テルデの守り手(2)

「かくして、生きている賊は全員捕縛となりました。あの頭領も、騎士に成り立てのゼレセアン様に目にもの見せてやろう、などという思いでもあったのでしょうが、徒労でしたな。ほかの貴族ならいざ知らず、フェルティアード卿の騎士を侮るなど」

「シトーレさん、そんなに持ちあげないでください……。それにぼくは今回、何の関係もないケイトを巻き込んでしまったんです。至らないところが大き過ぎます」


 どんな形であれ自分を頼ってくれた人を、命の危険が及ぶような事件の渦中に引きずり込んでしまった。戦いというものを知る同期の仲間でもない、そんなものとは無縁の彼女を、知らなくてもいい世界の住人の手に渡らせてしまったのだ。


「確かに、キャスリーンが人質にされたのは、おまえが騎士だと知られ、かつ彼女とは気の知れた仲だとわかられたからだ。注意を怠った落ち度はあるが、おまえは脅しから逃げず、やつらの非道にも音をあげず、彼女を守った。初めての責任の取りようとしては十分だ」


 フェルティアードがそう言っても、ゼルの心は晴れなかった。傍らのケイトは元気に、今まで通りそこにいる。だが、身体が無事ならそれでいい、と割り切ることはできなかったのだ。


 机上の手は、いつの間にか拳を作っていた。そこに、白くか細い手が重ねられる。


「ゼレセアン様、ご自身を責めることはありませんわ。ゼレセアン様はわたしを助けてくださいました。賊の手から離れて、街の皆さんにかくまわれるまで、ずっと抱き止めてくださったではありませんか。そこまでしていただけて、わたしはとても嬉しいのです。本当にありがとうございます」

「でも、おれのせいで、攫われるなんて怖い思いをさせたことは……」


 ケイトは首を横に振り、ゼルの言葉を遮る。


「悪いのは賊ですわ、お忘れにならないで」

「ゼレセアン。おまえはキャスリーンを、恐ろしい記憶を刻みつけられることから助けられなかったかもしれない」


 フェルティアードが、口に運んでいたカップを手元に戻した。


「だが、彼女の命は救った。謝罪の言葉を聞かせる相手がいないよりずっといいと、わたしは思うがな」

「命を、って、あれはあんたが色々根回しして」

「わたしはきっかけを作っただけだ。おまえに彼女を救おうとする意志がなければ、なんの意味もない飛礫つぶてのひとつに過ぎん。まったく、これから報復に走るわけでもなかろうに、いつまでも過ぎたことを後悔するな」


 いらだたしさを隠しきれていないフェルティアードに、シトーレが茶のおかわりを準備しようとしたが、それはごく滑らかに断られていた。


「今回の件については以上だ。アレン、今度こそきみの危険は去った。安心して家に帰るがいい。ケイト、きみには明日まで休暇を取らせる。明後日からの仕事に支障が出ないようにできるなら、ほかの使用人を手伝おうが、ゼレセアンと話そうが、きみの自由だ。好きにしたまえ」

「は、はい! こんなにお目にかけていただき、感謝の言葉を尽くしても足りないくらいでございます。これからも、精いっぱいがんばります!」


 座っていることすら我慢できなくなったのか、ケイトはまたもや席を立って、フェルティアードに深々と礼をした。アレンはその礼儀正しい行動に気押されたか、自分はなんと言うべきか迷っている様子だ。それを手助けしてくれたのは、隣にいたシトーレだった。


「ケイトは作法に慣れていますからね。大丈夫、あなたの言葉で言えばよろしいのです」


 その身体にはまだ大き過ぎた椅子から降りると、アレンはフェルティアードの席に近づいた。彼のほうは座ったままだったので、目線は普段よりも近く、大貴族の優しくもない眼光を浴びることになっていただろう。

