日の旅

ぬのむめさうか?

第1話 旅

山の入り口からパチッパチッと音が聞こえる。赤と黒の混ざった色が見上げるにつれて緋色になり、煙とも雲とも知れぬそれらが空を覆い、赤く染まる。火が轟々と風を起こし、鼓膜を震わせた。唇が渇く、口を開ければ、舌がゆっくりと焼かれるようだ。涙は流れず、炎が目に飛び込んで、眼球の水分を揺らす。


「にいちゃん!にいちゃん!!!」


煌々と燃える火の山は、行手を遮る。進もうとするミチルの足をひとつ、またひとつと下がらせて行く。煤がだんだんと顔を染め、足を染め、腕を染める。煤が絹のように体に絡まり、ミチルの体を重く、重く立ち上がれぬように覆う。


「にいちゃん…やだよっ、ひとりにしないでよ。にいちゃん…」


山は未だ燃え輝き、火を翼のように羽ばたかせる。消えゆく意識の中、弓矢を携えた兄の後ろ姿が見えたような気がした。

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長い髪をまとめ、黒い着物に身を染めた女性が軒先で座り込んでいる。アカネは、急な夕立の中、外の景色を茫然と眺めていた。屋根から垂れる水滴が、空から落ちる雨の音より妙に大きく聞こえる。ふっと、そんな声が聞こえた。そちら見やると、布団に寝た肩口に切り揃えられた可愛らしい少女が涙を流している。


「ミチル」


頭に手をやると、呼吸が少しだけ安らかになる。仕切りに口が動いているが何を言っているのかはわからない。


「ミチル」


もう一度、声をかけるが反応はない。何日同じ日々を続けているのだろう。段々と今日が暦のいつで、ユウがいなくなってから何日経ったのかすらもうわからない。いや、考えないようにしているだけだ。それだけなのだ…。ミチルは偶に起きる。起きると「お腹すいた…」と言うのでご飯を作ってあげる。幸せそうに、本当に幸せそうに食べるのだ。そして食べ終わり、手を合わせてご馳走様をすると急に周りをチラチラと見始める。段々と段々と呼吸が荒くなり、叫び出して、机を蹴飛ばし、茶碗を叩きつけて暴れ出して、疲れて寝る。お風呂も入らない。起きて、食べて、寝る。起きて、食べて、寝る。起きて、ご飯を作って、食べて、寝る。起きて、ご飯を作って、食べて、叫んで、抱きしめて、寝る。起きて、ご飯を作って、食べて、叫んで、抱きしめて、寝る、片付けて、体を拭いて、布団に寝かせて。起きるのを…ミチルがまた起きるのを待っている。


何日、同じ日々を過ごしただろう。たまに夢を見るのだ。私が疲れて居間の机で寝ていると、ユウが「ただいま!」と言って帰ってくる。私が玄関に行って「ユウ…何してたの!」って怒って抱きしめる。ユウはいつもの調子で「雉がいて、追いかけてたんだけど全然捕まらなくてさ!でもほら!」。そう言ってユウが見せた手には雉が握られてるの。ユウがみんなで食べようって言って、ミチルが起きてきてお兄ちゃん遅いよ!なんて何でも無かったように、うん、何でも無かったように…そうなるの…目が覚めるまでは。


私が居間の机で目を覚ますと、また外は雨で、ミチルは静かに泣いていた。


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もう何日もこうしている気がする。暗いくらい海の中、何も聞こえない。何も見えない。喉が焼けるような、舌が乾くような、目が焼けるような…。


真っ黒な煤の海が揺れる。ミチルは漂い、空な目で黒い空間を見つめている。ふっと啜り泣く声が聞こえた。


(嫌だよ行かないで、お願いだよ。ひとりにしないで、嘘つき、嘘つきずっと…ずっと一緒にいてくれるってそう言ったのに…にいちゃんの嘘つき、嘘つき)


「大丈夫?」


と声をかけると、ビクッとして、女の子は膝に顔を埋めて泣いているようだった。


(にいちゃんがいないの、帰ってこないの…帰ってくるって、遊んでくれるって約束してくれたのに…)


ぐずって、さらに顔を深く沈める。妹なんていないが、きっとこういう守ってあげたい存在何だろうなと思った。手を頭に当て、無言で撫でる。ずっとそうしていると落ち着いたのか、顔を上げて私を見てくる。肩口に切り揃えられた髪、綺麗な目。どこか私のお母さんに似た顔立ちだと思った。大丈夫?というとうんと返事をしてくれる。


ふとお母さんの声が聞こえる。そちらを見ると光が満ちていた。女の子の手を引いて帰ろう?と促す。一瞬どこに?という問いが頭の中を駆け巡ったが、消えてなくなってしまった。光る場所に向かって、手を引き進み出す。


気がつくとそこにはお母さんがいた。いつものように変わりなくお母さんは起きるとご飯を用意してくれて、私が食べるのを嬉しそうに見ている。あの子も嬉しそうに食べている。美味しいとか、ありがとうお母さんとか色々喋りながら、それにお母さんは嬉しいそうに相槌を打っている。私はこらこらお母さんは、私のお母さんだぞ!みたいに心の中で突っ込みながら食事を続ける。私は食事を終えるとあたりを見渡す。でも…なぜかあの子はどこにもいなくて、自分から漏れる声や、体が幼いと思っていたあの子だと気がついた瞬間。体と魂が叫び声を上げて、もうわからなくなって、またあの煤の世界にいる。そして、啜り泣く声が聞こえた…


もう、何日も同じ日々を過ごしている気がする。

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日の旅 ぬのむめさうか? @NunoMumeSasuka

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