-下-

「ち、違うの、最初は違ったのよ! はぁ、はぁ、ンン゛ッ!!」



 私は届かない声を上げ、終わった過去に懺悔するかのようにして叫んでいた。


 そしてまた自分の中をミキシングしていた。


 それは先輩を掻き出そうとしていたのか、気持ち良さに逃げようとしていたのかはわからない。どちらとも言えるし、どちらでもないとも言える。


 なぜなら彼の大きな瞳がじぃっとこちらを見るからだ。


 目の下のクマが凄くて、それが私を責め立ててくるからだ。



「み、見ないでっ! お願い見ないでぇぇッ!!」



 何のことはない。私がポーズボタンを押したからで、その意地の悪い笑いなんて、初めて見たからだったからだ。


 それはまるで私が浮気を見られたかったと告白しているようなものだった。



「じゃあ、なンッ、で言わなンンッ、かったのよッッ! 叱ってよぉ!! そう! そうよ! あ"ッグッ! ッん"ンッ!!」



 そしていつの間にか、先輩は居なくて、彼に叱られながら犯されている気になって馬鹿みたいに掻き回していた。


 大好きな奥に例え届かなくても、苦しさと切なさはすぐに私を押し上げていった。


 こんなことをして、何になるのか。


 そうは思うけど、それでもそれを止める気にはなれなかった。


 続きは痛くて聞きたくない。


 けれど気持ち良いから聞かせて欲しい。


 とっくに答えの出てるメモリに、私は精一杯の声を上げていた。


 私の中の芯を抉る痛みが、気持ち良さと合わさり、私にその背徳を思い出させていた。


 全てを知られて、想いを壊されて、残る最後はこの背徳なんて、本当にどうかしてると笑えてくる。



「あ、は…はは、ふふ…」



 そして震える左手で再生した。


 彼は私のそれまでの痴態に呆れたようにして語りかけてくる。


 もちろんそんなことはないけれど、どうやらあの一瞬にしか、意地悪い顔はなかったようだ。


 もっとしてくれても…見たかったのに。

 


『はは。こんなことをして、何になるのか。そう思うだろうけどさ。君とは幼い頃から一緒だったからね』


「…ああ、うん。ふふ、そうだね。そうだったね」


『その一つ一つを今みたいに潰したかったのは、全てなかったことにしたいのは、僕もだったからね。でも流石に…胸が痛んだよ…ははは』


「それくらい好きってことよね。随分と辛い思いさせちゃった。ごめんね」


『でも過去をみっともなく潰したところで、僕の中から君は無くならないのだと気付かされたよ…ははは』


「少なくとも私には、まだ残っていたみたい。なんてまた強がって、ほんと馬鹿だよね…」


『ああ、僕は本当に馬鹿だったよ』


「そんな…あなたじゃない。私…馬鹿だったのは…わたし」



 それはまるで彼がここに居るみたいに心地よく会話が成立していた。


 それが妄想だとわかっているけど、彼との付き合いの長さが、テンポとか、間とか、自然にわかっていたからだ。


 だからまだ繋がってる。


 彼とはまだ繋がっていたんだ。


 そうだ。今日のこれからの予定はまだ決めてない。


 今なら、とても素直になれると思う。


 それに毎年夏祭りに行く約束をしてたでしょ。


 ううん、もしかしたらそれが一番いいのかも。先輩にも見せつけましょうよ。


 きっと気持ち良いと思うよ。ふふ。


 近くにいろいろと便利な場所があるの。


 それにわたし、とっても上手くなったの。最初は処女なんて重いだけって言われてね。


 あなたもそう思ってると思ってたの。


 だってまったく手を出して来なかったじゃない? 不安に思うと思わない?


 我ながら馬鹿だし、こんなの言い訳よね。


 でもそこに並ぶ、わたしの崩れた想いもね、多分また元に戻ると思うの。


 ううん、新しく作り直すね。


 わたし、一生かけて償うから。ね?


 いっぱい好きなこと、してあげるから。ね?


 そんなことを本気で考えていたら、画面に動きがあった。



『…だからこの君とお揃いのものもね、潰そうか迷ったんだ』



 ああ、それ…。



「『夏祭りで当てた、お揃いの指輪』」



 動画の中の彼と、わたしの声が被っていて、少し笑ってしまった。


 これ以外は彼に全て潰され、今年交換するはずだったペアリングも溶けた今、唯一の彼とのお揃いの品だった。


 シンプルな形をしていて、樹脂みたいな何かで出来ている、暗闇でより青く光る玩具の指輪だった。



「ふふ、懐かしいな。でも…でも何で…そこに…あるの…?」



 彼はそれには応えない。


 教えてくれない。


 そういえばと視線を巡らせてみると、それがいつもの場所に無い。あるのはフォトフレームで、汚れる前の私と壊れてない彼が笑いながら私を見ていたことに、ハッと現実に戻った。



