紅い蒟蒻と鮒寿司女

村田鉄則

第1話 バウムクーヘンと鮒寿司女

 滋賀県・近江八幡市の田んぼと山の間に、バウムクーヘンで有名なとある会社の本社と観光用の施設がある。見た目はジブリの世界に来たような感じで、メインとなる施設は草屋根になっている。焼き立てのバウムクーヘンはそこで食べられる。

 僕はそんな施設に1人で来ていた。何で1人かというと単純に誘うような友達がいなかっただけである。僕は滋賀県の湖南にある大学に通っている大学1回生だ。出身は千葉県で大学に入って暫く経つが、滋賀県と聞くとまだ琵琶湖か「千葉・滋賀・佐賀」しか浮かばない。後、ひこにゃんくらいか?

 僕は滋賀県はちょうど良い田舎感があるとは少し思ってはいたが、まだ本当の意味での魅力を感じ取ってはいなかった。そこで、夏休みを利用して1人旅(友達がいないから必然的に)を始めることにしたわけである。

 そして、今日がその初日である。ここのバウムクーヘンは芸能人が結婚式の引き出物でよく出すレベルで美味しいらしい。僕は地味な顔に似合わずスイーツが大好きなので、旅をするうえで参考になると思い、買った滋賀県のガイドブックでこの施設の情報が書かれており、その情報が僕の心をガシッと鷲掴みにしたので、まずここに来たわけだ。夏休みなこともあって、観光バスがいっぱい止まっており、施設の中は大変にぎわっていた。この施設では、その場でバウムクーヘンを作っている様子が見られるのだが、円筒状の棒にバウムクーヘンの生地を塗りたくってバウムクーヘンを作っている様子はなんだかおもしろかった。施設内は焼き立てのバウムクーヘンの甘い良い香りで充満していた。その匂いに魅了された僕は、2階にある喫茶店で焼き立てのバウムクーヘンを食べることにした。喫茶店には長蛇の列ができていたが、焼き立てのバウムクーヘンを食べられるなら、こんな列並ぶのは大したことはない!

 列に並んでいると、僕の後ろに黒髪ロングの小柄な女の子が並んだ。右肘にエコバックをかけていた。彼女も1人なのだろうか。そんなことを思ったやいなや、なんだか古本屋の匂いを強烈にしたような匂いが僕の鼻腔を刺激した。

 ―――

 周りの人もその匂いに気付き始めたのだろう、皆、その子の方を見始めて、眉を顰めていた。中には鼻をつまんでいる人もいる。

 周りの目線に気付いたのか、キョロキョロする女の子。彼女は、自分のエコバッグを覗いて、何か納得したような顔になり、すぐに、ハの字眉を浮かべ、申し訳なさそうな表情になって僕に話しかけた。

「ごめんなさい!さっき鮒寿司買ってて。ちょっと臭かったですか???」

 鮒寿司…どこかで聞いたことあるが…こんなに臭いものだったとは…いや、買ったは良いとして何でバウムクーヘンの施設に持ってきた???

 彼女は頭を何度も下げ、平謝りをしたが…臭いは消えない…当たり前である…臭い物自体を無くさない限り消えるわけがない。

「ごめんなさい…車の中に置いとくと…腐っちゃうかなと思って…まあ、すでに発酵しているので、多少は大丈夫だとは思うんですが…買った場所だと冷蔵庫に入ってたので、怖くて…つい…持ってきちゃいました…処分してきます…」

 彼女は、そう言うと、どこかへ消えていった。

 処分ってどうする気なんだろう…ってか何だったんだ。あの子は…


 彼女のことは少し気がかりだったが、1時間後、僕は無事、喫茶店に入ることができた。長かった…やっと出来たてのバウムクーヘンが食べられる!と脳みそは興奮状態。

 バウムクーヘンとカフェオレのセットを僕は頼んだ。数分後、店員さんがセットを持ってきた。甘い良い香りがする。思わず、涎が出てきた。やばい、やば過ぎる…これは美味しいに違いない。

 バウムクーヘンにフォークを刺す。焼き立てだけあって記事がすごく柔らかかった。恐る恐る、バウムクーヘンを口元に運び、パクっと頬張る。

 んまーーーーい!!

 危ない。危ない。あまりの美味しさに思わず感情を声に出すところだった。生地が柔らかく、絶妙に舌にとろける感じがひどく心地よく、甘さも丁度良い感じ。カフェオレにもめちゃくちゃ合う…焼き立てバウムクーヘンは僕の心に温かみを与えてくれた。

 この焼き立てのバウムクーヘンを食べられただけで来てよかった。僕はそう思った。その後、僕はお土産としてバウムクーヘンとリーフパイを買って施設を出た。すると、さっきの女の子が店の前にある木製のベンチに何故か俯いて座っているのを発見した。鮒寿司の臭いはさっきより消えていたが、少しした。残り香だろうか。鮒寿司を車に置いてきたのだろうか、さっき持っていたエコバッグは手元には無かった。

 よくよく見ると先程は気付かなかったが、女の子は僕と同世代の感じがした。旅の出会いを大切にすべきと誰かが言ってたような、言ってなかったような気がするが、こういう場合、女の子に話しかけるべきなのだろうか?そう思っていると…女の子が僕の方を見てきた。女の子の両瞼には涙が浮かんでいた。

「あ、さっきの人ですね…さっきはすいません…いきなりなんですが、聞いてください。私…ちょっと今、絶望していて…」

 彼女が喋ると、さっきと同じ匂いがし始めた…

 ま さ か …

「私、皆に迷惑かけないように買ってきた鮒寿司を全部食べたんですよ~そしたら、そしたら、口ん中が酸っぱくなってもう絶望って感じで~ちょっと気持ち悪くなっちゃって~もう…バウムクーヘン食べられる口じゃなくなって~~~~~」

