終章

「居城の花」(1)

 その門は、堅固な城塞都市であったことを誇示する城壁を従えながら、控えめな大きさであった。しかしそれは正門と比較した場合の話であり、数人がかりでなければとても動かせないかんぬきも備えるほど立派なものだ。浴びる陽光がわずかなおかけで、暗く沈んで見えるそれは、本来以上の威圧感を振りまいているようだった。


 テルデの北に位置するこの門を、街の中から見上げる男がいた。小綺麗だが着古された外套を羽織り、手には買ったものらしい果物が詰まった袋を抱えている。誰かを待つ時間に飽き、見るものが門しかない、というような風情であった。


 そこに、にぎやかな中心部のほうからひとりの男が走ってきた。どこかの店の主らしい出立いでたちだ。通りかかる街の人々には、身なりの整ったこの男が何かを頼み、それを果たしに主人が来たように見えただろう。


「失礼いたします。……よろしいのですか、お顔を隠されなくても」

「“彼ら”と会うわけではないからね。ここらに管轄外の何者かがいないことは、きみが調査済みだろう?」


 話し声は小さく、その内容に眉をひそめる者は誰もいない。


「大丈夫、わたしは影が薄いからね。王都ならいざ知らず、一度外に出てしまえば、服で誤魔化すだけでなんとかなるものだよ」

「あなた様が影のようなものでございますからね」


 無礼に取られそうな物言いだったが、そう言われた身分の高いらしい男のほうは、ただ優しげに頬を緩めた。相手の態度に慣れているのか、あるいはその発言が的を得たものだと感心したからだろうか。


「それで、情報に相違は?」

「ほぼないと言ってよいでしょう。やつらは騎士ゼレセアンを潰すため、彼の世話をしていたフェルティアード邸の使用人を拉致し、餌にした。騎士があわや公開処刑となったところに、賊に潜り込んでいたフェルティアード卿が場を乱し、乱闘の結果、騎士が賊頭領を捕縛。それ以外も捕まったか、死んだかのどちらかのようです」

「つまり、逃げおおせたものは皆無、か……」


 彼はため息をついたが、それは浅く、初めから期待はしていなかったようだ。


「暴かれなかった拠点も見てきましたが、残念ながら……。とんだ無駄足になってしまい、申し訳ございません」

「構わないよ。テルデは好きな街だからね。“彼ら”が教えてくれた果物をまた買えてよかった」


 店の主人を装う男は、まばたきを繰り返して、そう言った男が持つ袋を見る。


「これが、歯応えがあってぼく好みでね、おいしいんだ。民衆に紛れて動くのに慣れてるだけはある。正確な噂をつかんでくれるよ」


 紅く熟れた桃を見せながら、男はまた笑った。対する、正体を偽る男も薄く笑みを浮かべ、客へするような重過ぎない一礼をした。


「収穫があったようで何よりです、シャルモール卿。道中お気をつけて」


 見送りの言葉に頷いて、男――シャルモールは門へと歩き出した。


「彼の庭で敵うとは思っていなかったが、思いのほかよく動く騎士だ。やはり、彼の目に狂いはないということか……」


 あと数歩で街の外だというところで、男は立ち止まって街を振り返る。太陽を遮る建物のせいで日陰が多く、抜けていく風はひやりと冷たい。それでも、その風はテルデの温かな騒がしさを、彼の元にまで運んできた。


「しばらくはお手並み拝見といこうか。ゼレセアン君」


 かすかな喧騒の中に、馬のいななきが入り混じる。テルデは今、領主とその騎士の送別に華やいでいた。





「ゼレセアン様。お忘れ物はございませんか?」


 開けっぱなしにした部屋の扉から、ケイトがそっと覗き込んできた。これといって大事な私物もなく、荷物はすでに積み終わっていたので、ゼルはしばらく見納めになるであろう、テルデの街並みを眺めていた。