『はは。でも夏になる度に思い出すといけないからね』



 そう言って、彼はバーナーを取り出した。


 マイクロトーチと書いてある、小さなガスバーナーだった。


 そしてさっきの銀のスライムと違って、今度は生で見せるつもりなのか、白くて平たい軽石みたいな台に、まるで♾️みたいにして、横並びにその指輪を丁寧に並べた。


 白の台座に青の指輪が映えていた。



「ぃや…」



 シュボッと青い炎が勢いよく噴き出した。



「いや!」



 動画の中のそれは、もう手遅れな過去だ。取り戻せないし、止めようとしても触れない。例えもう終わっているのだとしても、わたしは声にならない叫びを上げていた。



「あ"あッッ!! ダメぇ! やめてぇッ!!」



 そして私から、それを消したいかのようにして液体が勢いよく噴き出していた。


 瞬きすれば、その度にチカチカと火花が弾けてしまう。


 それを消すかのように、涙が溢れてくる。


 耳には蝉の鳴き声の替わりにドォンと耳鳴りがした。


 何処か不安な音に聞こえてくるのに、可愛らしい夏の思い出ばかりが思い浮かぶ。


 りんご飴、綿飴、射的、スーパーボール、金魚すくい、水風船、焼きそば、たこ焼き、かき氷に…そして──爆発…?


 気を取られていたら、二人のお揃いは、溶け落ちていた。



「あ、ああぁぁ…」


『はは。やっぱり。こうやってドロドロに溶けて汚くなると、ははは。あの時既に僕と君は死んでいたのだと実感できるよ──』


「……死…? 死んでいた…?」



 その言葉で、思い出したのは、同じ指輪を景品で当てて、交換したあの夏祭りだ。


 露天でガス爆発が起こり、お祭り半ばで中止になった夏祭りだ。


 私と彼は、運良く助かっていた。


 人の混みように嫌気がさしていた私は、彼に違う露天を提案して引っ張ったのだ。


 それからその混んでいたお店で爆発が起きて、運よく助かった。


 怖い思いをして、死を間近に感じたことを思い出した。



『──ねえ、わたしがもし、もしね。さっきの人みたいに死ぬ死ぬ言ってたらさ、どうする?』



 お互い運良く助かったからか、その存在を確かめるようにして、彼と私は手を強く握っていた。


 怒号も泣き声もサイレンもスマホも何もかも煩く眩く光っていて、特に倒れた投光器のLEDの光が強く、夜の中に煌々と輝いていた。


 白の中に混じる青が、彼と私に強い影を作り、二人だけの空間を作っていた。


 花火が中止になったことのガッカリや、死を間近に感じたはずのゾワゾワも、もうすっかりと忘れていて、ましてや子供だからか不謹慎なその問いも、見つめる彼の瞳に見入っていたからこそだった。



『──その時はぼくが死ぬよ』


『──そ、そうじゃないんだけど…うん、でもそれも嬉しいかも…絶対だよ?』



 そしてそんな騒然とする中で、指輪を交換した。


 大人なんて想像もつかないほど遠い未来に、この青い光に負けないようなピカピカを交換しようと約束して。


 画面は真っ暗になり、シンとしていた。



「そっかぁ…もうあの時に告白してくれてたんだね…馬鹿だなぁ…ほんと馬鹿だ…わたし…でも、でもまだ遅くないと思うの」



 そう呟くと、唐突に動画は変わった。


 馬鹿な女が、後ろから犯されながら泣いて笑っていた。


 馬鹿みたいな私が、阿保みたいな私が、みっともなくあんあん、アンアン喘いでいて、手遅れの烙印を押していた。


 喉から何かが込み上げてくる。


 昨日の飲んだものだろうか。

 


「うぷッ、ッ…?! こ、これ…昨日の私…?」



 左足だけを上げた足首に、重たさだけで引っ掛かる暗い水色のショーツと、右足だけの灰色の靴下が、昨日の夜だと告げてくる。


 先輩が盗撮していて、また彼に送っていたのだろうか。


 人のことは決して言えないけれど、流石にクズ過ぎる。



「…うぷっ、で、でも少し…アングルがおかし……違う、ぉえ、う、動いてる…?」



 そして暗闇に青い光が少し見えた。


 おそらくあの指輪だ。


 つまり、彼は昨日近くに居た…?


 それから動画を仕上げた?


 嘘…どこに…どうやって…?


 わたしは震える手でスマホを手にした。


 割とマメな先輩からのメッセージは、昨日からなかったことに少し驚く。


 いや、まだ寝てるだけだろう。


 そして彼に連絡を取ろうとした時、画面はまた大きくシーンを変えた。



「…これ…」



 PC画面の中には、嬉しそうな表情で善がっている四つん這いの尻の汚い豚がいた。


 すぐそこにある未來すら想像に至らない頭で、死ぬ死ぬと悦んでいた。



「うぐぅ、うぅッ…」



 突然頭が割れるように痛んだのと同時に、どこか遠くで何か大きな音がした。


 そしてそれは、何処か懐かしい音だった。



 



 

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私と彼のビデオレター 墨色 @Barmoral

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