でも動かせるのではないか?」
と思うほどの実力だったが、性分が、そもそも、
「表には出ない」
というものだっただけに、よほどのことがなければ、表情を変えることもなかった。
それだけに、
「彼が顔色を変えるくらいだったら、相当なことだ」
といわれるようになったのだ。
それは、当主の弘前氏が一番よく分かっていて、
「やつほど、執事、執権にふさわしい人間はいない」
といっていた。
彼は、
「当主の立場が悪くなった時には、自分が表に出て、その攻撃を防ぐ」
ということや、
「裏の汚い仕事もすべてを引き受ける」
という両面を請け負っていたので、本当に律義であるのは、証明済みであった。
だから、そのストレスからか、若い自分には、女遊びをすることは是非もないことであった。
だから、羽目を外すこともあり、誠一が生まれたのも、ある意味、
「若気の至り」
ということであったのだろう。
しかし、そこから先は他の成り上がりの連中とは違い、しっかりしていた。何と言っても、
「弘前財閥を、裏から支える」
という使命を持っているのだから、スキャンダルなどあってはならないことだ。
スキャンダルになるくらいであれば、キチンと認知し、養育費も払う。そのどちらも、そんなに痛手ではなかった。それくらいのお金は弘前財閥から出ているし、普段表に出るわけではないので、執権が外で女を作り、子供を作っていたとしても、別に問題になるわけではなかった。
弘前財閥は、きれいな商売をしていた。
それは表から見ていて、そう思われるだけなのかも知れないが、それだけではないだろう。
それが、
「執権:柏田家」
の面目躍如たるものだった。
ただ、息子である誠一は、母親に対して、日陰に押しやった父親を許すことはできないと思っていた。
「父親自体が決して表に出るわけではないのだから、そんな父親に奥に追いやられた母親は、一体どうなるというのだ?」
ということであった。
母親が死ぬ時、
「後は、お前の好きに生きなさい。お前はもうそれができる年齢にもなったし、それだけの資格があるんだ。私はこのまま死ぬけど、心残りは父親のこと」
といって、こと切れたのだった。
「おかあさんは何が言いたかったのだろう?」
という思いが誠一の中にくすぶっていた。
くすぶっているだけに、次第に不安になる自分を感じていた。
「ただでさえ、お母さんが死んで、心細いのに」
と思っていた。
何を言いたかったのか、想像もつかないが、母親は言ったではないか?
「お前の好きなようにしていい」
とである。
そこで、誠一は、何か思うところがあった。そして、最初はつぐみに近づいたのだが、つぐみという女性は、
「いかにも、財閥というお金持ちの家の家族だ」
と思った。
誠一には、妹がいた。
その妹は、誠一よりお5つ年下だったのだが、今の誠一が、28歳だが、
「生きていれば、23歳になっているよな」
と思っていた。
そう、
「生きていれば」
という問題があるのだ。
妹は、母親が、自分を生んでから育てるために、勤めた小料理屋で主人をしていた人との間にできた子供だった。
しかし、今度はキチンと結婚した相手の子供だから、普通に幸せに生まれた妹だったのだ。
そんな妹のだったが、せっかく結婚した母親だったのだが妹が中学二年生の時、離婚した。
すでに、誠一は高校を卒業して就職していたので、母親から、
「お義父さんと離婚しようかと思うんだけど」
と相談を持ち掛けられたが、
「もう、俺はどっちでもいいよ。俺に相談するよりも、妹の心配をしてあげた方がいいんじゃない?」
といわれた。
母親は、
「誠一はそう言ってくれると思ったわよ。でも、好きなようにしていいといわれることが一番辛いということを覚えておいた方がいいよ」
と言ったが、母親が死の間際に、
「お前は自由に生きればいい」
と言ったのと同じ口がいうのかと思う程であった。
「死の間際のたわごとのようなものではないか?」
といってしまえばそれまでだが、実際にどうなのか分からない。
本心から、息子に、
「自由にしなさい」
と言いたかったのか、それも、自由にするという無限の可能性や選択肢があることを、病の床で意識すらできなかったのかも知れないと思うのだった。
