おとぎ話の魔王には、忘れられない人がいた

天ツ空氷結

おとぎ話

『——昔々、魔族と人間が争っていた頃に、人間を滅ぼそうとする魔王がいました。魔王が人々を苦しめていると、一人の聖女様が現れました。聖女様は名をフィリアと言いました。戦いを繰り返すうちに、やがて魔王と聖女様は互いを想い合うようになり、ついに二人は結ばれることになりました。ところが聖女様は、魔王の手下だと言われて、式を挙げるその日に人々によって殺されてしまいました。魔王は、冷たくなった聖女様の前で、いつまでもいつまでも涙を流し続けましたとさ——』



 昔々のおとぎ話。遠い遠い国の伝説。誰もが知っている物語。叶わなかった恋のお話。



 この物語に続きがあるなんて、誰が知っているだろうか。



     *  *  *  *  *


「ヴィトル、状況はどうなっている」

 魔王城の執務室で、魔王ダクリュオンは参謀のヴィトルにたずねた。

「戦況は悪化しています。特に被害を大きくしているのは……その……聖女アムネシアの聖魔法かと。傷を治し、魔を退ける魔法で、我が軍は疲弊し、敗走を続けています。このままの進度で勇者パーティーが進行を続ければ、おそらくあと数日で魔王城は……」

 あくまで淡々と話していたヴィトルだったが、最後で言葉を濁した。

「……そうか」

 ダクリュオンは、目を閉じて話を聞いていた。この優秀で信頼できる部下のことだ。おそらく、魔王軍が惨敗する時をほぼ正確に予測している。わかっているのにあえて言わないのは、魔族を滅亡の淵へと追い込んだこの主人あるじへの、せめてもの気遣いだろう。

「ダクリュオン様……せめてお休みになってください。この数日間、一睡もしていないのですよ?」

 そう言って、ヴィトルがメイドに毛布を用意させた。だが、ダクリュオンは首を振ると、腰掛けていた椅子から立ち上がって言った。


「勇者パーティーを迎え撃つ。生き残った魔族を全員退避させよ。私は最後まで城に残って戦う」


 ヴィトルが目を見開いた。その顔に、すぐに怒りにも似た表情が浮かぶ。

「そんな……自ら死を選ぶようなものです! 考え直してください!」

「ヴィトル、お前も避難しろ。お前が死んだら、お前の妻や子供たちはどうなるんだ」

 主人あるじの最後の願いだ、という言葉も、ヴィトルは聞こうとしない。

「ダクリュオン様のお命より大事なものなどありません! どうか——」


「ヴィトル」


 ダクリュオンの魔法が当たった壁は、一瞬で弾けた。ヴィトルの動きが止まる。


「ヴィトル、私は本気だ」


「ダクリュオン様……」

 ヴィトルの顔が悔しげに歪んだ。だが、魔族随一の参謀なだけあって、ヴィトルは湧き上がるその感情を抑え、跪いた。


「貴方からいただいた御恩、決して忘れません。どうかお達者で」


「……ああ」


 ヴィトルは立ち上がって深く一礼すると、振り返ることなく執務室を出ていった。それからしばらくは、「総員退避ーっ!」と言う声が聞こえて騒がしかったが、やがて静寂が魔王城を包んだ。誰一人いなくなった城の大広間で、ダクリュオンはわらった。


「……そなたを守ることができていたら、こんなことにはならなかったのかもしれないな」


 月光が恐ろしいほど冴え渡って、ダクリュオンを冷たく照らしている。玉座に座り目を閉じると、途端に疲れが押し寄せてきた。今は少しでも休んでおこう。これが最後の戦いなのだから。




 どのくらい眠ったのだろうか。遠くに人間の気配を感じて、ダクリュオンは目を覚ました。剣と鈍器を持った者が一人ずつ。緻密な魔力回路が張り巡らされた杖を持つものが一人。それと——清く聖なる力を持つものが一人。


 その気配が懐かしくて、小さな声で”彼女”の名前を呼ぶ。しかし、次に大広間へと姿を現したのは、魔王である己への怒りと憎しみに満ちた者たちだった。


「——来たか」


 ダクリュオンは立ち上がった。


「ようやく姿を現したな、魔王ダクリュオン。忘れたことはない、貴様の残虐非道な行いを……!」

 そう言って、パーティーの先陣に立つ勇者と思しきものが剣を抜いた。

「……必ず、貴様を倒す。そして、平和な世界を取り戻す……!」

 勇者が剣を構える。他の者たちも一斉に戦闘体制に入った。だが、ダクリュオンの視線は全く別の人物を捉えていた。その胸が今にも引きちぎれそうなことは、この場の誰もが知る由もないだろう。


