3-5 悩める死神

 次に見つけた宿屋は、表通りから外れた場所にあった。少しばかり朽ちた壁に、あまり良くない日当たり。路地裏ということもあり、より一層不気味な雰囲気を醸し出している。

 マクベスが扉を開くと、取り付けられたベルが来客を告げる音を鳴らす。内装は外観と異なり小綺麗で、受付のカウンターにはロッキングチェアに腰かけている老婆がいた。

 マクベスはカウンターまで行き、まぶたを閉じて椅子に揺られる老婆に話しかける。


「よぉ、まずはオレの話を聞いてくれねぇか?」

「…………」


 すやすやと寝息を立てる老婆は起きる気配がしなかったが、話が通じないよりは幾分マシだった。離れようとするが、ふと目に留まった受付簿を見て、食い入るように顔を近づけた。受付簿には、クレディア・ファルネーの名前が記入されていた。

 カウンターの向こう側へと目をやり、鍵棚を確認する。唯一、二○四号室の鍵が掛けられていなかった。


「どうした?」


 パルケの質問に答えることなく、マクベスは真っ先に階段を登り、二○四号室を探した。該当する番号の部屋の扉を見つけると、すぐさま何度もノックした。


「クレディア!」


 声に反応したのか、部屋の中から物音がした。ドタドタと駆ける音がし、


「マクベスさんですか!?」


 全力で扉が開かれたせいで、マクベスは扉と激突した。


「ぐぉえっ!?」


 ドアノブが体にめり込む。想像以上の痛みに、マクベスは頓狂とんきょうな悲鳴を上げてしまった。


「あわわ、すみません! ごめんなさい!」


 扉を少し引き、クレディアは何度も謝罪した。


「よ、よぉクレディア、無事で何よりだぜ。ソアンもいるか?」


 脇腹をさすりながら訊くと、「それが……」とクレディアの声のトーンが落とされる。


「いたのか?」


 パルケも部屋の前に到着し、クレディアと目が合った。


「あなたは……たしか、死神のパルケさん?」

「ああ、そうだ。迎えに来たぞ!」


 満面の笑みでパルケが言った瞬間、


「あ、あたしまだ死んでないですーーーっ!!」


 クレディアの顔が青ざめ、扉が閉められた。の意味を履き違えた様子だった。


「ビビらせてどーする」


 パルケの後頭部を軽くはたき、マクベスは扉を開けた。必要最低限の家具が置かれた、あまり広くない部屋。クレディアはベッドの上で枕を抱き締めながら、シーツをローブのようにかぶって震えていた。


「迎えに来たってのはそういう意味じゃねぇよ」

「で、ですよね! あたしってばとんだ早とちりを……」


 クレディアは飛び跳ねるように起き上がり、シーツをたたみブランケットに置くと、ベッドに腰かける。彼女は深呼吸して冷静さを取り戻した。


「ふぅー、少し落ち着きました。あの、お二人はどうやってここに?」

「あの後、ちょっと用事があって図書館へ引き返したんだけどよ、執務室でアンタとソアンが描かれた本を見つけてな。コイツが勝手に触ったら光に包まれて、気づいたら街の近くにあった小麦畑に立っていたってわけ」


