主な登場人物紹介(あとがきに代えて)
★上村吉佐奈(かみむら・きさな)
わたしたちを変えようとするすべてを退ける磐石(モノリス)の墓標。しあわせにねむりつづける。
★上村寿郎(かみむら・としろう)
吉佐奈の弟。上村家の長男。一九九九年生まれ。姉の吉佐奈とは異母姉弟にあたる。吉佐奈は寿郎の母親と折り合わず、十六歳で高校進学を機に家を出た。当時寿郎は九歳であった。寿郎からは吉佐奈に宛てて定期的に手紙が届いたが、ある時を境にふっつりと音信が途絶える。親族から吉佐奈に「寿郎は亡くなった」と伝えられたが吉佐奈は信じず、ふたりは数年後に街中で偶然再開する。ビジネススーツに身を包んだ寿郎は、吉佐奈に存在しない“兄”の存在を語った。彼は〈架空の兄〉に取り憑かれていると言って過言でなかった。吉佐奈と過ごす時間が増えることで、少しずつ寿郎は〈架空の存在〉による魅了から解かれていった。寿郎と吉佐奈は、彼らの思い出までもが〈架空の兄〉にすり替えられる恐怖に怯えた。
そこで彼らは創作をした。彼らが自宅の裏庭でこしらえた土人形に、魂が宿ったと。そのような怪異の存在を、少しずつ広めた。口頭で、街中のいたるところで、インターネットで。知人友人に、見知らぬ他人に。言霊が意味と歴史をもつように。吉佐奈は語る。
〈寿くん、今なら話すこと、書き起こして喜捨奈の台詞に割り当ててくれる? もう、舌もうまく動かしづらいんだよね。一回しか話せないからよろしくね。ほんとのわたしのことは書いちゃダメなんだよ? ほんとじゃないことを、真実にするんだから。思いつく限りの嘘を本当にして。まずは喜捨奈と拾史郎が、どこを舞台にした、なにをテーマにしたお話でも〈わたしたちの日常生活〉を送れるように。そんな顔しないでよ。楽しみだよね。誰かに語り継がれて、誰かに記憶された数だけ、たくさんのわたしと寿くんが居て、喜捨奈と拾史郎になれるんだから。〉
余計な文言まで記録してしまっているのが、どんなに些細でも姉の足跡を残そうとした寿郎らしいミステイクだ。物語の作者は、プライベートを隠さなければキャラクターの背後には潜めないのに。疑り深く心配性な読者諸氏のために付記すると、寿郎は個人情報を明確にそうと分かるよう隠蔽している。「寿郎と吉佐奈が異母姉弟」にあたり、「家族仲が不仲」で、「進学を機に疎遠」となり、「弟からは手紙が届き」、「ふっつりと途切れ」、「弟は亡き者だと吹き込まれ」、「数年後に偶然再会」する。そのいずれが、あるいはすべてが虚構でも、あなたはぜんぜん驚かないだろう。やっぱりねと思うだろう。それで良い。どれもこれも全部嘘なのだ。吉佐奈は語る。
〈完璧な論理なんて要らないし、つじつまも合ってなくて良い。でも、難しいんだよね。約束事は守らないといけないから……。わたしが考えるのはね、架空の兄の興味を惹きそうな、土人形を身代わりにする弟妹の話。もとは気の遠くなるほど昔の話にしよう。水害の人柱として弟妹を失ってしまった兄が、二体の土人形を作って夜な夜な話しかけていたら命が宿った、これでどう。土人形はいつか崩れてしまうから、兄の死霊はいまも弟妹の土人形を探してさまよっている。その兄の霊を、守り神として扱える呪術がある。……いい感じでしょ? もちろん、約束はいっぱいあるし、もし土人形が壊れたり壊したりしたら、弟妹だと思ったのに騙された兄の死霊から報いを受けるの。手順はこう……かならず雨の降っている日の深夜零時に、髪の毛と涙を混ぜた土人形に名前をつけて、白い紙に名前を書いて土人形に乗せておく。あにさま、あにさま、おまもりください。喜捨奈と拾史郎をおまもりください。雨が上がればどうか迎えにおいでください。と唱えて、土人形が一晩誰の目にも触れずそこにあることを確かめる。夜が明けたら、土人形を絶対に崩れないように気をつけながら保管する。普通のひとのふりをして兄の霊が現れるから、紙に書いたとおりの名前をどちらかが答えればオッケー。〉
彼らが作った、いわばオリジナルの二体の土人形にも名前が付けられた。喜捨奈と拾史郎。怪異の兄が土人形のことを吉佐奈と寿郎だと勘違いしていれば、土人形の寿郎にしか纏わり付かず、土人形の吉佐奈にしか攻撃しないはずなのだ。吉佐奈は語る。
〈怪異の本性はね……そう、黒塗りの顔の兄の姿がいいかな。一人っ子のひとにも長子のひとにも関係なく、おまえの兄だよ、と名乗るの。コンディションがまちまちな怪異でね、紳士的な兄の場合もあれば、荒くれ者な兄の場合もある。でも何人も居るわけじゃなくて、とりあえず一人みたいなのね。こんなのが何人も居たら困るよね、あはは。兄はとりあえずの見当をつけて土人形を作ったふたりの近くに現れるんだけど、目隠しのまじないが兄本人にも効いているから、どんなに近くにいてもふたりには手を出せない。その間はほかの悪霊の厄災や不運の災難を弾くから、守り神も同然ってことね。でも土人形が壊れたりしたら、土人形が粗雑に扱われたということで、造り主の守りの約束も無かったことになる。守りの期間が長ければ長いほど、兄を欺いていた時間が長いから、堰き止められていた凶兆も多いから、酷いことになるんじゃないかな。〉
