3-6 自分勝手な人たち

 鈍く響いてくる頭痛で意識を覚醒させたソアンは、ゆっくりと淡い青の双眸そうぼうを開いた。


「ん……?」


 ぼやけた視界が鮮明になっていき、その光景を目にして真っ先に思ったことは、「なんて品の無い装飾なのだ!」という憤慨の念だった。

 謁見の間のような、段差のある広間。薔薇の刺繍がされた真っ赤なカーテンの隙間から、温もりを感じない陽光が差し込んでいる。

 壁際には派手な色合いの椅子が綺麗に並べられており、それが気に入らない理由の一つだった。椅子の脚は緩やかなカーブを描いた猫脚と呼ばれるもので、シンプルで落ち着いたアンティーク調のデザインを好むソアンは、家主のセンスに深く失望した。白色で統一されていた街並みに見慣れたせいもあり、きらびやかな内装で目が痛くなる。

 本来であれば玉座が鎮座する場所に、凝った模様が彫られた執務机がある。そこには、やけに長い背もたれの椅子に腰を下ろしている、一人の少女がいた。ソアンが目を覚ましたことに気づくと、わずかに目を丸くした。


「もう起きたんだ。意外と早いなぁ」


 少女は紙に何か書き記すと羽根ペンから手を離す。片側がった、つばの広い帽子をかぶると執務机に肘をついて、指を絡ませ手の上にあごを乗せた。金色の眼で、ソアンをじっと見つめる。

 いつものソアンなら何者なのかと指差すところだが、手足と腰を椅子ごと縛られた状態ではできなかった。

 口は塞がれていないので魔法を唱えることもできるはずだが、妙に体が重く、指先に魔力を集めることすらままならない。仮に魔力をかき集めることができても、魔法の制御は困難を極める状態だった。今のソアンは、寝不足の状態で全力疾走をしたような倦怠感に見舞われていた。


「ふむ、魔力を吸収する魔法道具か。魔術師を無力化するには少々古い方法だが、まぁ効果が無いわけではない」


 魔法が使えない原因は、魔力を帯びた手錠にあった。魔力を吸収する手錠をかけられているソアンの置かれた状況は悪い。しかし、面倒くさいという表情を取り繕うことはしなかった。相手が提示する要求に応えるか、必要でなくなるまで拘束が解かれることはないとソアンは知っていた。


「そのとおり。だから無闇に暴れたりしないでくれよ。椅子ごと倒れても知らないからね」


 ソアンはわざとらしく溜め息をつき、靴の先で床を叩く。


「過激な招待状を送るのがここでの常識なのか? 文化の違いだとしても、私にも限度というものがあるぞ」


 街を歩いていた際に後頭部を殴られ、失神させられたことについて、犯人とおぼしき少女をとがめる。ついでに内装にも文句を言いたいソアンだったが、好みは人それぞれであることは重々承知しているので、寛大な心でぐっとこらえてやった。


「悪いね。魔術師って魔法で何をするか予想がつかないからさ。安全策をとらせてもらったよ」


 椅子から立ち上がり、少女はソアンの前に立つとじっと瞳を見つめた。品定めでもするかのような、幾許いくばくかの悪意を内包した視線。そのような目で見られて、何も思わないソアンではなかった。


「用事があるならさっさと済ませたまえ。私は忙しいのだ」

「おっと失礼、それなら簡潔に話そう。ボクはね、君がこれまでに歩んできた人生を知りたいんだ」


 少女はソアンの首の後ろに手を回し、髪を払った。ソアンのうなじがあらわになる。

 そこには小さな魔法陣が描かれていた。色白の肌に赤く連なる古代文字といくつかの図形は、永遠に消えることのない刻印だった。長い髪とハイネックの服で隠されたそれを確認し、少女は満足げに頷いた。


「やっぱりホムンクルスか。君はさぞかし波乱万丈な人生を送ってきたに違いない。さぁ、詳しく聞かせてくれないか? 君の過去を、錬金術師に飼われていた頃の話をさ」

「…………」


 他人ひとの神経を逆撫でするのが得意な少女だ──と、ソアンは侮蔑を込めて睨みつける。


「何を要求されるのかと思ったら。悪いが面白い話など一つもない。そもそも子供に聞かせられる話でもないのだ、諦めて近代史の書物でも読むといい。なんなら、私が開放している図書館で講義してやってもいいぞ」