「——どうやら、神は本当に私を滅ぼしたいらしいな」


 そう自嘲したダクリュオンは、素早く魔法陣を構築した。今はただ、生き残った魔族たちが逃げる時間を稼がなければ。それが、魔王として自分ができる最後の務めだ。

「みんな、行くぞ!」

 勇者の掛け声と共に、戦闘が始まった。


 勇者パーティーは強い。歴代最強ともうたわれた魔王軍を退け、ダクリュオンの元まで辿り着いただけのことはある。個々の力が強い上に、団結力も桁違い。さらに、勇者たちに傷を負わせても、聖女アムネシアの聖魔法で回復して攻撃される。さすがは王国の”最後の砦”だ。


 魔王であるダクリュオンの体力は、そう尽きることはない。だが、勇者たちは聖女の魔力が尽きるまで攻撃を続けるだろう。ダクリュオンが自らの傷を治しても、勇者たちもすぐに聖魔法で回復し、再び立ち向かってくる。

(このまま魔力と体力を削られては……身が持たない)

 まだ配下の魔族たちはそう遠くには逃れられていまい。もう少しだけ、あと少しだけでも持ち堪えねば——。


 だいぶ追い詰められている。聖女アムネシアは、攻撃こそしてはいないものの、聖なる力で少しずつダクリュオンの魔力を浄化していく。空気がだんだんと浄化されて、肌にピリピリとした感覚が伝わってくる。だが、そんな感覚が懐かしかった。まるで、ずっと心の中に閉じこめていた哀しみが、少しずつ癒されていくような——。そんな気さえした。


 勇者たちの攻撃に、さらに力が入り始めた。当然だ。彼ら人間の生活を、命を脅かしたのは、魔王であるこの自分。彼らも、生きるために必死なのだ。


「多くの人が、お前のせいで幸せを奪われた……お前だけはっ……絶対に許さねえ……!」


「幸せ、だと?」


 勇者の言葉を聞いた瞬間、魔法で勇者を吹き飛ばしていた。普段なら抑えられるはずの衝動に突き動かされた。


「貴様ら人間に、幸せを奪われたなんて言う権利はない。幸せを奪ったのは、貴様ら人間の方だ……!」


 腹の底から湧き上がる怒りと憎しみに身を任せて、魔法を何度も放った。魔法が当たるたびに、勇者の体からどんどん血が流れていく。だが、どれだけ時が経とうとも、いくら人間一人一人に罪はなくとも、”彼女”のことだけは、どうしても許すことができなかった。魔族を守りたいと言う思いは、いつしか”彼女”への想いとすり替わっていた。


 ダクリュオンの魔法が直撃して、勇者が倒れた。あと一撃で勇者を倒せる。


「さらばだ、勇者。せいぜい苦しまぬよう、一瞬で葬ってやる!」




 一瞬の隙。その刹那、勇者の剣がダクリュオンの心臓を貫いた。




 勇者の背中越しに、聖女が一瞬儚げな表情を浮かべるのが見えた。




「がはっ……」


 ダクリュオンは地面に倒れ込んだ。傷口が熱い。勇者がダクリュオンの体から剣を引き抜く。鋭い痛みが走ったが、ダクリュオンの体は力なく揺れるだけだ。


「……勝った……」

「やったぞ……!」

 勇者たちが歓声を上げた。


(……この世もこれで見納めか)

 ダクリュオンは、地に伏しながら、勇者たちの様子を見ていた。他の者たちが歓喜に包まれる中、聖女だけが、戸惑っているような、でもとても悲しそうな表情を浮かべてつぶやいた。


「ダクリュオン……?」


 その声を聞いた途端、身体中に電撃が走った。ダクリュオンは最後の力を振り絞り、立ち上がった。勇者たちが一斉に身構える。だが、ダクリュオンはふらふらする足でなんとか歩き、その場を離れた。





 がくがくと震える足で逃げ続け、ダクリュオンはついに最後の隠れ場所へと辿り着いた。壁にもたれかかると、一気に激痛が襲ってくる。呼吸が荒くなり、口から血が溢れ出た。勇者たちは、今もダクリュオンを探し回っているようだ。だが、残った魔力で己の存在を隠蔽した。これでもう居場所はわからないだろう。ダクリュオンには確信があった。なぜなら、ここは城内に作った秘密の庭なのだから。


 暖かな光が差している。夜通し戦っていたからか、時間の感覚すらもうない。


 そういえば、ここは”彼女”がこの城に来てから作ったものだった。日がよく当たるこの庭で、”彼女”と他愛もないことを語り合ったものだ。


 ここは、二人だけの秘密の場所。”彼女”との思い出がたくさん詰まった、大切な場所。


(——ここで死ねるのなら、悪くはないな)