ただ、息子としては、
「母親のたわごとだ」
と思いたかった。
だが、後から思えば、母親の言ったことは至極当然のことであり、それに抗うことはできないような気がするのであったのだ。
しかし、先ほど妹のことを、
「生きていれば」
と言ったのだが、
あれは、両親が離婚してからのことで、彼女が短大に入学した年、大学の友達と、山へキャンプに行った時のことだった。
池でボートを漕いでいたということなのだが、ボートが転覆し、三人が池に放り出されたのだが、その中に妹もいたようで、助けられはしたが、その中で妹だけが、水をたくさん飲んでいての水死だったというのだ。
だが誠一も母親も信じられなかった。
「妹は泳ぎは達者だったはずなのだ。少なくとも、もっと抗うはずである」
と思ったのだが、警察の検死報告としては、
「抗った様子は見られない。池に投げ出されて、身動きが取れない状態で、結局水を飲んでしまい、動けなくなったのではないか?」
ということであった。
だが、いくら水をたくさん飲んだからといって、簡単に死ぬわけはないということから、
「そこに何かある。他の人の証言も聞いてみたい」
と思っているようだった。
その時の状況を警察にもう少し捜査してもらうように話をしたが、警察は、
「十分に捜査した」
として、それ以上動こうとはしてくれない。
これが、他人事であれば、
「やはり警察は自分から動こうとはしない」
普段は何かが起こってからしか動いてくれないくせに、実際に何かがあっても、必死には動こうとしない。通り一遍の捜査をやっただけで、やったということを示しているだけなのだ。
警察というところは、国家権力に弱く、そして、一般市民に対しては、まるで公務員のごとくである。
「俺たちはできるだけのことはやった」
という証拠らしいものを提出すれば、あとはどうでもいいという考えだ。政治家と一緒で、
「自分たちさえよければいいんだ」
ということではないだろうか。
警察というところは、本当に縦割り社会で、横のつながりが縄張り意識があって、どうしようもない。
そんな組織だからこそ、何かあっても助けてくれるわけではない。
政府だってそうだ。
数年前に起こった、
「世界的なパンデミック」
だって、確かに最初は、国家が主導して、書く自治体から、緊急事態宣言の発令などを行ってもらいたいがために、何とか努力をしていたが、そのうちに、
「経済も回さないといけない」
などと言って、感染が爆発し、医療がひっ迫し、さらには、崩壊しているにも関わらず、
「表ではマスクを外してもいい」
などといい、お盆などの民族が移動する時にも、行動制限を掛けようとしない。
しかも、国家の中心であるソーリが、何と自身の夏休み中に、感染するという、実に情けなく恥ずかしいことになっているのに、それでも、まだ、体勢を治そうとはしない。
つまり、
「自分の命は自分で守れ」
といっているに過ぎないではないか。
つまりは、
「国は、お前たちを縛ったりはしないが、それで蔓延して死んでも、国の責任ではない」
ということが言いたいのだ。
確かに、元々国家がいろいろ動いてくれて、もちろん、お粗末な政策があったこともあったが、それでも、
「国民を救おう」
という気持ちが見えた。
その代わり、あからさまに、自分たちの利益を追求するやり方を取っていたりするので、腹が立つのだが、それでも、国家として、国民を盾に逃げ出そうとするような、ひどいことはない。
昔の戦争では、腰抜け将校のいるところでは、一般市民を盾にして、逃げようと考える輩もいたようだが、今の政府は、その連中とほぼ変わりない。露骨なことをしているくせに、姑息にごまかそうとしている態度が情けないのだった。
そんなことを考えていると、
「今回の犯罪捜査をする警察も、完全にやる気がないのが分かり切っていて、一人でもやる気のある人がいても、すべてをやる気のない人間の、
「多数決」
で踏みにじられるのであった。
「そんな時代を、一体何度繰り返そうというのだろうか?」
と言えるのではないだろうか?
