学級一の美人が地元のヤンキーにつかまったけど、僕には関係のないことだった。

よこづなパンダ

学級一の美人が地元のヤンキーにつかまったけど、僕には関係のないことだった。

 高校三年生の春。

 僕は、と初めて同じクラスになった。




 染谷そめたに 美緒みおは近くで見ても、やはり噂通りの美人だった。

 小顔であるにもかかわらず、各々のパーツが均等に、綺麗に配置されている。

 すらりと伸びる手足は細くて、しかしそれでいて胸のあたりには確かな膨らみがあり、彼女の容姿はまるで人形のように、全てが完璧に作られていた。


 当然のことながら、そんな彼女のことを目で追う男子たちは数知れず。

 だが、彼女の心を本気で射止めようとする者は、僕を含めて誰1人としていないようだった。


 なぜなら―――




 染谷さんは、地元のヤンキーに見初められた、生粋のギャルだったからである。




 腰のあたりまであったサラサラの髪は、鮮やかな明るい茶色に染められており、ピンで留められたその茶髪から覗く両耳には、いつも大きな金色のピアスがつけられていた。



 ガラの悪い男連中を相手に、何人ともヤっている、なんて噂も流れていた。


 他クラスから悪名名高いヤンキー共がたびたび押し寄せてきては、彼女に話しかけていく。

 それが、我がクラスの休み時間における日常になるのも、時間の問題だった。

 そしてそんな奴らにいつも笑顔で言葉を返していた彼女に、敢えて近づこうと考える者など、当然ながらいるはずもなかった。



 だから、染谷さんの存在は、僕にとって、とても都合の良いものだった。

 異性として、決して好きになることのない美人。それは、目の保養になるうえに、利用価値が高いからだ。



 彼女と同じクラスになってからというもの、僕は受験勉強のストレスを、妄想の中で毎日のように彼女にぶつけさせてもらった。

 罪悪感の湧きようがないビ〇チは、それでいてその辺のA〇女優よりも遥かに美人だったから、僕は何度も妄想に彼女を登場させては、欲求を解消した。それ故にいつの間にか、僕は勉強中にかつてないほどに集中することができるようになっていた。




 だが、そんな日々も長くは続かなかった。




 あれは、まだ桜が完全に散り終わる前のことだったから、おそらく4月の半ば頃のこと、だっただろうか。

 放課後の教室で1人、英単語の勉強をしていた僕の目の前に―――突然、彼女は姿を現したのだった。




「……誠実な、だよね?」




 急に声がしたため、席に座ったまま顔を上げた僕。その視線の先には―――


 人形のように綺麗な、1人の少女が立っていた。



 僕の頭の中は、一瞬で真っ白になった。

 思わず彼女の美しさに目を奪われてしまった僕だったが、暫くして我に返ると同時に、慌てて手元の単語帳に視線を戻した。

 そこには『sincere』と、確かに書かれていた。


 彼女の整った顔が僕の目と鼻の先にあるという、非現実的状況にも驚きを隠せなかったが―――それ以上に、彼女がこの単語の意味を理解していた、という現実に僕は驚いた。




「へえ。よく知ってるね」




 しかし、そんな僕の内心とは裏腹に、緊張を悟られないように発したその言葉は、思っていたよりも遥かに低く単調で、かつ冷たい声色で、彼女に向けられた。

 照れ隠しから再び単語帳に落とされた僕の視線の片隅で、茶色の髪がさらりと揺れた。




「私ね、こう見えてちゃんと勉強してるんだよ。受験勉強」




 だけど彼女は、そんな僕に落ち着いた優しい声で話しかけてきた。

 そして―――気づけば僕は、彼女に再び目を奪われてしまっていた。

 染谷さんは、僕のことを真っすぐ見つめて、僕の目の前で、確かに笑っていた。




「あ、意外だって顔してる。失礼だな~」




 ……あのとき、僕はいったいどんな顔をしていたのだろうか。分からない。

 無表情を貫いていたつもりだったが、僕とは違ってコミュニケーション能力の高かった彼女には、まるで僕の心の内側を簡単に見透かされてしまっているようで、ばつが悪かったということだけは、はっきりと覚えている。