 マクベスはちらりとパルケを見やるが、視線を向けられた理由を知ってか知らずか、にこやかな表情を見せた。


「本? それってあたしが持ってきた本だったりします?」

「おそらくな」


 頷いてみせると、クレディアは申し訳なさそうに顔をうつむかせた。


「すみません、本の中身を確認してもらうだけだったんですが……」

「中身を確認?」

「あの本、あたしの持ち物じゃないんです。依頼人から、本の中身を調べてほしいと頼まれて受け取ったものなんです」


 クレディアは持っていた本について話し出す。

 依頼人は画材店を営む青年で、名をザッハという。ある日、倉庫の奥底で埃をかぶっていた手帳のような本を見つけたらしい。


「魔法で閉じられていてどうやっても開かないので、危ない物かもしれないから冒険者に調べてもらおうと、依頼を出したそうなんです」

「なるほど、依頼人の予感は的中したってわけだな」

「そういうことです。魔法ならソアンさんが詳しいので頼ろうとしたのですが……すみません、お二人も巻き込んでしまって」


 予想外の出来事に、クレディアはかなり疲弊している様子だった。


「慣れてるから気にすんなよ。それより、ソアンは?」

「ソアンさんはこの街に着いたら突然、“ふはは興味深いな!” と叫んでどこかへ行っちゃいました」

「……アイツ助けなくて良くねぇ?」

「駄目です!!」


 溜め息混じりの発言に、クレディアは思わずツッコミを入れた。

 マクベスはまず、再会できたクレディアにこの世界が本の中の世界であること、脱出の手がかりを探しているところだと告げた。


「魔力で構成された異空間ですか……。なおのことソアンさんを探さないとですね」

「ああ、この手の話はアイツに訊くのが手っ取り早いからな」


 余計な仕事を増やしたツケをどう払ってもらおうか──そんなことを考えながら、マクベスは頭の後ろを掻いた。


「そういえばあの本、魔術師が使う魔導書用の本ってわけじゃなかったよな」


 マクベスがそう言うと、クレディアが頷いた。すると何かを思い出したのか、「あっ」と小さく声を漏らす。


「あれ、お店でよく見かける日記帳のデザインにそっくりでした。古ぼけてはいましたけど」


 クレディアの話を聞いて、マクベスもピンと来た。たしかにあの本はお手頃な値段と高い品質から、手帳代わりにも使えると評判でよく売れている商品と同一のものだった。


「なぁなぁ、魔導書には専用の本がいるのか?」


 授業の影響か、パルケが片手を上げて質問した。


「ん? まぁそうだな」

「他と何が違うんだ?」

「魔導書用の本は値段がバカたけぇ。魔法の補助が円滑にできるように素材はこだわり抜いてるからな」

「そうなんだな。ということは、ソアンからの報酬はあいつが持ってる魔導書にすれば一気に金が――」

「それはやめてやれ」


 魔導書の相場を知っているので、マクベスは真面目な声で止めた。が、


「……ぶっちゃけそうしてぇけどな!」

「こら」


 本音を隠せず、クレディアの咎める声と視線が突き刺さった。


「こんな大規模な魔法を魔導書じゃなくて、市販の日記帳を媒介にしている理由はわからねぇが……これ以上は考えても仕方ねぇか」


 マクベスはドアノブを手にかけ、開いた。


「とにかく、あのバ――ソアンを見つけてからだぜ」

「馬鹿って言おうとしましたよね?」

「聞き間違えだぜ〜」


 暴言をなかったことにし、マクベスは部屋を出た。単独行動しているソアンがどこにいるのか思案しながら、廊下をしばらく進んだタイミングだった。


「ふぎゃぁぁああッ!?」


 突然、クレディアの悲鳴が上がった。心臓がドクンと跳ね上がる感覚の直後、マクベスはすぐさま踵を返して部屋に戻る。


「クレディアッ!」


 扉を開け、視界に飛び込んできた光景。それはクレディアが尻尾を鞭のようにしならせて、死神の頬に強烈なビンタを食らわせた瞬間だった。クレディアはマクベスに気づくと後ろに隠れ、マントを掴む。


「なっ、なななな何をするんですか!? セクハラですよセクハラ!!」


 彼女は床が揺れるような錯覚がするほどの大声で叫ぶ。


「変なもの生やしてるんだなーって思って」


 パルケが指差した先には、落ち込んだ犬のようにうなだれた尻尾があった。じんわり痛む頬をさすりながらの発言に、クレディアは視線を落とし、少しばかりうつむいて表情に影を落とす。


「し、仕方ないじゃないですか……」


 落ち込むその意味がわからないらしく、パルケは首を傾げた。


「アンタ、ひょっとして尻尾触った?」

「ああ。ツルツルしてる尻尾を見てると、ケルちゃんたちを思い出してな。あー、早く帰りたいぜ」

「…………」


 マクベスは隠す気のない、隣の部屋まで聞こえそうな溜め息をつく。


「ん? 俺は悪いことをしたのか?」

「極刑もんだぜ。それこそ、冥界に送られても仕方ねぇくらいにはな」

「そんなに!?」


 クレディアを怖がらせた私怨も混じっていることを、パルケは知る由もなかった。


「えっと、その……悪いなクレディア。ずっとケルちゃんに会えてなくて、つい」

「ケルちゃん?」


 マクベスが冥府の番犬とも呼ばれる魔物、ケルベロスのことだと教えてやると、クレディアは納得した様子だった。


「理由はわかりました。今回は許しますけど……次やったら問答無用で撃ちますからね!」


 クレディアは腰のホルダーに収められた魔法銃を指先で叩くと、持っていた部屋の鍵をパルケに押しつけた。わざと足音を立てながら部屋を出ていく。足音は遠のき、やがて聞こえなくなった。


