30.おわり【天地】
【それよかさ、吉佐奈。喜捨奈と拾史郎には悪いことをしたよね。】
【やっぱり、悪かったかな。】
【そうだよ、土人形にもお墓作ってあげようよ。】
【悪かったって思えば、許されるかな。】
【許されるかはわかんないけど、気持ちは楽になるでしょう。】
【楽になっていいのかな。】
【いいんだよ、悪いことをしたって事実は、帳消しにはならないんだから。】
姉弟喧嘩のような、そうでないような、親密ゆえに声の尖りを隠さない言い合いが聞こえていた。
「あんたはそうして笑って、嫌なことも苦しいことも許せないことも水に流してきた。あんたの河は汚れてゆくのに、あんたの心は有限なのに、あんたの人生は流れたらそれで終わりなのに、ゴミを平気でほかるんだ」
「それは僕の人生やなくても、一回きりなのはみんな同じやから」
喜捨奈はあれ、と思う。喋ることもできないし動くこともできない。自分を明示できない。それはそのとおり、喜捨奈は吉佐奈と寿郎の前ではただのカボチャだった。土の布団に半分埋まっておしりがしっとりあたたかい。カボチャの喜捨奈はちょっと眠たくなった。
「ああ、もう良いよ、良いよ。許そうよ。許していいんだよ。憎んでもどうにもならないよ。どうしても憎しみを流せないのなら、ひとつにぎゅっと閉じ込めて、埋めてしまえばいいんだよ。だいたい、流せるわけがないんだよ、この世の汚れをぼく一人の河で。この土は、太古の血肉が分解されて循環して満開の生命を誇る、そんな青い惑星の貴い土とはちがうけれど、記憶を吸う砂でできているんだよ」
じゃあ、わたしたちどうしたらいいの。吉佐奈は言う。
「僕は最初から、拾史郎と喜捨奈を身代わりにするつもりだったよ。彼らは分かっていたんだよ、僕らがここから抜け出せないこと、結局はどうにもならないこと。それに僕はもうだいぶ他人のいろんな記憶が混ざってしまったからね」
寿郎は水中から吉佐奈を見上げていた。カボチャの喜捨奈はぼんやりと、ふたりのその様子とみずいろの空を見上げていた。
河も空も同一の地平に並び、いずれも青く清らかだった。「一人にしないでよ」と吉佐奈の唇がわなないた。
「じゃあ吉佐奈もおいでよ僕んところに」
たぶん呪いを忘れられるよ。「忘れる……」「そうだよ」「昔のこと、忘れちゃったの?」「忘れてないよ、まだ。だってあのスーパーも銀杏公園も、あの頃のままやったやろ。犬飼っとったね。名前は、そうだ、レトロじゃなくてトレモロか。憶えとるつもりやったけどなあ。まあでも、うん、すんなりと忘れられるように。僕は初めからそうしてる」
おかしいな、とカボチャの喜捨奈は思う。わたしはべつに死んでない。拾史郎にそっくりなこの男のひとはいったいなにを言っているんだろう、と。喜捨奈は、考えるのがいやになり、いつものように青と黄色のリュックを背負った拾史郎がむかえにきてくれるだろうと、弟を待つことにした。拾史郎とかあさんとで、またスーパーへ買いものに行って、今日の夕飯の相談をして……。
「だってもう、過ぎた話だから」
寿郎はとうてい九歳の男の子とはよべそうにない微苦笑でこう締め括った。ねえ、おねえちゃん。僕は最初にそう言ったでしょ。
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