憑かれた神官④

酒場を出た私とサニケは、王都の中心を目指して人の行き交う大通りをまっすぐ進んでいた。彼の足取りはおぼつかないため、私がほとんど背負うようにして連れている。

「が、ガナさん。どこへ行くんですか?何をするんですか?私は、これから、どうなって……」

「ここしばらく、私は神書を読んでいた」

回復術師の紹介は無念な結果に終わり、損なわれていくサニケの名誉を守ることもできず、直接会って話を聞くこともできない日々のなか。無力感にどうにか抗うため読み始めた。何か力になれないか、その手掛かりが隠されてはいないか、と。

「君は以前、御光セイクリッドライトについてこう言ったな。神書を通読しその理念を取り込んだ者なら使、と。まったく、謙遜がすぎるぞ。その言葉は」

神書は一度読んだ程度ではほとんど理解できない書物だった。

古めかしく難解な文章から、抽象的な表現や迂遠極まる比喩など、読みにくいことこの上ない。そのうえ、神書が書かれるより以前の古代神話や原始宗教の知識がなければ読み解けない箇所も無数にあった。そこに書かれた理念を取り込むことができた者とは、教師から教わりながら少なくとも十数冊の副読書を読み記述を理解できるようになった者、ということになろう。

暇のある身とはいえ、私にはそこまでの時間はない。今は古代神話の英雄譚について調べているところだった。

それが、なんと幸いした。

「……私の方が、学びたてだから気づくことができた。サニケ、君の場合は判断力の低下と、他の知識に埋もれてしまったために気づくことができなかったのだろう。総司祭様の発言の意図に。その言葉が表した物語に」


救いがあるとすれば、それは汝の死のみが切り拓ける先にある。サニケはこれを「お前はもう死んで楽になるほかない」というように受け取った。

だがそれは違う。

その言葉、その台詞は、古の時代にて喪った恋人に焦がれる英雄の物語に登場する。

「救いは、汝の死のみが切り拓く先に」大岩に千年座するという賢者が彼を導いたときに言った台詞だ。その助言を受けた英雄はその身を断崖から海へと投げ、暗く深い海の底に冥府へと続く隙間を見つける。その向こうの世界では呼吸をする必要がなく、死が人にもたらされて以来の全ての死者が炎の揺らめきとなって存在していた。英雄は冥府の門番や魔物と対峙しながら、全て同じに見える死者のなかから愛した恋人を探すという冒険をする。英雄は最終的に自分を信じて一つの炎を選び取り地上に持ち帰った。その冥府の炎は太陽の光と混ざり合うと、見事死したはずの恋人の姿になって英雄の前に現れる。彼はこうして、喪失に苦しみに喘ぐ日々から自らを救ったのだった。


「肝要なのは、英雄が冥界という別の世界に行くため海に投身したというところだ。彼は自殺したのだ。一度死に、海の底へと落ちていった。そしてその先で、冥界へ続く狭き岩の門をくぐった。総司祭様が言っているのは、そこなのだ」

死ぬ。魂が体を離れる。異界へと行き着く。それはおそらく、神がその手を指し伸ばさないという領域。……サニケを苦しめる少女霊がいるという領域。


「サニケ。君は死によって少女のゴーストがいる世界へと足を踏み入れ、直接戦闘して勝利してこなくてはならない。総司祭様はそう言っていたのだ、サニケ」

「そ、んな…………!」


林檎を籠一杯に並べる露天商の脇を通りすぎるころには、私はサニケを背負い上げていた。

総司祭様の真意を知った衝撃ゆえか、はたまたが底を突きつつあるのか、彼はぐったりとして気力を欠いている。

急がなければ。私は目的地である王都中心部、第一王宮へと走った。



橙色の日に染められた白亜の宮殿、権威なすその大建築物群の一つ。色とりどりの聖別されしガラス窓の美しい王宮聖堂。案内役の宮神官に連れられて入った私たちを、大柄な老賢者は穏やかな口調で出迎えた。

「ガナファリオラ部隊長、そして若き神官サニケ。お待ちしておりました。宮廷魔術師、星読みのユシフがあなたがたの力となりましょう」

国一番と謳われる魔法使い、ユシフ・スターシーカー。彼は予知・予言の才で幾度となく王国に莫大な利益をもたらしてきた。彼はすべて承知といった様子で、初めて会うはずの私たちに語り掛ける。

「死出の旅にて生の道を見出そうというのでしょう。ご支援いたします。我が霊視にて戦況を視、しかるのち蘇生魔法にてサニケさんの肉体を蘇らせましょうや」

無事会うことができれば極秘の特殊任務という体でサニケの蘇生をさせるつもりだったが、老賢者はこうなることも見えていたらしい。一体いつから、なぜもっと早く助けてくれなかったのか。……いや、時間がない。

