九十九の旅路

コメシズク

第1話 付喪神

時は1923年(大正12年)。九月一日に起きた関東大震災、それは大きな災害だった。南関東及び隣接地、更には首都東京に壊滅的な被害をもたらした地震災害は、死者・行方不明者共に推定10万5,000人で、明治以降の日本の地震被害としては最大規模の被害となっている。

数多くの建造物を破壊した震災だったが、程なくして復興。長い時間を要することになったが人々の暮らしはまたいつもと変わらぬ日常を取り戻しつつあった。しかし、中には震災の影響で取り戻せぬほどの被害を被る者もいた。

彩りを取り戻す街を、西洋の文化を取り入れた洋の混じった和服、即ち「モダンガール」、「モダンボーイ」達が談笑交わして活気づくその裏側。獣ざわめく山の中、忘れ去られた小屋とも言えよう小さな家に人形師はみすぼらしい姿で人形に囲まれ倒れていた。


「あ……うぅ……」


家の中は酷い有様であった。屋根は所々に穴が空いて日が差し込んでは、家中を漂う無数の埃の揺蕩う様を照らし続ける。床や壁の木材も同様に折れては腐り異臭を放っている。その中でおびただしい数の大小様々な市松人形がそこかしこに積み重なるように倒れている。


「おれ……の、最後の……人形は……」


掠れた声で人形師は、ろくに治療も出来ず蛆虫も湧くほどに腐りきった右足を引き摺り、左手と右腕を使い一心不乱に、一直線に這いずる。穴の空いた屋根の隙間から差し込む光が、人形師の求めていた物を照らす。


「あぁ、あぁ良かった……。お前だけは無事だったんだな……」


残った右目でそれを確かめた男人形師は安堵で涙を流す。その人形師の目に映った人形は、それは大層綺麗な人形であった。

それは忘れられぬ女への未練か執着か、それとも人形師が追い求めた末の究極の傑作か、ボロボロで傷だらけな人形師が作ったとは思えぬほど、目鼻立ち、髪や肌の艶。そのどれもが、街を歩けば誰もが目を奪われていくような美しさを持った170cm以上の大きな人形に、徐々に暗く狭くなる視界の中、その人形に向かって人形師は手を伸ばす。


「未来永劫……おれの、最期の」


枯れ果てた涙の代わりか、血涙が頬を伝う。


「魂……」


その言葉を最後に、人形師は事切れる。血を流し突っ伏す人形師を、最高傑作は下に傾いた顔で見ていた。


時は移ろい2023年、夏の東京。陽射しは暑かれど、ビル街ではなく緑豊かな木々に囲まれた駅に、大きなリュックサックを背負った白い髪をポニーテールに纏めた小柄な青年が、地元民と思しき老婆と会話をしていた。


「じゃあ、あそこの山を登れば最短ルートで次の目的地に行けますね」


「えぇそうですけど……わざわざ山1つ乗り越える必要はないと思うけど……?」


不思議そうに首を傾げる老婆に青年は答える。


「早いうちに次の宿探したいので致し方ないっすわ。じゃあ、親切にありがとうございました!」


興奮気味な様子で青年は駅前から外の方へ足早に駆けていく。


「待ちな、お兄さん!流石にこれ持っていきなさい!」


青年を呼び止めた老婆は、青年の手のひらに塩飴と飲料水を手渡す。


「わざわざありがとうございます…!」


「いいのよ、……けど、なぁんであんな山の中に行くのさ?あそこの山に行くのは獣が多くてみんな行かないんだけど……」


そう言う老婆に、青年は笑って名乗った。


「そりゃあ、僕は冒険家やってますもん!名前は 久丹原田 一 くにはらだ はじめ。夢は世界中の国を旅することです!」


「まぁ!今の時代冒険家かい!便利な世の中になってもそりゃあきついんじゃないのかい?」


「そりゃきついですよ!僕は何とか友達に助けてもらってやっとですよ。ボランティアとか、山岳ガイドや山小屋関連の仕事をして、日銭を稼いで1日を乗り越えてんですから」


苦い表情をしながら話していた青年だが、しかし、次にはまるで無邪気な幼子のような目で空を見上げた。


「世界には、誰も知らないような秘境の地や絶景スポットがあるかもしれない。テレビやパソコンの画面越しで見るような、そんな薄っぺらい感動じゃない本物を、その目で見た感動を僕は求めているんです」