「……私、この町を出たいんだ」




 そして、無言のままでいた僕に対し、彼女は唐突に語り始めた。




「だから勉強するって、受験勉強の動機としては間違ってるのかもしれないけど」




 そう言って苦笑する彼女だったが、彼女の言葉を否定することは僕には不可能だった。

 ……だって、あの頃の僕も同じ思いを抱いていたから。


 将来、やりたいことがあるとかじゃない。

 ただ、この狭い田舎町から、一刻も早く抜け出したいという、その一心だった。


 だから、僕はあのとき、彼女に親近感が湧いてしまい、つい彼女の話に耳を傾けてしまったのだろう。




山足やまあしくんは、何となくだけど、将来研究者とかやってそう」




 真面目そうだし憧れるなー、ってその後に付け加えられたときには―――既に、完全なる彼女のペースになっていた。




「……私ってさ、あの西中出身なんだ」




 だから、僕は少したりとも興味のないビ〇チの過去について、気づけば真剣に耳を傾けていた。


 我が町の西中といえば、ぶっちぎりでガラの悪い中学校として有名である。

 校則違反はもちろん、煙草の吸い殻が見つかった、教室の窓ガラスが割れた、なんて噂も後を絶たない。うちの高校のヤンキー共も、大半はそこ出身だったと聞いていた。




「みんなと上手くやっていけなくてね、それでこんな格好してるけど……本当は穴、開いてないんだよ?」




 そう言って、彼女は頼んでもいないにもかかわらず自分の耳を触ると―――いつものイヤリングを外した。

 金色の塊が取り除かれた染谷さんの小さな耳たぶは、とても柔らかそうで、そこには彼女の言った通り、穴なんて一切開いていなかった。




「それにね、この髪だって……別にね、染めてるわけじゃないんだよ?」




 よく誤解されるけどね、と笑った彼女の茶髪が、窓から入り込んできた風によって靡いたときには―――僕は英単語の勉強をしていたことさえも忘れて、彼女の姿にただただ見入ってしまっていた。




 染谷さんという人物のことを、これまで完全に見誤っていたとさえ、考えてしまっていた自分がいた。



 