 やっぱりそのまさかだった。そりゃそうだろ!!と僕は心の中でツッコんだ。が、女の子が泣いているのにそんなツッコミをするのは男として駄目だ。僕はちょうど手元にあった口臭タブレットとハンカチを彼女に手渡した。そして、こう声をかけた。

「どうぞ、使ってください。泣かないでください。誰だって失敗はありますよ…このタブレットを食べたら多分気持ち悪さも、少なくなりますよ…」

 我ながら、前半部分はベタなセリフだと思ったが、彼女を慰めるには最適なセリフだろう。口臭タブレットは、気持ち悪さというか、今日の彼女のこれからのことを考えて渡したってこともあるが…

 すると、彼女はハンカチで涙を拭き、タブレットを5粒ほど出して一気にパリポリ食べ始めた。大胆な食べ方だ。まあ、あんな臭い物を一気に食べるくらいだから、大胆じゃない方がおかしいのだが。

「ふぅー」

 やっと絶望から解放されたのか、彼女は口から安堵と臭いのこもった大きな息を吐き出した。彼女の息は、タブレットの効果でちょっと匂うな…ぐらいまでには収まっていた。

「ありがとうございました。少し気持ち悪さ、治りました。バウムクーヘンは買って帰ることにします…今の体調の状態であの列を並ぶのはしんどいので…」

「良かったですね…僕はこれから家帰るので…じゃあ!」

 そう言って、僕がバス停に向かおうとすると…

 彼女が僕の肩に手を置いてそれを制止した。まだ本調子じゃないらしく、彼女の顔には疲労感が表れている。

「ちょっと待ってください。お礼と言ってはなんですが…車で送りますよ…駅まで…バス代浮きますし…」そう言って、続けて、「ちょっと待っててください…」と述べると彼女は施設の中に入っていった。お土産を買いに行ったのだろう。30分後、彼女は戻ってきた。手には大量の紙袋があった。

「ごめんなさい~!!欲しいものが多すぎて…こんなに買っちゃいました!!待たせてしまって申し訳ないです…」

「いえいえ、大丈夫ですよ…」

 その後、駐車場にある彼女の軽自動車の助手席に僕は入った。正直、初対面の女子の車に乗るのは内心ドキドキした。


 最寄りの近江八幡駅に向かう途中で彼女と僕は語り合った。

「そういや、私はあそこのバウムクーヘンが昔から好きだったから、他のところ回るついでに行ったんですが、何で、あなたはあそこにいたんですか?」

「僕は、今、滋賀県の大学に通っているんですが、滋賀県の魅力をもっと知っていこうと思いまして、旅に出てて、それで…甘いものが好きってこともあって、あそこを最初の目的地に選んだわけです」

 そう僕が言うと、彼女は満面の笑みを浮かべながらこう言った。

「へえ~、奇遇ですね。実は、私も滋賀県の大学に通ってまして…趣味で滋賀県の様々な地を巡ってるんです。同じことやってる人、他にいたんですね」

 それから、たわいもない会話を続けて、すぐに駅に着いた。


 駅についても、彼女は僕の方をチラチラ見て一向に車のドアのロックを解除してくれなかった。自分でロックを解除すれば、すぐにドアは開けられるが、彼女がなんか言いたげな表情を浮かべているので、それは行いはしなかった。暫しの沈黙の後、彼女は、スマホを弄ったかと思うと、すぐに、僕に画面を見せてきた。それはLINEのQRコードだった。彼女は少し顔を赤らめてこう提案してきた。

「…これも何かの縁だし。良かったら、交換しません?LINEの連絡先…一緒に旅に行くのもありですし」

 まさかのイベントが起こって、少し狼狽しながらも、僕は連絡先を間髪入れず交換した。実は、これが僕の人生の中で、初めて女子と連絡先を交換するという体験だった。我ながら、青春の無い人生を送ってきたんだな…そう思った。だが、今は違う!!

 僕は連絡先交換の際、顔をひどく赤らめてしまったていたらしく、彼女はこう続けた。

「なんだか、赤こんにゃくみたいな色の顔になってますね。可愛いです」

 比喩の意味が分からないが、彼女の”可愛い”と言う言葉が僕の心に更なる興奮を加え、僕の頬をもっと紅潮させた。

 カチッと、車のロックを外す音がした。

「車で送ってくれてありがとうございました!」

 僕がドアを開け、外に出る直前に、振り返ってそう言うと彼女は

「いえいえ、お礼ですから!そういや…これもお礼にあげます」

 そう言って、何かを車の後部座席から取り出した。それはさっき彼女が比喩で使っていた赤こんにゃくというものだった。

「近江八幡の特産品で美味しいんですよ。これは調理済みなんで味付けもいらないですし!!」

 僕はそれを受け取って、お辞儀をして車を出た。

 車を運転して去っていく彼女も何度も頭を下げていた。

 

 暫く駅のホームで待ち、来た電車に乗る。

 僕の下宿の最寄り駅は基本どの種類の電車でも止まるから便利だ。

 電車の椅子に座り、スマホをいじり始める。

 LINEの友達に新しく追加された『佐津川 芳美』という名前を眺める。恐らく『さつかわ よしみ』というのかな?また今度、LINEかなんかで聞いてみよう…

 そういや、僕の名前を彼女に伝え忘れていた。まあ、いいか、その内伝えるか…

 そんなことを思いながら、少しこれからの人生に希望を見出し、電車に揺れていた僕なのだった…

 

 


 

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