 少女はしかめっ面になるとソアンの顎に手を添え、軽く持ち上げた。ソアンは昨晩、パルケに薬を瓶ごと口に入れられた出来事を思い出してげんなりした。


「ボクは子供じゃない。話さないというなら、この剣で君の指を一本ずつ斬り落としてやってもいいんだよ? それとも、腕一本くらい犠牲にしないと自分の立場が理解できないのかな?」


 少女は空いた手で、腰に巻かれた剣帯ベルトに触れる。柄を握り、引き抜くと銀色に輝く剣身があらわになる。まだ傷つける気は無いようで、剣の腹部分をソアンの肩に添えた。

 二十歳にも満たない少女の口から紡がれた恐ろしい脅しに、


「おお、それは助かる!」


 ソアンは臆するどころか、突然に表情を輝かせた。まるで朝日が昇ったかのような笑みと、間を置かずに告げられた返事に面食らってしまい、少女の次の発言は数拍後に発せられた。


「え……えっ?」


 少女は間の抜けた声を上げた。ソアンの発言の意図を汲もうとしたが、脳がそれを拒絶した。「わかるわけがない」と。


「こんな不快な室内から離れられるなら大歓迎だ。しばらく我慢してやったが、もう限界だ! やはりこの部屋のセンスは絶望的だ、不快極まりない! 猫脚の椅子など全て燃やしてしまえ!」

「な、何を言ってるんだ……?」


 気でも触れたのかと、少女は恐怖のあまり後ずさりした。


「うん? 貴様、まさか腕を斬り落とさない気ではないだろうな!?」

「なっ、馬鹿言うな! そんなむごいことするわけないだろ!」

「まったく、約束事を守れないようではろくな大人になれないのだぞ! 自らの発言に責任を持つか、インテリアのセンスを改めるかどちらかにしたまえ!」

「え……ええ……?」


 ソアンは駄々をこねる子供のように爪先をばたつかせながら、インテリアに関する罵倒を浴びせ続けた。配色やらデザインやら、全てにダメ出しをする。

 ぷるぷると震える手で、少女は剣の持ち手を強く握り締めた。斬るためではなく、同じ知的生物であるはずのソアンの思考が欠片も理解できないという、困惑と恐怖で震え上がったからだった。少女の顔には内装への罵倒に対する、怒りや悲しみといった感情が欠片も無かった。


「わ、忘れてた……。魔術師は変人ばかりだったね……」

「今すぐ訂正したまえ、私をそんな普遍的な魔術師と一緒くたにされては困る!」


 何がソアンの逆鱗に触れてしまうのか。少女は混乱した頭で考えるが、無駄に終わる。


「わかったわかった、君は他の魔術師とは何かが違う。うん、なんかこう、オーラ的なものが違う……じゃなくて! ボクの言うことを聞いてくれよ! 話さないならお前の髪を斬り落としてやる!」

「ふざけるな! どれほど苦労してこのつややかなロングヘアを保っていると思っているのだ!」

「さすがに腕よりはいいでしょ!?」


 少女のツッコミに対し、ソアンは首を左右に振った。


「腕の方がはるかにマシというものだ! さぁやりたまえ、自由が得られるなら私はそれでいいのだからな!」

「…………」


 少女の手の力が抜け、剣が床に落とされる。数歩ほど離れ、血の気の引いた顔でソアンの不機嫌な顔を見つめていた。

 脅しでもなんでもなく、束縛されたこの状況から逃れるためなら、何を犠牲にしても構わないとソアンの瞳は物語る。少女とさほど変わらない年に見える少年の、自由に対する執念は異常だった。

 何が彼をそうさせるのか、少女は不思議で仕方なかった。その過去話こたえは、本人の口から語られることはないだろう。


「だ、だだ……」


 少女は両手で頭を押さえながら、腹の底から叫ぶ。


「誰か助けてーーーっ!!」


 ソアンを誘拐し、拘束したことをひどく後悔した。

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