「ケイト、大丈夫だよ。もう下りたほうがよかったかな」

「まだ余裕はありますが、よければ来ていただけると。先輩方がゼレセアン様に、ぜひお別れのあいさつをしたいとおっしゃっておられます」


 半月ほどの滞在だったが、ここの使用人には公私ともにとても世話になっている。ゼルとしても改めて礼を言いたいところだったので、すぐに部屋を出て行こうとした。


 だが、その前に言わなければいけないことがある。ゼルが口を開こうとしたその時だった。


「ゼレセアン様、すみません、行かれる前に、その」


 扉を閉めようとしていたケイトが、その手を止めて振り返った。小さなその手から、何かがわずかにのぞいている。


「助けていただいて、それにお世話係として選んでいただいて、本当に、ありがとうございました。わたくしからの、感謝のしるしです。……このようなもので、とてもお恥ずかしいのですが」


 ケイトは、その手のものを差し出した。それは、紙に押された花だった。何種類か混ざったものだったが、中心になっている花には見覚えがあった。猫のマルドの主人から、お礼としてもらったと焼き菓子をくれた時、彼女の手提げかごに見えた、紫に近い色をした花だ。乾燥し切った今は青みが強く見える。


「その、言葉だけではとても足りないので、何かお渡ししたいと思ったのですが、すみません、ゼレセアン様はお花なんて、もらっても」


 自信をなくしていったのか、ケイトはだんだん早口になり、同時に顔もどんどん赤くなった。今にも押し花を引っ込めてしまいそうだ。


「いいんだ、ケイト。この花はきみが選んだんだろ? きみが好きなものを知れるのは、おれも嬉しいよ」


 ゼルはそうしてケイトを引き留め、贈り物をそっと受け取った。


「おれも、ここでケイトに言っておきたいことがあって」


 ケイトの姿は、この部屋の扉にぴったりとくっつきながら、おそるおそる入ってきた時とまったく同じだ。だがその表情は今や明るく、大きな黒瞳はまっすぐにゼルを見つめている。


「今日まで、おれの使用人として働いてくれて、ありがとう。それと、危ない目にあわせて、本当にすまなかった」


 言って、ゼルは頭を下げた。たった今、助けたことを彼女は感謝してくれたが、巻き込んだことについては騎士ではなく、ひとりの男として謝りたかったのだ。

 ケイトは予想通り慌てた様子で、


「そんなゼレセアン様、わたくしは怒ってなどいませんわ。むしろ私のほうこそ、フェルティ様の騎士になった件で、変な勘違いをして申し訳ないくらいです」

「それはこの前解決したじゃないか」

「はい、ですから賊の件も、もうよいのです」


 そうは言っても、問題の大きさが釣り合ってない気がする。ゼルは納得できなかったが、ケイトの気持ちも考慮したかったので、おとなしくすることにした。


 勘違いというのは、ケイトが攫われる直前にしていた、騎士になりたいがための下心からフェルティアードを助けたのか、という話についてだった。ケイトはあの時、ゼルは騎士になったで、フェルティアードに対し嫌悪の意思を示したと思っていたのだ。実際には逆だったことを、シトーレの証言ももらいながら話したのは、報告書の作成も軌道に乗ってきた頃だった。


 フェルティアードは、自身を好かないと言い切った兵に助けられ、そんなことを言われたのを承知の上で、国王が与えるはずだった褒美を、己の騎士になる権利に変えさせた。そうまとめたシトーレの説明に、ケイトはしばしあっけに取られていたようだった。


 シトーレは駄目押しとばかりに、皆で旦那様のところに行って聞いてみましょうかと、散歩に誘うような軽さで言ったが、ケイトが必死に止めたので、叶うことはなかった。


「でも、今でも信じられませんわ。フェルティ様が王都ではとても冷たくて、それに怒って険悪になっていたゼレセアン様を、ご自身の騎士に取られるなんて」

「後者についてはおれも同意だね。だけど、そのおかげでケイトに会えたのはよかったよ」

「それは……何よりですわ」


 また頬を赤く染めたケイトは視線をそらしてしまったが、俯きはしなかった。長い髪で隠れされることもなかったので、はにかむ小さな唇が見えた。

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