「先に言ってなかったオレも悪いけどよ……ん、悪いか? オレ悪くねぇよな? まぁいいや、人の体はベタベタ触るもんじゃねぇってことだ。コンプレックスっつーもんが理解できねぇなら尚更な」


 マクベスも階段を降りる。踊り場で足を止め、パルケが来るのを待った。


「…………」


 パルケは部屋の扉を閉め、鍵をかける。難しい顔をしながら一段ずつ階段を降りていき、


「おっと」


 ぶつかるまでマクベスがいたことに気づかなかった。どうしてそんなところで立ち止まっているのかと、キョトンとした顔で死神はマクベスを見つめた。


「あのな、そこまで露骨にって顔されると、何も訊かねぇわけにはいかないんだっての。さっきから様子が変だぜ」


 マクベスはそう言うと、次の瞬間には神経を逆撫でするような、癪に障る笑みを浮かべた。


「それともアレか? クレディアにぶたれたのがよほどショックだったのか? それもそうか。オレに負け続けた挙句、大して強くもねぇ冒険者のビンタすら避けられなかったら、さすがに落ち込んじまうよなぁ〜?」

「ち、違うぞ! いつもならあの程度の攻撃くらいかわせるからな!」


 話を切り出しやすくしようとあえて揶揄からかってやると、パルケはムキになって否定した。


「そうだ、いつもなら……えっと、その……」


 憂いを帯びた顔の死神は一度うつむき、数拍置いて顔を上げた。


「なぁマクベス、悪霊って知ってるか?」


 話をする気になったらしく、質問に対しマクベスは頷いて肯定した。


「ああ。何かしらの原因で狂っちまった人の魂のことだろ? 何度も斃したことあるぜ」


 死した者の魂が死を自覚できず現世うつしよ彷徨さまよい、または怨念のあまり留まったせいで悪霊と化し、甚大な被害が出ることはよくある話だった。一般的に霊に関わる事件は、神官または冒険者が解決するものである。


「それなら話は早い。悪霊は本来、俺が冥界へ直接送って普通の魂に戻すか、無理なら消さなきゃいけないんだ」


 あまり話さなかった、死神の役目についてパルケは説明した。


「紙になった人から悪霊の魂が出ていって、どこかへ飛んでいったのを見た。さっき、ここにいる人たちの魂が希薄だって言っただろ? たぶん皆、元は一つの魂だったんだ。細かく切り分けて紙に憑依させ、人のように動かしているんだと思う。何をやらかすかわからないし、魂の本体を見つけて冥界に送らなきゃいけない。それが俺の仕事だから」


 ハーフグローブ越しでも爪が食い込むほどに、パルケの拳が固く握られる。


「でも、大鎌が無いからできないんだ。俺が対処しなきゃならないのに、何もできない」


 手の力が抜かれ、パルケの青い右目に自身の手のひらが映される。


「そもそも、なんで俺ってあの大鎌がないと死神の仕事ができないんだ? ケルちゃんたちは自分の力でできるのに、どうして俺だけ道具に頼ってるんだ」


 パルケの声が徐々に震え、奥歯を噛み締めた。


「なぁ、俺って……」


 パルケはその先を言わなかった。言いよどみ、声に出すことを躊躇ためらっていた。


「……いや、なんでもない。もう大丈夫だ! 悪霊を冥界に送る方法はなんとか考える!」


 首を左右に激しく振り、そう言い聞かせながら、


「それより、クレディアが待ってるから行こうぜ!」


 すぐさまマクベスの脇を通り過ぎる。


(それで大丈夫だったためしなんてねぇんだけどな)


 頬を掻き、ふとマクベスは一つの疑問が思い浮かんだ。


「ん、ちょっと待てパルケ。大鎌がねぇと魂を消し去ることも、冥界に送ることもできねぇなら……アンタ、もしオレを斃したらどうするつもりだったんだ?」


 ピタリとパルケの動きが止まる。後ろ姿でも、冷や汗をかいているのは目に見えていた。振り返ったパルケの顔は驚愕に満ちていた。


「た、たしかに!」

「後先くらい考えやがれ!!」


 あまりの無計画っぷりに、しかしそんな返答を予想していたこともあり、マクベスは頭を痛める他なかった。

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