第13話 王と春光

 ──私の騎士になってくれないか、アルセン。


 試合の前夜、ディアボリカはそう彼にこいねがった。

 思えば、自分から何かに手を伸ばしたのはこれが初めてだった。ターニャをはじめとする乙女騎士達は、父王がディアボリカの騎士として配置してくれていたし、一番信頼できる侍女のモイラですら、幾人かの侍女候補から選んだだけだった。


(……断られるかもしれない)


 彼の前に差し出した手は、みっともなく震えている。

 自分から何かを望むという行為は、こんなに恐ろしいものだったのかと思い知る。それでも求めたい。ヘドリックに勝利するため、国を取り戻すために──アルセンの力を借してほしい。


 アルセンは、震えるディアボリカの手を取った。

 彼は月光のもとやわらかな微笑みを浮かべ、ディアボリカの手の甲にひたいを預けて魔姫にかしずく。

 叩頭したまま、彼はつぶやいた。


 ──喜んで。おれは今から、あなたの剣だ。




   · · • • • ✤ • • • · ·




「人間だ」


 傭兵の一人が、アルセンのまるい耳介を見て声を上げる。


「本当だ、人間だ」

「人間がなぜここに」


 ざわめきが広がり、憤怒が戸惑いへと変化していく。

 人間であるアルセンが魔姫であるディアボリカの騎士を名乗り、この試合に割って入ったことに、ヘドリックも困惑しているようだ。

 ディアボリカは闘技場を見渡し、ここにいる皆に聞こえるように声を張り上げる。


「アルセンはエタンセルの人間だ。ノクイエを攻めようとするセシル王子の暴虐を良しとせず、彼を止めようとした。しかし彼の王子にその声は届かずに、アルセンは命を落としかけた。今は私達の仲間であり、彼が名乗りを上げた通り、私の騎士、私の剣だ」

「な……こ、こいつは人間だぞ!」

「ならば問おう。貴公は我が身に剣を捧げてくれた人間を敵と見なし、我が身に仇成す魔族を味方と見なすのか」


 飛び込んだ傭兵の罵声にそう返すと、彼は何も言い返せず黙りこんだ。

 ディアボリカはゆっくりと、ここにいる皆に語り掛ける。


「私も、すこし前までは人間は敵だと考えていた。人間など、信頼できないと。けれど今、私は種族ではなく個として人を見て判断したいと思っている。そのように考えを改めたのは、アルセンと出会ったからだ。今や彼は私にとって、リヴレグラン復興に欠かせない人物だ」


 復興という言葉に、ヘドリックがわずかに反応を示した。


 ディアボリカは手にしていた剣を投げ捨てる。

 ヘドリックと同じ丸腰になった上で、彼と正面から向き合った。


「ヘドリック卿。私はあなたより弱い」


 アルセンの力添えがあったとはいえ、試合に勝っていたディアボリカの行動と発言に、ヘドリックをはじめとする闘技場の面々は困惑したようだった。

 彼等の動揺に、静かに言葉を重ねていく。


「……私ではあなたに勝てない。けれど、私を信じて私の剣となってくれた騎士アルセンの力を借りて、私は今、ここに立っている」


 場内は水を打ったように静まり返った。

 今、この闘技場にいる人々の視線はすべてディアボリカに集まっている。それなのに、不思議と心は凪いでいた。


「あなたに問われて、私は改めて自分の心と向き合った。私は王族だ。けれど私はまだ、国を背負って立つ覚悟が決まっていなかった。政治学も帝王学も治めず、女の身にはたして王が務まるのかと不安だった。……けれど、私はリヴレグランを護りたい。できることなら、私の手で」


 ──お前は一人ではない。お前を慕う従者がいる。それに、私と、ヴラドと、黒竜の魂は、ずっとお前と、共に。


 耳の奥で、父王の今際の言葉がよみがえる。

 これだけの衆目の前で、声すら震えない理由が分かった気がした。


(……ああ、父上。今も私を見守ってくれているのか。私に、力を貸してくれているのか)


 ディアボリカの胸に熱いものがこみあげる。復讐の炎とは違う、あたたかい血潮の脈動だ。

 リヴレグラン王。私の父。

 あなたの血筋を受け継ぐ者として、私は国を救いたい。


「知恵ある者、多くを知る者、強い者、力ある者が王なのではない」


 ディアボリカの声はどこまでも澄んで、はるか遠くへと波及はきゅうしていく。


「そういった有能な者達を束ね、彼らに大きな夢を与え、夢を叶えるために采配さいはいを振るうのが王だ」


 黒竜は、リヴレグランの王に忠誠を誓っていた。

 黒竜の力は王の力であり、王の望みは黒竜の望みでもあった。

 黒竜は彼の王に己が希望を託して力を貸したのだ。


 ディアボリカはヘドリックに、まっすぐに手を差し出す。


「オウマが領主にして、オウマ傭兵団長、ヘドリック。私にはあなたの力が必要だ。私はエタンセルのセシル王子を討ち、リヴレグランを再興し、民を束ねる王となる。あなたと共に国を救う夢を叶えたい。私と共に来てくれ」


