第三章 一枚のチョコレート
家に帰ると妹が既に帰宅していた。受験生の彼女は部活も無く、早々に帰宅したかと思うとテレビの前でだら〜としている。
かつては人数ギリギリのバレー部の主将として、チームを引っ張っていた妹はチームの人気者で、一緒に街を歩くと「五瀬せんぱ〜い!」とよく声をかけられていた。
それが今となってはテレビの前の畳の上に敷かれた大きめの、いかにも人間を駄目にしそうなクッションの上に寝転んで、チョコレートを頬張っている。
「あ、お兄ちゃんお帰り。…どうしたん?あ〜っ。さては七ちゃんにチョコレート貰えなかったんだね。」
妹は僕の肩をポンと叩いて、板チョコを一枚僕に差し出した。「taisho」と大きく描かれたロゴの上からマジックで「ドンマイ!」と黒マジックで書いてある。
「ま、これでも食べて元気だしなよ。」
このチョコレートは、妹のお気に入りだ。買い物に出るたびに買い込んでくるもんだから大量に在庫を抱えている。妹はチョコレート屋さんにでもなるつもりなのだろうか。
「ああ。ありがとう。」
「あーあ。これでお兄ちゃんがフラれちゃった訳だ。よっぽどショックだったんだね…あ~あ。七ちゃんとくっついて貰えばお姉ちゃんになったのにぃ…」
「何いってんだよ。人の心配より自分の受験の心配しろよ。」
と云い残し僕は部屋に入った。
妹のくれた板チョコを
いつか本当の作家になることが僕の夢だった。
みんな夢を見過ぎだと笑うけれど、七花は笑わなかった。それどころか昔から絵が上手だった七花は、僕の小説に挿絵を描くことを引き受けてくれた。
そんな優しい七花が好きだった。
「いつか本当の作家になったら、挿絵は私が描いてあげるから。」
そう云ってくれた七花も、いずれ遠くないうちに離れて行くだろう。
七花の絵は好評だった。
一方僕の絵は下手くそだ。原稿用紙の裏に絵を描いてみた。だが、何処か上手く掛けない。どう描いても、生気が無く、死んだような目をしている。ヘタウマどころじゃない。完全にヘタクソである。
「やっぱり、僕はもう駄目かな。」
僕は本棚を眺めた。びっしりと棚を埋める漫画本。文庫本。雑誌。他の人の同人誌。僕らの同人誌。
今まで僕の本が売れてきたのは半分以上が彼女のイラストがのおかげだろう。視覚から入る情報ってやっぱり大事だ。僕では七花の代わりは無理がある。
震える手で万年筆を置き、くしゃくしゃに丸めて没の原稿用紙の山とも云える屑かごへ放り投げ、チョコレートをかじる。
涙が止まらなかった。
ミルクチョコレートの甘みで辛い気持ちから目を背ける。今の僕にとっての心の支えは、良くできた妹のくれた一枚のチョコレートだった。
Alptraum〜バレンタインの夜に 正保院 左京 @horai694
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