憑かれた神官 終

気が付くと僕は僕を見ていた。

そこには少女もいた。

聖堂のなか、神の加護を表す大十字の祭壇の前。僕の死体が横たわっている。傍らには跪いて僕の手を取るガナさんと、少し離れたところに宮廷魔術師殿。

少女は祭壇に向かって右側の長椅子に座りそれを見つめている。

「……こんばんは」

声が出せた。いつも、魂が体を追い出されたかのような自己傍観をさせられていたとき、僕はただ見ることしかできなかったのに。体を動かしてみると、水の中のような重さはあるものの、手足は僕の意思に忠実に従った。

ゆっくりと、椅子と椅子の間、大十字を目指す広い道の右脇を歩いて、僕の死体と少女へと近づいていく。

「……こんばんは、初めまして」

近づけば近づくほど、僕の死体は露骨な忌避感を現してくる。すなわち、死んだ肉の人形の姿。統制を喪った目はだらりと地を見つめ、脳からは脈拍に合わせ滴々と鮮血が噴き出す。鏡でよく見た自分の顔……いや、気づくとそれは記憶のものよりもっと痩せてやつれているが……それは今や、自分という魂の手を完全に離れているようだった。

これを元の生きた人間に蘇らせることのできる蘇生魔法とは、本当にとてつもない神秘だ。無事に帰れたなら、宮廷魔術師殿に少し質問してみたい。

「……僕は帰らないといけない」

長椅子の左端に座って私の死体をつぶさに観察する少女。その真後ろの席に座る。

「そのためには、君にいなくなってもらわないといけない」

おそらくこの戦いには猶予があまりない。僕の体が腐敗を始めたら、いやある程度の血液が損なわれたら。あるいはもっと繊細な条件で、きっと蘇生は成功しなくなる。

「君を、祓おうと思っている」

それでも、少し話をしてみたいと思った。

「教えてほしい。君の名前は?こうなる前は、どこで何を?どんなものが好き?」

肌は薄汚れて、肩まである長髪はぼさぼさに乱れている。服はウールだと思っていたが、もっと繊維質で穴だらけな、ぼろぼろのもの。幾度となく見てきた、貧しい暮らしを送る人の恰好。寂しい後ろ姿。

「……どうして、こんなことをしているの?」

自分から自分という観念を奪おうとした相手。

けれど僕は、彼女と和解したかった。

苦しませずに浄化してあげたかった。

だって僕は。

この少女のような、苦しみに喘ぐ人たちに何かしてあげたくて、神官になったのだから。


「……どうして? こんなことをしているのは、どうして?」


僕は再び訊いた。


けれど、僕は一言もしゃべっていない。

僕の声が言った事だが、僕はこの喉を震わせなかった。


「……えっ?」

「僕じゃない。 どうして僕が? どんなものが好き? どうしてこんなことに」


僕が言っている。けど僕じゃない。

僕が言ったんじゃない。声は僕から出たものではない。

目の前から聞こえている。

少女の頭から。少女の後ろ姿から。僕の死体を見つめる、少女の霊の顔から!


僕の声が、言っている。


「僕は誰?僕は誰?僕は誰?僕は誰?僕は誰?僕は誰?僕は誰?僕は誰?僕は誰?僕は誰?僕は誰?僕は誰?僕は誰?僕は誰?僕は誰?僕は誰?僕は誰?僕は誰?僕は誰?僕は誰?僕は誰?」


ゆっくりと、冷たい石柱が回るように。

少女の首がねじれて、僕の方を向くと。


そこには、僕の顔があった。

僕の顔が、少女に付いていた。

僕の口が、僕に訊いていた。

「僕は誰?」

その声は僕の死体から出ていた。

死体の僕が僕を見ていた。

「僕は誰?」

その声は死体の手を取る僕から出ていた。

軍服の僕が僕を見ていた。

「僕は誰?」「僕は誰?」「僕は誰?」「僕は誰?」

魔術師の僕が、白神官の僕が、大十字の僕が、ガラス窓の僕が、

僕を見て、僕に訊いて、僕を問うて、僕は誰で、

僕は誰?

僕は、

ぼくはだれ?