 ダクリュオンは笑った。走馬灯のように流れる、温かな思い出のひとつひとつを、噛み締めるように。




 自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。


「……ダクリュオン……ダクリュオン!!」


 かすかに目を開けると、目の前に聖女アムネシアがいた。敵であるはずのアムネシアが、”彼女”とダクリュオン、二人だけが知っている秘密の場所に来たのだ。アムネシアは、瀕死のダクリュオンに抱きついて、美しい顔を涙でぐしゃぐしゃに濡らしながら泣きじゃくっている。これは、夢なのだろうか。それとも——。


 ダクリュオンが抱いた、淡い期待と願い、そして、哀しみがごちゃ混ぜになった予想。それは全て、紛れもない真実だったのだと、そこで気がついた。



「やはり、そなた、の——生まれ変わり、だった、のか、——フィリア」



 聖女フィリア。そう、彼女こそ、ダクリュオンがこの世でただ一人愛したひと。聖女でありながら、魔王であるダクリュオンを、ただ一人愛してくれた想い人。二人で愛を誓い合うはずの日に、永遠の別れを迎えてしまった、たった一人の大切な人——。



「やっと思い出したの……あなたがどれだけ私を愛してくれていたか。私がどれだけ、あなたを想っていたか——」


 アムネシア、いや、フィリアは、とめどなく溢れる想いを、かつて二人で語り合った時のように伝えてきた。


「泣く、で、ない。——っ、そなた、には、笑顔、が、似合う」


 ダクリュオンは、痛みでこわばる声を無理矢理明るくして言った。


「……覚えて、いるか? そなた、と、私が、初めて出会った、日、のことを……」

 そう言うと、フィリアはしゃくり上げながら大きく頷いた。

「……ええ、覚えているわ。初めて戦った時に、仲間に裏切られて怪我をした私を助けてくれたことも……絶望した私に、大丈夫、守ってやるから、って、優しく接してくれたことも……魔王なのに人一倍優しくて、それでいてどこか寂しそうで……でも私のことを大切にしてくれて……なのに……ごめんなさい……っ」

 フィリアの涙が、彼女の頬を伝ってダクリュオンの頬に落ちた。思いが詰まった雫の温かさに、意識が遠のく。


 だが、これだけは伝えたい。この想いだけは。


「良い、のだ……こうやって、また、最後に、そなたと、会えたのだから——」


 そこまで言うと、ダクリュオンは、最後に大きく息を吸った。とうの昔に忘れてしまっていた、フィリアの優しい匂いがした。



「愛しているよ、フィリア」



 ——ああ、想いを伝えるのは、これほど簡単なことだったのに。なぜずっと言えなかったのだろう。温かなその頬に触れ、ゆっくりと瞼を閉じる。遠のいていく意識の奥で、「愛してる」と言う声が聞こえた気がした。


     *  *  *  *  *


 夢を見ていた。どんな夢だったかは、いつもよく覚えていない。だが、愛する人との別れを二回も繰り返す、かなりの悪夢だ。だが、懐かしくて、切なくて、愛おしい。この夢を見た翌朝は、たいていそんな感情に支配される。やれやれ、またこの夢か。憂鬱な感情から気持ちを切り替えようと、リュシナはベッドから出た。

 長い髪をとかし、寝巻きを着替える。身支度を整える間も、気づけば夢のことについて考える自分がいる。内容もはっきりと思い出せないのに、”彼”の面影だけが、なぜか頭に焼き付いて離れない。


 ”彼”は一体何者なのだろう。そう疑問に思ったこともある。だが、何せ毎度のことなので、やがてその疑問すら湧かなくなった。この夢は、幻でも予知夢でもない。なぜなら、これは”前世の記憶”なのだから。


 リュシナはこの国で”聖女”と呼ばれている。リュシナが生まれる時、『聖女様が再来する』というお告げがあったらしい。成長して言葉を話すようになったリュシナに、前世の記憶があったのも、リュシナが聖女の生まれ変わりであるということを示しているようだ。

 聖女の魂は転生し、この国が窮地に晒された時に再び人間として誕生する。今までの聖女様にも、前世の記憶があったそうだ。おかげで、物心ついた頃から教会に縛り付けられ、王国のために祈りを捧げる毎日。それでも、月に一回の休日を楽しみに、日々を暮らしている。



