双星の変奏曲 〜神の宿りし島にて〜
しぎ
島での出会い
ボーーー…………
「ご乗船の皆様、当船はまもなく桟橋に着岸いたします。着岸後は、係員の指示に従って下船ください。また、船内へのお忘れ物無きよう……」
その機械音声とも肉声ともつかぬ放送を聴いて、私――
いや、この船が泊まれそうなぐらいの大きさの桟橋は他に見当たらないのだが、地平線より手前に他の島がいくつも見えている状況では確証は持てない。
目を凝らすと、桟橋の付け根のところに白い横断幕を持った人々がいる。他にもこちらに向かって手を振る人が何人も。
もしかして、この定期船が来るたびにやっているのだろうか。一日2往復だけとはいえ、随分ご丁寧である。
正面に見えるのは、緑に覆われた綺麗なすり鉢状の山。瀬戸内海に浮かぶこの島――
今の私が知っているのはこれぐらい。後は、この島が自然豊かな、というよりほとんど自然な島……というのは、一目見れば明らかだ。
「手すりにしっかり捕まってくださいねー」
ほとんどが島の人間と思しき下船客に混じって桟橋に降り立つ。
正面の横断幕には、『ようこそ
「ようこそ!
その横断幕と同じ声がした方向には、真っ赤な浴衣を着た、頭からつま先まで瓜二つな幼い少女が二人いて、私に向かってにっこりと微笑んできた。
***
「お客さん、島には何の用で?」
「うーん……面白そうだから、ですかね」
「……え? 何にですか? 次の大祭はまだ8年先ですし……」
「あーもちろんお祭りにも興味ありますけど……どうせなら、行けるときに一回見てみたいな、って」
島唯一の宿泊施設――といっても民家に毛が生えたような規模の民宿であるが――には、私以外の宿泊客はいないようだ。
一人で切り盛りしているという主人からは、お代さえもらえれば何日でも泊まって良いと言われた。
「へー、ということは島のことは前からご存知で?」
「母から一度だけ聞いたんです。とても面白い祭りがある、と」
「それは嬉しいですな。祭りはこの島の伝統であり誇りですから」
そう言って、主人は廊下に貼られたポスターに視線を向ける。
『
前回の……4年前の祭りのポスターらしい。
島全景を描いたイラストをバックに、若者たちが灯籠流しをする様子が描かれている。
「双星まつり……?」
「はい。双星伝説というのが、この島にはありまして」
***
その昔、嵐で難破した船から、生き延びた人々がこの島に流れ着いた。
当時この島は無人島だと思われていたが、島には二人の女性がいて、やってきた人々を手厚くもてなした。島では到底手に入らないような豪華なごちそうで。
その代わり、女性たちは人々に一年間島を出ないこと、島で一番高いところは自分たちが住んでいるので入らないこと、夜空に浮かぶ2つの星を指して毎日お祈りすること、を要求し、人々もこれを受け入れた。
そして一年、人々が毎日お祈りを続けると、女性たちはいなくなった。
『皆さんのお陰で、わたしたちは本来あるべきところに還ることができました。しかしこれは決して別れでは無く、わたしたちはこの島の万物になって皆さんを見守っています。また、もしも皆さんに何事かあれば、わたしたちは輪廻転生の形を取って皆さんの前に現れるでしょう』……そんな置き手紙を残して。
***
「それで、その女性たちは夜空に浮かぶ双星の神であり、島に宿って自分たちを見守っていると考えた人たちは、社を建て、この島に定住することを決めたんです。そしていつしか、この島は『神が宿る島』になった」
……なんだか、伝説というよりおとぎ話のようだ。
「……次の祭りは、きっと盛大なものになりますよ。何しろ次代の巫女と、双星の姉妹が生まれて初めての祭りですからね」
「双星の姉妹?」
次代の巫女、というのはまあ分からなくもないが。
「ああ、はい。お客さんも、会っているでしょう? 船から降りて、桟橋のところで」
……ああ。
真っ赤な浴衣の幼い少女が二人。見分けがつかない顔立ちと体型。
あの子達には、何かがあるんだ。
***
セミが鳴き叫ぶ中、獣道を歩いていく。
今は8月の初め。Tシャツにズボンの歩きやすい、風通しの良い格好ではあるが、それでも歩けば歩くだけ汗が出てくる。
道の両脇には背の高い木々が生い茂り日陰を作っているが、正直気休めにもならない。
それに混じっている背の低い木々には何やら果実が垂れ下がっている。……夏みかん?