もちろん寿郎と吉佐奈は、土人形が土である以上、脆く崩れやすいことも理解していた。痕跡も残さず手近にあって造形できるものが庭の土だった、ただそれだけの理由だったが、もはや伝聞にわかりやすい名称を用いたり、インターネットで人びとに検索してもらいミームを拡散させるには、土であることは必要条件となっていた。吉佐奈は語る。
〈そうだ、土人形が壊れないまましばらくすると、写真でも動画でもなんでも自分らの作った土人形を見せてきて、見覚えがあるか? って訊いてくる人がかならず現れるのね。兄ではない見知らぬ人のことが多いんだけど、そう訊いてくるの、なぜか必ず。何もないまま年月が過ぎるのはつまんないじゃん。兄もただ弟妹を守ってるはずだけどずっと見つかんないな〜って思ってるわけじゃないだろうし。で、これに分かると答えてはダメ。弟妹を探してる兄にまじないを使ったことがバレて、見つかっちゃうからね。もし分かると答えてしまったら、黒塗りの顔の兄がガラス戸の向こうや玄関の戸口に無言で立っていて、それを見た瞬間自分も顔を失くしてしまう。晴れて黒塗りの顔の兄の弟妹になっちゃうというわけ。〉
吉佐奈の首から下が崩れた時、吉佐奈が語り終えた時、吉佐奈がもう言葉を発さなくなった時、寿郎は考えていた。
本当は真っ当に姉を葬り、供養するつもりだった。しかしいざその時を迎えると、寿郎は考えてしまい、考えを止められなくなっていた。姉を物語にし、物語を現実にすれば、〈ここで物語るこの存在〉になれば、彼女は死ななくて済むと。まだ彼女は消え切ってはいないから。身代わりにした土人形に付随する存在強度を、〈この姉〉と取り替える。そして、姉を語り継ぐための存在として寿郎自身も在り続ける。姉を守るのは兄ではない。そこまで考えて、寿郎はその事実をいかに保持するか、怪異として変容せず〈彼ら〉で在るためにはどうすべきかに思い至り、悩んだ。
そしてふと目線を上げ、あなたを見た。ここまで読んだあなたを見た。あなたも寿郎を見た。あなたのなかに寿郎が記憶されたならば、寿郎は記憶時間の在る限り生き続ける。記憶時間は現実時間より曖昧で、自在に伸縮する。寿郎から見て未来にも過去にも行き来できる。
拾史郎の一連の行いがいかな結果に終結したかを読者は既に知っているだろう。拾史郎はこの物語では消滅してしまったけれど、しかしながらこの通り、寿郎はまったく諦めていない。あなたのおかげでまたひとり、明日も拾史郎は起き上がり、首の姉を抱き上げて、リュックを背負い、物語が約束された箱型の特異点、スーパークラガリに行くだろう。複数の怪異が絡み合う時象を構成する一部として。幼くして老獪な彼は語り出す、「これはもう、過ぎた話」だと言って。彼がすべて過ぎ去ったと思いたいならば、終わりたいとだけ願っているならば、これはもう過ぎたお話なのだ。
無駄に思えるほど綿密な〈設定〉の数々は、驚くほど作者に従順な物語として機能した。寿郎は最後の手帳に書き記す。
「僕らは愚かだっただろうか?」「物語が僕らを助けるよう、僕らの利己的な望みを叶えるためだけに機能するよう創ったこと、匿名な不特定多数の読者の意識をも利用したこと、物語をあまりに道具にしすぎたこと。裁かれるべきだとして、裁きが在るとしたら、それは誰が決めるのだろう」「始点が次第にずれ、わずかに変化しながら再編成されていく無限に近い複製、複製の真実性……」「ほんとの僕らは存在しない。完成した円に始まりはもうない。在るのは無数の物語の始まりと終わりだけだ。擬似的な無限に投企したのに、無限に遠い過去を思い出そうとしてるなんて、どうかしている」「僕は考える。作者として強制力をもつ断定ではなく、ひとりの考察者として、思う。但し書きをしたとしても、僕の発言が幾らかの優位性を持ってしまうことは分かっている。けれど、書いておかないと思案の端から消えてしまう」「僕は思う。僕らを扱えるのは、お話のなかの僕らを作り手のように扱っていいのは、〈架空の兄〉だけじゃないかと。僕らがおもちゃのように扱ってしまった彼が、もはや僕らの物語に現れてくれるかも定かではないけれど……」「彼が僕らを引き込んだのが先か、僕らが彼からストーリーを奪ったのが先か、もう誰にも分からないのであれば、終結しない物語に対抗しうる唯一の手段は許しだと僕は考える」「僕は許した。だから僕も許されようとは思わない。でも、叶うならどこかの物語で、寿郎として彼と姉に謝りたい。そんな物語があればいい」「この記録がすべての物語の終わりに再生されるよう、残しておこう。XX年、十一月末日。イチョウが綺麗だ。」
星をかうなら 間 敷 @awai
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