ぼくは、

ぼくは、

ぼくは、

ぼくは…………




「頃合いでございますね。サニケさんを蘇生します」

老賢者は大杖おおづえを掲げ、中空をかき混ぜながら何事かを唱える。するとサニケの頭の下にできた血だまりが光を帯びた雫となり、ひとりでに頭に空いた風穴へと戻って行く。一滴、また一滴戻るたびにサニケの体も光に包まれ、肌は赤みを取り戻し始める。やがて聖堂の床から血の色と匂いが消えてなくなると、ここに来たときよりも元気そうな見た目になったサニケが瞳を動かした。

「サニケ!」

ぎょろぎょろぎょろぎょろ、目だけがバラバラの動きで活発に辺りを見回す。

虫のように激しく動き、一点、天井かどこかを見つめて止まった。

「……サニケ?」

ついさっきまで死体になっていた男は飛び出さんばかりに見開いた目から頭、首、肩、背中腰足と奇妙な順で体を起こすと、吊り上げられるように上を向いた状態で直立する。

「おい、サニケ……」

私が肩を揺すると、彼は声を発した。


「サニケ!サニケ!アハハハハハハハハハハハハハハッッ!僕は誰!どうして僕はどうして!サニケ!サニケ!こんなことこんなことこんなことこんなことこんなこと!!」


人の、人間の声ではなかった。

なにか得体のしれないものが、人語の音を真似てみせた。そうとしか思えない現象が目の前で起きていた。

「……お前は、なんだ。サニケはどうした」

肩を掴んだ手に力が入る。手袋の先を突き破りそうなほど、爪が食い込んでいく。

「どうして僕は誰なの?罪作りな方々もいたものですね。清く正しく清く正しく正しく正しく正しく正しく」

「お前は何者だ!サニケをどこへやった!!」

声を荒げ男の体を突き飛ばす。

嘲笑うようにサニケの言葉を繰り返す肉の人形は私のことを少しも見ていない。

「愛してるよセレーナ。ありがとうセレーナ。セレーナ。ガナ。ケイさん。宮廷魔術師殿。話が理解してわからない。どうして僕が。僕は誰?誰?セレーナ。ガナ。ケイ。誰誰誰誰」

「…………スターシーカ-殿。これはどういうことだ。あなたの蘇生魔法は失敗したのか」

睨み殺すつもりで視線を刺す。老いぼれの賢者は変わらぬ穏やかな目で私を見ていた。

「お話しましょう、ガナファリオラ部隊長。私にわかることに限られはしますが」

橙の日が潰え、暗夜に世界が塗り込められる。

老賢者の話は、私をまるで救わなかった。


半年以上前のこと、星読みの男は未来を予見した。

ある若者に我々の領域に存在しないものが憑りつく。

それは徐々に若者を狂わせ、自我を破壊し、しまいには乗っ取ってこの世に入り込む。

彼は事の始まりからその結末まで全てを知ることができた。

しかしその解決策は何一つ見つけられなかった。何度魔法を使っても、どんな書物を紐解いても、誰から知恵を募ろうとも。

そこで彼は、見方を変えることにした。

それは素晴らしいことなのだと。

そこには恵みがあるのだと。

「見つめるだけで相手を狂わせる、手出し不可能の何者か。それを、若き神官一人の体に封印して、保有できるかもしれない。これは王国にとって、なんたる戦術的価値だろう。なんたる世の希望であろう!

……これを上手く扱えば、魔王さえ一方的に壊せてしまえるではありませんか」

宮廷魔術師、星読みのユシフ。男はこうして、一人の救えない命を犠牲に世界を救いうる可能性を手に入れた。



サニケ・ソーン。

死した部下の悪夢にうなされる毎日からすくい上げてくれた、素晴らしき神官の友。

……すまなかった。

君を、幸福にしてやりたかった。

ただそれだけだったのに。ただ、それだけのことさえ……。

すまない。すまない。許してくれ。許してくれ……。






白い服の神官たちに連れて行かれる友人だったものの後ろ姿を見送った。

足場の崩れてなくなったような感覚に倒れ、聖堂の硬質な床に打ちつけられる。

私の無力が雫となって目の前に溜まっていくのを、いつまでもいつまでも見ていた。

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イセカイノコワイハナシ 龍田乃々介 @Nonosuke_Tatsuta

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