青年は、悠然と佇む山の方を指さす。


「それに、僕が登る山にだって、もしかしたら絶景を拝めるスポットがあるかもしれないですよ?そういう奇跡を見つけたい……」


その後、久丹原田は老婆に激励の言葉で背中を押され、夢への旅路を辿っていく。しばらくの時間を、炎天下に焼かれながら道なりに路側帯を歩いていく。山の木々達が作り出した澄んだ空気を存分に吸い、味わって、肺に送る。街では吸えないような、淀みのない無垢な空気が身体中を駆け巡っていく感覚に喜びを感じる。この感覚は到底普通の暮らしをしていては感じえないだろう。やがて久丹原田は登る山の麓まで辿り着き、登っていく。これまで久丹原田が積んでいた山登りでの経験が活きたか、思ったよりも登山は上手くいきちょうど半分まで来たあたり、ちょっとした平地の場所を見つけ日陰で休憩しようとしていた時だった。


「あれ、こんなとこに……家?」


久丹原田が休憩場所を探していた途中、目の前に廃屋が現れた。


「こんなとこに廃屋があったのか」


その廃屋は、屋根や壁の所々に穴が空いており、その穴から蔦が無数に絡まっており、屋根には数羽の小鳥達が歌を奏でるように囀りトカゲは壁に止まり、生い茂る叢には蝶々が飛び回る。木の葉の隙間から太陽光が差し込む廃屋のその様はまるで、廃屋という狭い世界の中で生態系が築かれているようだった。小さな世界が織り成す絶景に、久丹原田を我も忘れる程に見惚れていた。


「……………………」


それは神の導きのように、見えない何かに誘われるように廃屋の中へ吸い込まれていく。


「うっわ、何年放置されてるか分からん家だし流石に埃がエグいってレベルじゃねえな……」


廃屋の中は予想通り、だったが視界に霧がかかる程の予想以上の埃の量に咳き込む。


「って……埃もすごいけど、なんだこの人形の数は……?」


凄まじい埃の量と同レベルの市松人形の数。体のどこかが欠けている者、顔にヒビが入っている者、風化して色を失った者。割とな怖さを感じる人形を見れば、この廃屋が数年単位のものでは無い代物だと容易に読み取れた。無数の人形のその先、空いた屋根から射す日光に神々しく照らされるそれに久丹原田は気づいた。


「綺麗な人形だ……本物の人間そっくりだ」


その人形は、何故か色褪せておらず、人形とは思えぬほど眉目秀麗であった。170cm相当の身長、白い肌に目立つツリ目の赤い瞳、長い黒髪を三つ編みにし、それを輪っかにし赤いリボンで止めている。着ている物は紫色の矢絣の小袖に、後ろに股が分かれていない小さな赤紫の提灯袴。その姿はまるで……。


「レトロ……、大正時代に見る女の人が着る服装、だよな?」


大正時代の女学生多く見られた服装、過去の産物だった。何故こんなものがこんな山の中にあるのか、これは一体何十年前からあったのか、考察に動きが止まる。ただ、それよりも、一際意識を引いているものが1つある。


「マジでこいつ……人間そっくりだな……」


そう言って、久丹原田は埃まみれの人形の髪や顔の埃を所持していたタオルで拭く。その時だった。


「……あっ、こんにちは」


「は?」


久丹原田は困惑した。自分の鼓膜を疑った。本来聞こえるはずのない距離で、喋るはずのない物体からの声を捉えた己の鼓膜を疑った。


(ん?今人形喋んなかった?えっ、いやそんなはずないよな?いやだって人形だぞ?声帯とかどうなってんだよ喋れるなんておかしいだろ。えーとじゃあこれ僕の気のせいかな?いやそれだと誰の声になるんだよ?えっ?それじゃあマジで?)


久丹原田はゆっくり、もう一度真偽を確かにすべく人形の顔を見る。しかし、人形はしっかり久丹原田の顔をその瞳で捉えていた。


「なんでこっち見てんだよ」

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九十九の旅路 コメシズク @Kinorin0717

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