そう言えば、途中で山菜採りをするんだという高齢者の一団とすれ違った。
足元に目を凝らす。一面の緑は雑草ばかりにしか見えないが、見る人が見れば違うのだろうか。
わかるのは、あちらこちらに落ちているセミの抜け殻だけ。一つだけまだ生きてるやつがあってびっくりした。
祭りが行われる
……まあ、いいか。
時折吹き抜ける風に、こういうのも悪くないと考えつつ歩を進める。
……元より都会の喧騒よりは静けさ、のどかさを好むタイプだった。幼少期に行った祖父の実家がある田舎の印象が良かったのだろう。
母が音楽の先生をやっていた影響もありピアノを始め、音楽関連の職業に就きたいと音大へ進み、大手楽器メーカーが運営しているピアノ教室の職員になった今でも、長い連休が取れるとこうしてふらっと旅に出て、自然に触れる。そうすると、なんだか落ち着くのだ。
最近は父から『好きなことをやるなとは言わんが、少しは身を固めるとかも考えてくれ』と言われてるが、そういう気にはなれない。少なくとも、都会を出づらくなる。
――そう考えていると、急に視界が開けた。
木々が途切れ、茶色く変色した2階建ての横に長い建物。
その向こうに遮るものはなく、青い海と空、遠くに他の島。
……ああこれ、校舎だ。
私は近づいていく。どうやら、学校の裏手に出てきたらしい。
獣道は直接ゴミの集積場的なところにつながり、隣にはどこでも見かけるような学校の蛇口。
しかし、塀もフェンスも何もなく入れるというのは、この島が田舎と呼ばれる場所であることを改めて思い起こされる。
私がいるのは校舎の端のようだ。反対側の端を見ると、体育館のような建物。
目の前の窓から見えるのは……
……グランドピアノ?
***
「お邪魔します……」
勝手口らしきところから、校舎内の一室へ入る。
昼間なのに人の気配がないのは、今が夏休みだからだろうか。
なら、多少の不法侵入は許されるだろうか。
私は導かれるように、目の前のグランドピアノへ向かって歩いていく。
教室の中に堂々と鎮座するそれは、窓から差し込む日光を反射して黒光りすると同時に、その上に薄っすらと積もる砂とホコリを浮き立たせている。
この教室と同様、長い間使われていない……触るまでもなく、容易にわかる。
周りを一周すると、それなりにちゃんとしたものであることは判断できた。
勤務先のピアノ教室に置かれているものと同じ型。
でも、弾き手がいないであろうそれは、眠っている。
「……お姉さん、どうしたのですか?」
不意に幼い子供の声がして、私は周囲を見回す。
廊下へ通じるドアの影から、一人の少女が顔をのぞかせた。
……いや、少女と呼ぶには小さくて、幼稚園児でもおかしくないような……あっ。
「あなた、桟橋で出迎えていた……」
「はい。島へお越しいただき、ありがとうございます」
彼女が丁寧に頭を下げた。
その顔は、つい数時間前に見たばかりの真っ赤な浴衣を着た、瓜二つの姿。……今は一人しかいないけども。
「双星の姉妹……」
私が思わず発したその言葉に、一瞬だけ彼女の顔が引きつった、ように見えた。
「はい。……ご存知なのですね」
情報を整理する。
宿の主人は、『次の大祭は双星の姉妹が生まれて初めての祭りだ』と言っていた。
次の大祭は8年後、前回の大祭は4年前。ということは……
「あなた、小さいのにこんなところに一人でいて大丈夫なの?」
「大丈夫です。ここにはしょっちゅう来ているので」
せいぜい4才とは思えないほど、彼女の受け答えはしっかりしている。
……しっかりしすぎている。
「お姉さんは、学校に用があったのですか?」
「ううん。道に迷っちゃったら、素敵なピアノを見つけてね」
彼女の視線がピアノに向く。……興味がありそうな、純粋そうな目だ。
「お姉さん、ピアノ弾けるのですか?」
「……仕事にしているぐらいには」
彼女のわくわくを感じ取り、私はグランドピアノの蓋を開けた。
ホコリが宙を舞い、咳き込みそうになるのを抑える。
ついでに、一部閉まっていた教室の窓も全部開けた。
周りに民家も無さそうだし、都会と違って音に文句を言うような人もいないだろう。
海の方から潮風が通り抜ける。一応室内ではあるが、もう外だ。
「何が聴きたい?」
そう問いかけてみる。さすがに本格的なクラシック曲や高難易度曲が幼稚園児相当の子からは出てこないだろう。
「では……この島みたいな曲、が良いです」
――どうしよう。
適当に弾いてごまかすことは、できるだろう。
相手はたかだか4才である。
そんなに楽曲に関する知識があるとは思えない。
……けど。
彼女の純真な眼差し。
普段ピアノ教室で見る子どもたちより、ずっと真っ直ぐな目。
それに応えない訳にはいかなかった。
私はそっと鍵盤の上に置いた手を滑らせる。
***
――潮の匂いとともに、音が風に乗って流れていく。
その音色は、例えば廊下を通り抜けて裏手の山へ消えていくし、逆に風に抗うようにして広い海の上へ消えていく。
『きらきら星変奏曲』。
――この島の伝説に、思いを馳せて。
双星の変奏曲 〜神の宿りし島にて〜 しぎ @sayoino
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