僕の可愛い彼女の生首

真狩海斗

👩‍🦰

 彼女の姿が目に留まった。

 ゼミが一緒で、密かに気になっていた彼女。

 月明かりに照らされた彼女の姿は鮮烈で、僕は息を呑む。気づけば足は自転車のペダルから離れていた。遅れてブレーキの軋む音が耳に伝わる。バイトを終えて疲れ切った脳が再起動を始める。


 車にでも轢かれたのだろうか。彼女は、細かな肉片となって、花弁のように散乱していた。側溝から伸び上がる右腕の先では右手が蕾を形どり、ガードレールに架かった下半身はその長い脚を見事に枝垂れさせていた。

 道路に真紅の大輪を咲かせた大量の血の中心で佇む彼女の首は、対照的に陶器のような白を保ち、嘘みたいに綺麗だった。

 彼女の生首に駆け寄る。買ったばかりのスニーカーに血が着いたが、まるで気にならなかった。僕の背に、自転車の倒れる音が響く。

 彼女の首を持ち上げる。思いのほか重い。頭を撫でる。よく似合う明るい茶髪がくしゃりと崩れた。プックリとした頬を触ると、心地よい弾力が指に伝わる。衝動的に口付けをした。

 瞬間、彼女の目が開いた。驚く僕に、彼女の無邪気な声が続く。

「あれ、久しぶり!どうしたの?」


「参ったなぁ。本当ついてない」

 自転車の前カゴで、彼女が自分の不運を嘆く。他の部位も持ち帰ろうとしたが、自転車に乗らなかったため、一旦諦めることにした。

 口では悪態をついているが、彼女の表情は意外にも明るい。

「まあ、拾われたのが君でよかったかな」

 そう続ける彼女の視線が熱を帯びているのを感じる。心臓の鼓動が高まる。期待でどんな表情をすればいいか分からない。それに気づかれたくなくて、誤魔化すように全力で自転車を漕いだ。

 僕の気持ちを全て見透かしていたのだろう。そういえば、と彼女は素知らぬ顔で追い討ちをかけてきた。

「そういえば、君。さっき私にキスしてなかった?」

 僕は動揺してハンドルを大きく揺らしてしまう。彼女が前カゴの中で左右に振られる。僕の動転ぶりを見た彼女がプッと吹き出す。つられて、僕も笑ってしまう。夜風が優しく髪を撫でた。

 煌々と輝く満月の下で、生首を乗せた自転車が笑い声をあげて疾走する。

 2人だけの幸せな世界だった。


 翌朝、彼女の残りの部位を拾いに、事故現場に向かったところ、それらは跡形もなく消え去っていた。彼女に伝えると、少し残念そうに口を尖らせた。

「じゃあ、一生頭だけか。持って帰ったらくっつくかもと思ったんだけどなあ」

 市役所や警察で処理されてしまったのかもしれない。やはり無理してでも昨日のうちに全部位を持ち帰るべきだった。自己嫌悪で項垂れている僕を、彼女が上目遣いで覗き込む。

 直後、唇を奪われた。彼女が悪戯っぽく微笑む。

「キスまでしか出来ないね」


 首だけになった彼女だったが、食事は変わらずできるようだった。

「不思議だよね。食べたものはどこに消えちゃってるんだろう」

 スタバの期間限定フラペチーノを吸い込みながら、彼女がぼやく。僕もズズズと吸い込んで、なんでだろうね、と相槌を打つ。

 今日は2人でスタバに来ていた。「せっかく何食べても太らないのなら、スタバの新作飲むしかないでしょ!」という彼女の提案だった。

 彼女とのデートは緊張する。何せ、通報されれば即アウトだ。苦労の甲斐あってか、新作フラペチーノがやたらに美味く感じる。リュックの中の彼女と目が合い、自然に頬がほころぶ。フラペチーノの甘みが身体中に染み渡った。


「あれ?」と彼女が突然、素っ頓狂な声をあげる。周囲の客にバレてはまずい。僕は慌てる。

 ごめんごめん、と彼女が謝る。ペロと舌を出す仕草が可愛い。声を顰めて続ける。

「今、私の手を触った?」

 僕は首を横に振る。彼女には頭しかないのだから、手を握りたくても握れるわけがない。

 彼女も、そうだよね、と返したものの、納得しきってはいない様子であった。

「おかしいなあ。確かに触られた気がしたんだよなあ」

 "幻肢痛"というやつかもしれない。事故で腕を失った人が、無いはずの腕の痛みを感じるという事例を、本で読んだことがあった。帰ったら詳しく調べてみよう。

 不安そうな彼女の頭を撫で、そっと口付けをした。肘が、彼女のフラペチーノに当たる。時間の経過でホイップは崩れ、内部は分離し始めていた。


 結局幻肢痛についてはよく分からなかった。よくよく考えれば、頭部だけで生きている事例なんて他にないわけで、当然の結果かもしれない。電気を消して、ベッドに向かう。

 先程まで寝息を立てていた彼女の様子がおかしかった。顔が上気し、浅い息を繰り返している。

 心配で駆け寄る。具合が悪いのかと思った。だが、そうでないことに気づく。全てを悟ってしまった。


 彼女が手を触られたと感じたのは、おそらく幻肢痛ではなかった。

 彼女の肉体が事故現場から消えていたのも、行政による処理ではないのだろう。

 僕と同様に彼女の四散した肉体を持ち帰り、愛でる人間がいたのだ。

 彼女の息がどんどん高まっていく。頭部にしか触れることのできない僕では、一生与えることのできない刺激。この1週間で最も満足げな顔をしている。

 敗北感と無力感とで僕の心はグチャグチャになる。だが、一方でその奥底から、これまで経験したことのない熱いものが噴き出していることも感じていた。

 快楽の虜となった彼女から出る声が更に高くなり、一線を超えようとしていた。聴きたくなかった。強引に口を塞ぐ。

 彼女を繋ぎ止めようと、貪るように彼女の口内を蹂躙する。彼女の首の赤黒い断面がグッチョリと濡れていた。薄目で、彼女を見る。その蕩けた瞳には、僕の姿は映っていなかった。


 口を彼女から離す。唾液が彼女と繋がったまま一本の線となり、やがてプツリと切れた。

 快感を受け容れ、僕でない何者かと2人だけの幸せな世界に旅立った彼女を見送ると、僕は頭を床に打ちつけた。破壊された脳を元に戻したかった。解放された彼女の声を遮ろうと、床に振り下ろす頭は勢いを増していく。いつしか咽び泣いていたが、止めることはできなかった。

 月明かりの入らない暗い部屋の中で、僕の股間だけが激しく隆起し、ドクドクと虚しく脈打っていた。


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