「ご協力感謝する、スターシーカー殿。……サニケ、しっかりしろ。今から私の武器で君の頭を一部吹き飛ばす。筒状の杖の中で小規模高火力の爆発魔法を使用し小さな鉄球を弾き飛ばす魔導具だ。一瞬なので痛みはない。君が気が付いたときにはそこがあの世だ。君は速やかに討伐対象である少女のゴーストを……」

「まって、まってください、待ってくださいガナ部隊長!」

それまで胡乱な目で呆けていたサニケが私の軍服の裾を掴んだ。その力はまるで、離せばそのまま底なしの谷間へ落ちてしまうかのように強い。

「僕は、ま、まだわからない。一体なにがどうなってるんです!?宮廷魔術師殿はどうして話を理解しておられるのですか?どうして僕は、殺されようとしているのですか?どうして、どうして……!」

「サニケ、話が聞こえていなかったのか?端的に説明する。君は」

「ガナどの。お静かに」

私の言葉を老賢者が遮る。サニケは動揺したまま、どうして、どうしてを繰り返す。

「どうして英雄の真似で死ななきゃらなないんだ……どうしてケイさんも総司祭様も宮廷魔術師殿も助けてくれないんだ……どうして僕が戦わなくちゃならないんだ……どうして……どうして……どうして…………


……どうして、僕だったんだよ……ッ!


誰でもよかったはずじゃないか……どうして偶然あの日墓地浄祓ぼちじょうばつの当番だっただけの僕がこんな目に……どうして日々を清く正しく人のために生きてきたはずの僕が……ずっとずっとみんなを助けてきた僕が……ッ!僕が!!どうしてッ!どうしてッ!!!」


嘆きの声は聖堂に轟き、枯れんばかりの絶叫ののち、サニケは手を離してうずくまり、転げ、融けるように床に倒れてさめざめと泣き始めた。

……こんな彼を、想像できなかった。

サニケは、戦ってくれると思っていた。少女霊を祓おうと努力してくれると。希望さえ見えれば、その道さえ開ければ、彼は立ち上がり歩んでいけるものだと思っていた。

強かで、思いやりに満ち、前向きで、勇気がある。

勝手にそんな英雄じみた人間だと思い込んでいたのだ。


「…………。」


そのように見ることができなくなったいま。彼は、なんだ?

私にとって、彼はどんな人間か。誰なのか。何なのか。

私はいま、どうすればいいのか?


「…………サニケ」


みっともなく聖堂の床を涙で濡らす男を見下ろす。


私はその男の胸ぐらを掴み引き上げて、杖を額に突き付けた。


「甘えるなこの大馬鹿者が!!!

貴様……さっきから聞いていればどうして僕がだの僕は悪くないだの情けない弱音をだらだらだらだらとふざけやがって。なぜ貴様が憑りつかれたかだと?知るか!!理由など考えてなんになるというのだ!どうせ貴様のそういう内心の弱みが招いた不祥事ではないのか?いや、仮に他にどんなどうしようもない理由があろうがそうだと納得しろ、今貴様に重要なのはこうなったワケではなくこれからどうするかなのだからな!!

いいか弱虫野郎のサニケよ、私は今から貴様を絶対に殺す。必ず殺す!泣き言をぎゃあぎゃあと喚き散らされて私はもう我慢がならない。お前を殺さなくては収まらない。ここから貴様を生かして出すことは決してない!!

だがもしも!一度殺された貴様が、なにがしかの奇跡で、生き返ることができたなら!今日貴様がしでかした失態の全てを忘れると誓おう。これから先危害を加えることもない。……お前次第だが、友に戻りたいとさえ思う。お前が、許してくれるのならだがな。

……サニケ。お前はどうやら強い人間ではない。全くその逆、追い詰められることに弱い人間だった……。

だがそれは、お前の良い所だ!弱いからこそ虐げられる者を理解し寄り添うことができる。弱いからこそ脅かす罪を知り悪を挫く意志を持てる。どうしようもないお前のその弱さが、強い祈りを生み人々を守る術を成す。

お前の弱さが、私は好きだ。

サニケ、頼む……。もう一度立ってくれ。立って、戦ってくれ。戦って、どんなにみっともなくてもいい、勝ってくれ。

お前を惑わせる少女の霊に、お前を狂わせる不憫な運命に。

どうか、勝利してくれ」




「わかったよ。ガナ」

立ち上がったサニケは私の手から零れた杖をしっかりと握って、自らの頭にその先端を安定させる。

「僕は君に、勝利をあげたい」

人懐こいあの笑みを残して、仕込まれた魔導装置に魔力を流し、銃撃魔法を発動させた。





……よかった。

これなら必ず、彼は勝つだろう。

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