 だが、アレンはその目をまっすぐに見て、彼なりの感謝を告げた。


「フェルティ様、ぼくの嘘にも怒らずに、話を聞いてくださって、ありがとうございます。ぼくはきっと、テルデを助けられるような人になります。警備隊や――ゼルみたいに」


 ゼルが目を見張った時には、アレンはゼルのほうを向いて笑っていた。


「ゼル、かっこよかったぜ。でも、おれはこのテルデで育ってきたんだ。田舎もんのゼルには絶対負けないからな」

「なっ、おまえまたそうやって……!」


 ゼルが椅子を倒れさせかけながら立ち上がれば、アレンはフェルティアードにさっとお辞儀をして、開け放たれていた扉から走って出て行ってしまった。


「構ってやるな、ゼレセアン。だから田舎者だと言われるのだ。おまえには王都に戻るまでに、やるべきことがある」


 ケイトにもなだめられたら、ゼルはそこにとどまるほかなかった。王都に発つまで、一週間もなかったはずだ。本来の勉学の予定はずれにずれていたが、それのことだろうか。


「出立の前日までに、今回の件についての報告書をまとめてもらう。場合によっては陛下も目を通される書類だ。心してかかれ」

「お、おれが!? あんたがやるんじゃないのかよ」

「賊の頭領を捕らえたのはおまえだからな。書き方を覚えるのにはいい練習台だろう」

「様式は定まっておりますから、そこまで難しくはございませんよ。私《わたくし》がお教えいたしましょう」


 知識の使い方に慣れているはずのシトーレの“難しくはない”は、あまり信用できなかったが、協力してもらえるのは心強い。とはいえ、残りの滞在期間すべてを、この報告書に費やすわけではないのだろうから、ゆっくりできる時間は奪われそうである。


「まあ! 陛下がご覧になられるかもしれないものをお書きになるのですね! 素晴らしいですわ」

「ありがとう、ケイト。シトーレさんも、頼りっぱなしになると思いますが、よろしくお願いします」


 ケイトが喜んでくれることに、悪い気はしない。本当に陛下が読まれるかはわからないが、もしそうなったら、胸を張ってケイトに教えててやれるような報告書に仕上げなければ。


「では、私も準備をしなければなりませんな」

「シトーレ、その前にアレンとともに、彼の家に行ってくれ。彼の母親にも、何があったか伝えるべきだろう。わたしからの命令をうけたまわったと言って、説明してやってくれ」

「それもそうですな。承知いたしました、旦那様。さて、それではまずアレンを探すといたしますか。どこへ行ったのやら……」


 茶器の片づけは控えていた使用人に指示して、シトーレは退室していった。ゼルも、書き物の準備をするために談話室を出ようと思ったが、アレンが二度も見た、エティールの尾羽を持った男たちが気にかかっていた。フェルティアードほどの人間なら、何か知っているのではないだろうか。


「ゼレセアン様、お部屋に戻られますか? 何かご入用のものがあれば、お持ちしますわ」

 すっかり専属使用人の姿勢に戻ったケイトが、ゼルに問いかける。


「うん、先に行っててくれないか。少し話をしていきたくて」


 そう言ったゼルの目は、同じく部屋を出ようとしたか、立ち上がっていたフェルティアードに向いていた。


「フェルティ様にですか?」

「すぐ終わるから、部屋に手紙の準備をしててくれないかな。報告書もだけど、このことは家族にも教えておきたいから」


 ケイトは承諾し、フェルティアードに礼をするのも忘れずに、談話室をあとにした。ゼルも出口に向かいながら、フェルティアードに疑問を投げかける。


「なあフェルティ、アレンが見た尾羽持ちの男について、何か心当たりあるんじゃないのか?」


 自分は一度も見ることはなかったが、もし出会うことがあったら、どう対応すべきかくらいは確認しておきたい。悪でない貴族の手の者かどうかを見分ける何かを、フェルティアードは知っているかもしれない。


 だが彼はなぜか、初めて見る奇怪に蠢く虫に向けるような視線を、ゼルに寄越してきた。顔か頭に何かくっついたのか、知らぬ間に茶をこぼしたのかと、頭を撫で回したり身体を見下ろしたが、何もない。


「なんだよ。変なこと聞いたか?」

「……この街にいれば無理もないことか。彼らについて、特別な情報はない。下手に知り過ぎていると、味方の動きまで阻害しかねないからな」


 独り言はゼルの耳には届かず、フェルティアードの口の中で消えていった。教えることはないと知らされたゼルは、あからさまにしかめ面になったが、きっと自分にはまだ早いのだ、と言い聞かせた。


「国に害なす側でも、益をもたらす側でも、手出しするのは賢明ではない。もしおまえが彼らについて見聞きしたのなら、やるべきことはひとつだ」

「あんたに報告する」

「その通りだ。学習したな」

「あんたも大概だよな。アレンといい勝負だぜ」


 その返しを最後にして、ゼルは談話室から自室へ戻った。数分後、ケイトが手紙の用意を持ってくると、彼は頭を抱えて机に伏していた。ゼルはこの時ようやく、フェルティアードがあんな顔をしていた理由に思い当たっていたのだった。

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