国家というのは、
「国民を守るという義務があり、そのために税金を取っているのではないか? 言い方は悪いが、封建制度の、「ご恩と奉公」ということと同じではないだろうか?」
どちらからだけでも、うまくいかない。それぞれがお互いを思いやって、相手との共存を考える。それができずに、何が、
「民主国家」
「法治国家」
と言えるのだろうか?
そんな中、あるホテルで、一人の女性がこん睡状態で発見された。
その女性がデリヘル嬢であることはすぐに分かった。なぜなら、そのお部屋に、数時間前、
「連れです」
といって、女性がその部屋の番号を指定し、フロントを通して部屋に入ったからだった。
デリヘルというところは、表で待ち合わせをして、男女一緒にホテルに入るということはあまりない。
最初からそれをコンセプトにして、システムが作られている店というのもあるが、基本は、男性がホテルの部屋に入っていて、女性がそこに入るというのが、基本となっている。
だから、ホテル側も、男性一人の客は普通に当たり前のことであり、後から女性の連れがくるというのも当たり前だと思っている。そして、その場合のほとんどが、デリヘル利用であるということも分かるであろう。
実際に昼間のラブホの利用は、そのほとんどが、デリヘルではないだろうか?
昔であれば、旦那が昼働いている間に、奥さんが別の男と不倫をするということに使っているというイメージだった。
夕方近くになると、
「夕飯の買い物」
あるいは、
「保育所に子供を迎えにいかないといけない」
などと言って、そそくさと帰っていく奥さんがいただろう。
ホテルを一緒に出るかどうかは、カップルによって違うだろう。これはデリヘルでも同じことで、一緒に出る場合も、女性だけが先に出るというパターンもある。どちらにしても、女性はホテルの前で待機している送迎ワゴンに乗って帰るのだから、一緒に出ても、すぐに男性が一人になるわけだ。だから、ある意味、一緒に出る必然性はないといってもいいだろう。
どこかで待ち合わせて一緒にホテルに入る場合は、最期、最初に待ち合わせた場所で別れるということが多いだろうから、必然的に、一緒に出ることになるが、そうなると、その日の宿舎をそのホテルと考えている人は、最初から、待ち合わせ系のシステムの店は利用しないだろう。
今回は、スタンダードの男性が先に入っていて、そこに連れがくるという形だった。だから、誰にも怪しまれることはなかった。
だが、このホテルは前金だったので、延長がなければ、
「帰ります」
といって、部屋の自動ロックを開けてしまうと、後は、管理人も気にしているわけではないようだ。
もちろん、二人ともが出てしまったかどうかを確認はするだろう。そうしないと、部屋の清掃に入れないし、延長料金の問題もあるからだ。
その時は、確かに女が先に出たかのように見えた。
後から警察が来て、通路の防犯カメラにも、外套を着て、女物の帽子をかぶった女性が部屋から出てきているではないか。
ただ、よく見ると、少し大柄にも見えた。
さらに女が連れだといって入ってきた時の防犯カメラを見ると、外套も、帽子もなかった。
ということは、あらかじめ犯人、つまり、最初に部屋を借りていた男が、自分が先に出るために、外套と帽子を用意していたということだろうか?
女性の方は、病院に運ばれたが、命には別条ないということだった。
大量の睡眠薬を服用してのこん睡状態。普通なら自殺も考えられるが、男が変装して先に出ているということが分かる以上、殺人未遂の線がかなり濃厚だということになり、捜査が行われることになったのだ。
女性の方の身元はすぐに分かった。
その女性は、
「つむぎ」
であり、彼女は、命を取り留めたとはいえ、意識が完全に戻ったわけでもないので、事情を聴けるようになるまで、まだまだ時間が掛かりそうだということであった。
その時の状況がどうだったのかということよりも、話が実は大きく展開していったのだった。
というのも、警察がその問題の部屋の部屋を、鑑識を入れて捜索を行った中で、気になる指紋を発見した。
それは、弘前財閥の令嬢誘拐事件で、令嬢の絞殺死体が発見されたその場所に残っていた指紋と同じものが、その部屋から発見されたことだった。
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