「……山足くんって、放課後は毎日勉強してるの?」




 だから、彼女の何気ない質問に、僕は何の警戒もなしに頷いてしまった。




「じゃあさ、もし良かったらだけど……私も一緒に勉強しても、良いかな?」




 そして、次の提案にも―――一時の過ちとはいえ、うっかり舞い上がってしまった僕は、本当にチョロくてどうしようもない男だったと思う。




「でも僕は今日買い物があって……もう帰ろうと思っていたから、明日からでいい?教室で待ってるから」


「うーん……場所は図書室にしよ?その方が静かで、きっと捗るよ!」




 そして、若干ひよってしまったところも。


 しかし、女の子とこんなにスムーズに会話できたのは初めてで、僕はすっかり嬉しくなって、彼女のことを信じ切ってしまっていた。

 一晩中思考を巡らせれば、たとえ相手が美人でも翌日には自然に会話できるだろうなんて考えていた、あの日の僕は単純で、本当に愚かだった。




「実はずっと気になってて、山足くんと、ちゃんと話してみたかったんだ。……明日が楽しみ!」






 ―――僕は馬鹿だ。


 彼女の社交辞令を鵜吞みにして―――翌日、その約束を見事にすっぽかされるなんて、微塵も考えていなかったのだから。




♢♢♢




 次の日の放課後。

 僕は待った。

 待って待って、待ち続けた。


 だけど、染谷さんが図書室に現れることはなかった。




 僕は考えた。しかし騙されたことに気づかなかった僕は、きっと彼女は待ち合わせ場所を間違えた、と思ったんだ。

 昨日、僕らが話した放課後の教室で、僕のことをずっと待っているんじゃないかって。




 しかし僕は―――その教室に入ろうとした寸前で、足を止めることになった。






「……以外の男と口を利くな……言ったよナア」


「てめえ穴開けて……ってマジかよ」


「今日……はっきり……分からせてやんよ」


 詳しい内容までは聞き取れなかったが、その低い声色からして、声の主がいつも我がクラスでたむろしているヤンキー共であることは、明白だった。



 おそるおそるドアの隙間から中の様子を伺うと、1つの席に集まって立っている、ヤンキー3人の姿が見えた。

 どうやら奴らは1人のことを囲むようにして、立っているようだった。

 囲まれているのは……女の子だろうことは、注意深く見ると気づくことができた。

 1人は両手首を持ち上げるようにしてその子のことを拘束し、そしてもう1人は、ちょうど彼女の両肩を強く押そうとしているところだった。




 直後、ガタン、と大きな音が鳴り、机の上にサラサラの茶色の髪が垂れた。




「んっ……」




 そしてそれと同時に零れそうになったか弱い声は―――しかし一瞬でかき消され、その理由が、彼女の唇がヤンキー共の1人に奪われたからであることに気づいたのは、それから暫くした後のことだった。




 ―――僕は知っていた。

 見た目が派手な女には、ロクな奴がいないということを。




 平気で約束を破る奴は、大嫌いだ。

 浮かれて図書室に向かっていた僕のことを、きっと彼女は、内心あざ笑っていたことだろう。




 ヤンキー共とヤる場所を確保したいからって、僕に対してあんな言い方はないだろ。

 あれほどまでのことを演技でやってのける彼女のことを恐ろしいと感じると同時に、僕の彼女に対する評価は、覆りようのないほど地に落ちた。




 この淫〇ビ〇チが。




 あの場を立ち去ろうとしたとき―――僕と染谷さんの視線は、一瞬だけ交わった気がした。

 しかし、僕の表情を見ると、彼女の視線はすぐに斜め下に落とされ、それからすぐにヤンキー共の身体の陰に隠れて見えなくなったので、もしかすると気のせいだったのかもしれない。


 これから快楽に溺れるのであろう、彼女の大きな目は僅かに赤く、そして光っていたようにも見えたが……


 ―――あれはきっと、約束からすっかり時間が経ったため、教室に真っ赤な夕日が差し込んでいたせいだったのだろう。







 それから暫くして、何名かの同学年の生徒が我が校を去った。

 もちろん、そのきっかけはあの日の放課後。


 教室で、校則違反のピアッサーと血の跡が見つかったらしい。

 その持ち主と発覚したヤンキー共は、同時期に幾つかの素行不良が明らかになったこともあり、退学処分となった。

 僕としては、勉強に集中しやすい環境となり、願ったり叶ったりだった。




 そして、僕のクラスにも、あの日を境にして1つの空席が生まれた。

 彼女の美しさに絆されていたクラスの男子たちの何人かは、数日ほどは彼女について心配そうに噂をしていたが、その内情に深く関わろうと考える者は誰もいなかった。


 当然のことだ。

 人の心を弄ぶクソ女が消えたこともまた、僕にとっては都合の良いことだった。


 だって―――






 こうして平穏な日常を手に入れたクラスで、なりふり構わず勉学に励み続けた結果、僕は今日という高校最後の日を、県外の第一志望の大学に合格した清々しい気持ちとともに、迎えることができたのだから。


 難関として知られる大学の工学部でのキャンパスライフに思いを馳せつつ、受け取った卒業証書。

 僕はそれを片手に、二度と訪れることはないであろう我が校を後にする。

 校庭には、あの日と同じ桜が満開に咲いていた。






 いつの間にか高校を中退していた染谷さんが、母方の実家がある田舎町で、先日一児の母になったらしい―――という噂が、春風に乗せられて下校中の僕の耳元へと聞こえてきたけど、僕にはもう、どうでも良いことだった。

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