 闘技場から一切の音が消える。

 さきほどまで声を荒げていた傭兵達も、身じろぎひとつしなかった。息を飲んでヘドリックに視線を注いでいる。魔姫の求めに領主は何と答えるのか。固唾を飲んで彼の答えを待っている。


 ヘドリックは表情一つ変えなかった。黙したまま地面に突き刺さった大剣のもとに行き、それを引き抜く。彼は片手に大剣を持ち、ディアボリカのもとに歩み寄った。


 彼を警戒したアルセンが剣を構える。けれど、ディアボリカはアルセンを手で制した。

 剣を持つ巨獣のようなヘドリックを目の前にしても、もう恐れは感じない。じっと彼の灰色の眼を見る。


 やがてヘドリックは剣の切っ先を地面に預け、その柄を自分の額にあてた。

 そのまま地面に片膝をつく。王に忠誠を誓うように。


「未来のリヴレグランの女王よ」


 よく通る低い声で、ヘドリックが朗々とうたいあげた。

 彼は唇の端を持ち上げる。


「オウマの領主として、ここに誓おう。俺はあんたと命運を共にする。我が力、存分に国のためにふるうがいい!」


 ──わっ、と歓喜の声が弾けた。


 闘技場が喝采かっさいに包まれる。勝者に撒かれるはずだったマクアの花が宙を舞う。白い花が、まるで新しい王の誕生を寿ことほぐように場内に降り注ぐ。


 白い色彩を黒髪に積もらせたまま、ディアボリカは茫然ぼうぜんと立ち尽くした。

 ヘドリックが自分に協力すると言ってくれた。……本当に?

 現実味が薄くなった頭で、何度も彼のさきほどの言葉を反芻はんすうする。


「ディア!」


 アルセンがこちらに駆け寄ってきた。

 彼の紅潮した頬と、満面の笑みをたたえた顔を見て、ディアボリカの足から力が抜ける。


「わっ、どうしたの、ディア! 大丈夫!?」


 膝が崩れてふらついたディアボリカの肩を、アルセンが両手で支えてくれた。


「す、すまない。一気に力が抜けてしまって……」

「はは、そっか。無理もない」

「なあアルセン、これは夢だったりしないか? ヘドリックは本当に……」

「夢じゃないよ、ディア。ヘドリックは力を貸すと言ってくれた。あなたをリヴレグランの未来の女王だと認めたんだ」


 未来の女王。

 ディアボリカはまぶたを震わせるようにまばたいた。

 アルセンの言葉がじわじわと心に浸透していく。


「人間の俺がディアの騎士を名乗って、はたして上手くいくのか心配だったけど、杞憂きゆうだったね。ディア、あなたって人は──」

「アルセンのおかげだ」


 短く告げると、アルセンは驚いた顔でディアボリカを見た。


「君があの夜、私の話を聞いて励ましてくれたから、私の騎士になると誓ってくれたから、私は最後まで戦い続けることができた」


 彼の手を取り、かたく握る。

 そうして、あの惨劇が起こる前のように、ディアボリカは目じりを下げて笑ってみせた。


「……ありがとう、アルセン」

「ディア様ぁっ!!」

「わっ」


 胸に飛び込んできたモイラの勢いに押されて、倒れそうになる。

 なんとか持ち直してモイラの顔を覗きこむと、喜びのあまりだろうか、彼女の顔は涙とはなでぐしゃぐしゃになっていた。


「うわーん、よかったですー! さすがあたしのディア様ですうぅ」

「モ、モイラ。我が事のように泣いてくれるのは嬉しいが、落ちついて」


 ディアボリカは、顔を赤くしてわんわんと泣き続ける侍女の頭を撫でる。

 寄り添う主従へ、次々にマクアの花が降り注いだ。




  · · • • • ✤ • • • · ·




 顔を見合わせて笑うディアボリカとモイラを遠目に見たあと、アルセンは自身の手のひらに視線をやった。さきほどディアボリカと手をつないだ方の手を見て、彼女の微笑みを思い返すと、頬に熱が上がるのが自分でも分かった。

 アルセンは、へなへなとその場にうずくまる。


「……ねぇ、スパークル」


 力なく膝を抱えたまま、小声で水晶の精霊の名を呼ぶ。

 外からは見えないくらいの微かな光で、服の下の水晶が明滅した。


 いらえの光を目にしたアルセンは「まいった」と小さく弱音をこぼす。そうして自身の金の髪をくしゃりと握って、顔を赤くしたまま後継人につぶやいた。


「どうしよう。おれ、今回ばかりはうまく立ち回れないかもしれない」


 スパークルは、驚いたように数度光をまたたかせて──「ほっほ!」と愉快そうな高笑いを漏らした。「笑いごとじゃないんだけど」とアルセンが苦々しく言っても、スパークルの笑い声は止まらない。


 その笑声しょうせいも、場内の歓声に掻き消される。人々は喜びに満ちた歓呼の声を上げ続けていた。


 絶えず場内に花が振り撒かれる。その雪に似た花に彩られて、ディアボリカは幸福そうに笑っている。


 双月を瞳に宿し、黒い森に似た髪をなびかせて、白い花を受けて笑う未来の女王のすがたは、人々にリヴレグランの春の訪れを連想させた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

魔姫ディアボリカと勇者の裔 オノイチカ @onoichica

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