第7話


 傷は思いのほか深く、血がぴしゃりと暗い足元に飛び散った。

 同時に押さえていた扉は乱暴に開け放たれ、数人の男たちが入り込んでくる。


「手間をかけさせやがって!」

「いや……っ」


 叫び声をあげるが、一華は抵抗を許さないように床に押さえつけられてしまった。


「お前ら、服を脱がせ。もう馬鹿な真似をしないようにな」


 壊れた扉から入ってきたのは、施設長と話していた男だった。

 彼の命令を聞くと、一華の手足をきつく掴んでいた数人の手が体へと伸びてくる。


「やめ、やめてっ……お願い、やめ……っ」


 けれど、誰も聞く耳は持たない。声を出さないようにと、男の大きな手で口が塞がれる。


 唇を彩っていた淡い紅は、擦れて口元を汚した。

 次に、頭を乱暴に掴まれた。前髪を留めていた硝子細工の髪留めがコロンと落ちる。

 容赦なく衣服を剥かれる。飾り紐が解かれ、肌が冷たい夜風に触れた。


(いや、いやだ……っ)


 頬を伝っていた涙が、あらわになった胸元に落ちて弾ける。すると、ゴクリという唾を飲み込むような音が男たちから聞こえてきた。


「さすが、"花送り"になる女なだけあるぜ……」

「あ、ああ……」

「なんだ、お前ら。そんな餓鬼に欲情したのか? まあ、見て呉れはいいはずだ。それなりの金も渡していたんだからな」


 ふと、男の声が途切れる。なにを思ったのか一華の前までやって来ると、じろりと見下ろして言い放った。


「こいつは少々、威勢がよすぎる。健康な肉体さえ保てりゃいいんだ。どうせ食われちまうからなぁ。もう逃げる気すら起こさないように……お前ら、少しくらい手をつけても構わねぇぞ」


 男がなにを言っているのか、一華は意味がわからなかった。けれどその言葉を聞いた瞬間、全身が粟立ち頭の奥で警鐘が鳴る。


(どういう、意味……?)


 その答えは、自ずと明らかになった。

 肌に触れようとしてくる卑しい手つき。欲にまみれた、何かを期待するような目つき。

 目の前で気色の悪い笑みを浮かべる男たちは、一華のことを――女として見ていたのだ。


 皆に祝福され、満ち足りた心地に包まれた朝の出来事が嘘のように。目に見えた悪夢が、この先に待っている。


(誰か)


 助けなんて、来ないことはわかっている。

 それでも強く思うほかに一華に残された手段はなかった。


 胸の芯が熱くなる。

 体のすべてが拒絶している。

 一華はただ、強く、強く――願った。


「たすけて……っ!!」



 口を押さえられた指の隙間から、悲痛な叫びが響き渡る。

 その刹那、床が突然、青白い輝きを放った。


「な、なんだこれは!」

「光が、くそっ、なにも見えねぇ!」


 目も開けていられない閃光は、一華のみならず、その場にいた男たちも情けない声とともに恐れ戦く。


「誰が、俺を――喚んだ?」


 まばゆい光が弱まったとき、小屋の中には一人の青年が佇んでいた。

 涼やかで、どこか芯が通った耳に深く残る声だった。


(え……)


 肌を吹き抜ける空気が、温度が、音が、その一声でひどく冷たいものに変わっていく。

 突然、目の前に現れた青年の姿に、一華は大きく目を開いた。


 暗闇の中にいても鮮明に映る、漆黒の纏う不思議な雰囲気の青年。

 一華も、揉めていた男たちも、その姿に息を呑む。それだけ浮世離れした端麗な姿だったからだ。


 不自然に吹く風に揺られる黒髪、ほのかに光を帯びる切れ長な烏羽色の瞳。

 歳の頃は二十代半ばだろうか。黒地の着流しに羽織りを肩に掛け、悠然と佇む青年は、一華にその妖艶な視線を流した。


「……!」


 とたんに青年の抑揚のない表情が少しだけ変化する。

 一華のあられもない姿を目にし、それからゆっくりと唇が動かされた。


「見つけた」


 その声は、おそらく誰の耳にも届かないほど小さなものだった。けれど一華にはなぜかわかった気がした。

 青年の瞳が、まるで待ち焦がれた者に出会えたかのように、強く縋っていたからだ。


「これを掛けておいて」


 不意に麗しい青年の顔が間近に迫り、一華の体が羽織りの温もりに包まれる。


「あっ……」


 次の瞬間、青年は優しい手つきで一華を抱えあげた。

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黒の大天狗は祓い屋の血に願う @natsumino0805

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