 リュシナがいる国のはずれには、かつて強大な力で人々を苦しめていた魔王の城がある。この世界を征服しようとした魔王は、勇者によって倒された。それからは、隆盛を極めていた魔族もすっかり影を顰め、平和な時代が訪れた。魔王が滅んでから、すでに数百年——。巨大な魔王城に当時の面影はなく、今は誰一人近づかない廃墟となっている。

 そんな魔王城に、リュシナは月に一度やってくる。表向きは、この城で倒された魔王が復活しないか調べること。本当の目的は、”あの場所”に行くことだ。


 リュシナだけが知っている、秘密の庭。——なぜか”あの場所”だけは、前世の記憶である夢の中に出てきたことを、鮮明に覚えている。城の中に隠すように作られた小さな庭は、荒れ果てた城の中で、唯一今も綺麗なままだ。日の光が照らす、穏やかでとても静かな場所。リュシナは、なぜかそこにいるととても落ち着くのだ。温かな光が、まるで、リュシナを包み込んでいるかのような、そんな安心感。だが、優しい思いに包まれると同時に、心に鋭い痛みが走ることがある。なぜだろう。あんなにも温かい場所なのに。

 壁にそっと手を触れて呪文を唱えると、そこに扉が現れた。軋む扉をゆっくりと開けて、中に入ろうとする。


 扉の向こう、柔らかな光が差すその小さな庭には、一人の青年がいた。


(どうして……ここは”彼”と私しか知らないはずなのに……)


 動揺を隠せないリュシナだったが、すぐに冷静に考えた。青年は魔力を持っていないし、武器も持っていない。少なくとも、魔族や盗賊のような、危険な人物ではなさそうだ。


「君は、どうしてここに……」


 黙って青年をじっと見ていると、青年の方が驚いた様子で口を開いた。

「あなたこそ、どうしてこんなところに……」

 リュシナが聞き返すと、青年は迷わず言った。

「わからない。でも、待っているんだ」

「待ってるって、何を……?」

リュシナがたずねると、青年は「それもわからない」と言った。

「わからないって……ここは、普通の人は入れないわ。呪文を知っているなんて、あなたは一体……」

 リュシナは不安になってきた。もしかしたら、この場所に入るところを、前にこの青年に見られていたのかもしれない。だとすると、この場にいるのは危険だ。いつでも逃げられるように、入り口のドアノブに手をかける。



「私、か? 私は……ダクリュオン、とか言うらしい。前にそう呼ばれていた気がする」



 その名前を聞いた瞬間、リュシナは衝動的に青年に抱きついた。一瞬、自分でも何をしたのかわからなかった。だが、その体から温もりを感じ取ると、感情が一気に溢れ出した。記憶の奥底に眠っていた愛しいその名前を、ただひたすらに何度も呼ぶ。


 ——魔王ダクリュオン。リュシナの持つ聖女の魂が、この世でただ一人、忘れることができなかった人。魔族の王でありながら、敵であるはずの聖女フィリアを助け、ずっと一緒にいたいと言ってくれた人。


「い、いきなり何を……!」

 青年にそう言われて、リュシナは顔を上げた。青年の戸惑ったような顔が目に飛び込んでくる。

「君は、私のことを知っているのか……? それなら教えてくれ。私は何者なんだ? なぜこんなところにいるんだ? どうして記憶がないんだ……?」

 不安そうに次々とたずねる青年を見て、リュシナは悟った。彼は全てを忘れてしまっているのだと。だが、その声も、顔も、表情も、リュシナの瞳に映る全てが、聖女フィリアが愛した”彼”——魔王ダクリュオンそのものだった。


「おい、大丈夫か……?」


 青年が心配そうにリュシナを見つめている。時を超えてもなおこの胸に宿り続ける想いを、伝えるのは今だ。


「ええ。全部思い出したわ。——私があなたを、愛していたことを」


 青年が目を見開いた。


「……面白い人だ」


 青年は、そう言って笑った。あの頃フィリアに微笑みかけてくれていた、ダクリュオンの笑顔のままだった。



 彼はフィリアのことを覚えていない。初めて出会った日のことも、一緒にこの庭で語り合ったことも。だが、それでもいい。こうしてまた、彼と出会えたのだから。今度こそ、必ず二人で幸せになるために。


     *  *  *  *  *


『——昔々、あるところに、魔王と聖女様がいました。二人は互いを大切に想い合っていたのに、結ばれることなく命を落としました。それでも二人は、生まれ変わって再び出会い、幸せに暮らしましたとさ——』



 昔々のおとぎ話。遠い遠い国の伝説。誰も知らない物語の続き。時を超えた想いのお話。



 これが、再び出会えた二人が紡ぎ始める、新たな物語の始まり。



《完》

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