「居城の花」(2)
二度と会えないことはないだろうが、現時点で年内にテルデに戻る予定は聞いていなかった。直接、人目を気にせずに伝えられるのは、もう今しかない。
「ケイトが困るのは見たくないから、もう謝らないよ。けど、もうひとつ言っておきたいんだ」
その声が今までより低くなったからか、再びこちらを見たケイトは、幾分か不安そうだった。けれど、自分がこれから言うことは、その不安をなくしてくれるはずだ。
ゼルは大きく、しかし静かに息を吸ってから、誰にも相談せず、自分ひとりで組み立てていた文言を吐き出した。
「ケイト、ぼくの友人になってくれないか。おれと関わったせいで、これから先、きみの安全が
淀みなく流れ出る言葉を聞いて、ケイトは口を開いたが、ゼルには息を呑んだ音しか聞こえなかった。見開かれた目に拒絶の感情がないことを読み取り、ゼルはこの一週間弱、報告書に追われる片隅で練り続けていた提案を続ける。
「ケイトも、心配事や不安なことがあったら、おれを頼ってほしいんだ。おれが行けなかったら、きみがおれのところへ来られるようにする」
「あの、そんな……私はただの使用人です、騎士様のご友人など、不相応ですわ」
ケイトが一歩
「おれが騎士だったせいで、きみに危険が及ぶなら、使える力を全部使って、騎士としてきみを守りたいんだ。おれの家族に何かあったら、それを守るために、騎士の権力を振るうことと同じだよ。だから、フェルティアードの騎士の、というより、どちらかというとぼくの、ジュオール・ゼレセアンの友になってほしい」
「ゼレセアン様の……?」
「それでしたら、ケイトを家族のようなものにすればよろしいのではないでしょうか?」
するりと流れてきた老齢の男の声は、恐ろしくもなく、また怒りに満ちてもいなかったのに、ふたりの男女は叫び声をあげた。
「そうすれば世間的にも、手続きをする上でも、誰もが納得するでしょう。ゼレセアン様も、意外と奥ゆかしいのですな」
シトーレはにこにこと目を細めていたが、ゼルがすっかり固まっているのにやっと気づくと、おや、と困惑気味に眉尻を下げた。
「これは、差し出がましい口をききましたかな。私としたことが」
「ぜ、ゼレセアン様、は、そのような意味で……?」
様子を見に来たか、迎えに来たらしいシトーレからぎこちなく視線を戻しながら、やはりぎこちない声でケイトが尋ねた。頬どころか、顔の全てが真っ赤だ。
ケイトには劣るが、ゼルの顔もまた赤かった。他人に話を聞かれ、そのうえ家族のように近しい間柄を求めていた、と誤解されれば、恥ずかしさが優ってしまったのだ。
誤解、だろうか。自分は、一介の使用人を、自らの手落ちのせいで巻き添えにしたことの責任を取るために、こうすべきだと思っていた。危険に遭うことを少しでも防ぐために、彼女を身近な存在にしたいと思ったのは、自然と行き着いた結果に感じられていた。彼女を守るという宣言は、義務感からであり、しかしそれ以外の、身の内からあふれる欲求からでもあった。
それにここまできて、そうではない、と断言するのも
こうして自身の気持ちの正体をつかもうとする
「……使用人のような下位身分の者と
いもしない奥方様が出てくるあたり、ケイトも相当混乱し、暗記した通りの知識を繰り返すしかできなくなっているようだ。
「そんなことを気にしているのですか、ケイト」
普段通りのシトーレが、なぜか飄々としているように見えてくる。家長の判断を乞うような事象を“そんなこと”と言ってのけた彼は、その理由を述べ始めた。
「旦那様が何人もの騎士を抱えているのならいざ知らず。旦那様のことです、きっとこれからも、騎士はゼレセアン様おひとりでしょう。そんなただひとりの騎士のささやかな希望を、まさかぞんざいに扱うことなどありますまい」
「えっ、あのシトーレさん、ぼくは」
「万にひとつ、旦那様が渋るようなことがあれぼ、私も黙ってはいませんよ。ご安心ください。では、さっそく参りましょうか」
完全に主導権を握ったシトーレが、階段へと向かう。遅れないようにあとを追えば、階下からはざわめきが響いてきていた。騎士を待つ使用人たちだろう。
「……ケイト。フェルティアードの許しが出たら、おれの頼みをきいてくれる?」
階段を見下ろしながら、ゼルはすぐ隣のケイトに問いかけた。本来なら、そんな許しなどなくとも成立する頼みだ。だがゼルは、そう改めて言うことで、
「お許しなどなくとも、わたしは……。でも、フェルティ様にお認めいただけるなら、それは願ってもないことです」
そしてそれは、ケイトに無事伝わったようだった。わずかに低いところから見上げてくる彼女の目は、そのお許しの言葉を期待しているようにも見えた。
テルデの市街地を一望できる領主の屋敷の、その正面玄関には、豪奢な一台の馬車が停まっている。それに乗り込むのは、青い外套の男と、赤い外套の年若い青年だ。すぐそばで見送りに立つのは、
青年が、玄関先に立ち並ぶ数多の使用人、そしてすぐそこにいるふたりの使用人に視線を向ける。正確には、少女のほうへだ。青年は彼女と短い言葉を交わすと、踏み段に足をかけ、馬車の中に姿を消した。
薄らいでいく送別の声に背を押されながら、ふたりの貴族は一路、王都への道のりを進み始めていた。
居城の花 了
居城の花 透水 @blnsrk
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