第2話 魔王様、洋服が脱げなくなる
「少しだけ片付けたら呼ぶので、待っててください」
ゼノフォードを外で待たせたままドアをそっと開け、照明のボタンを押す。短い廊下の向こうに、七畳一間の我が家が明るく照らされた。
玄関に立ったまま、見慣れた部屋を見渡す。やはり、私の家はさほど広くない。あちらこちらに大事な本や雑貨、化粧品も散らかっている。
こんなところをゼノフォードが好きに動き回ったら、確実に何かを踏み壊したり、落として割ったりするだろう。彼はドアノブを破壊するような男だ。
「……片付けて部屋に入れたら、すぐにじっとさせないと。そうだ、リビングの座椅子に座っていてもらおうかな」
もう0時近い。床に置いたままの本や雑貨を仕舞ったら、あの男を落ち着かせて早く寝よう。そう考えながら、履いていたパンプスを脱ごうと踵を掴んで引っ張る。だが、先日買ったばかりのパンプスは嫌なほど足にぴったりフィットしていた。手の指を入れる隙間すらない。
悪戦苦闘していると、後ろからキーッと音がした。隙間風が吹き込む。扉は閉めたはずだが、と思い振り返ると赤色の瞳と目がかち合った。その目は部屋をキョロキョロと見渡している。
「おお!」
途端に赤色の瞳はぐっと見開かれ、嬉々とした声が響き渡った。バタン!大きな音と共に、開かれた扉からゼノフォードが飛び入る。彼は私の横に割り入り、玄関に靴を脱ぎ捨てた。
「ここがみことの暮らす部屋か!ふむ、どのような品があるか調査するしかあるまい」
何ということだ。勝手に入られてはゼノフォードをさっと大人しくさせる計画が台無しだ。
「ちょっと、待って!」
ゼノフォードは私の制止に耳も貸さず、リビングにドタドタと走っていってしまった。
彼は人間の生活に興味津々なようで、部屋を勝手にルンルンと探索しだした。焦った私はスーパー袋をその場に落とし、やっと脱げたパンプスも放り投げてそのあとを追いかけた。背の高い彼の横に並び、ゼノフォードをじっと監視する。
キッチンに出しっぱなしの調理器具、スーパーのチラシを貼った冷蔵庫、洗面台の化粧品、ベッドの上のぬいぐるみ。部屋の端から端まで観察しては、驚いたり何かわからないと言ったような顔をしたりする。まるで初めて外を歩いた2歳児のようだ。そんな彼に振り回され、私は激しく疲弊する。
「みことよ!この中には何が隠されているのだ?」
次は何だ、もうやめてくれ。気だるい気持ちで渋々そちらに目を向ける。見るとゼノフォードが指を差しているのはクローゼットのようだ。それは私の好きなアニメグッズが大量に押し込められた秘密の物置。開かれれば私の趣味が大放出してしまう。
「ゼノフォード!!ストップ!!」
私はすぐさま彼に駆け寄り、クローゼットに伸びる手を勢いよく制止した。私が顔を見上げると、ゼノフォードはどうして見てはいけないのだ、とでも言いたげな純粋な目でこちらを見ている。私はその言い訳を、適当に考えて口に出した。
「……この中のものを全部見るには、もう夜遅いわ。あなたも疲れたでしょう。ここはまたいつか見るとして、先にお風呂はどう?」
ゼノフォードと物置の間に割入り、必死の形相で訴える。私の提案を聞いた彼はニコリと笑った。
「気を使わせて悪いな、みこと。すまないが、風呂を借りさせてもらう!」
彼は私の言葉の裏を読みとることはなく、素直に頷いてそう言った。
ほっ、と安心した私はバスタオルを用意するためタンスに脚を向ける。その横で、ゼノフォードは突然ブン、と高らかに腕を伸ばした。七畳一間の照明の下で、腕を誇らしげに掲げる様は実に滑稽だ。ゼノフォードは次に指を鳴らす。パチン!
軽い音が部屋に響きわたる。これは先ほど外で見せられた映像と同じ流れだ。魔法を使おうとしているのだろう。不安な面持ちでゼノフォードを眺める。一体何が起こるのだろうか。部屋の空気がピンと張り詰める。
—彼が指を鳴らしてから数十秒経った。
張り詰めた部屋の空気が徐々に緩んでいく。部屋にもゼノフォードにも、なにも変化はない。思わず首をかしげた。
ゼノフォード自身も驚いたようだ。困惑の表情で、掲げた自らの右手を見つめる。そして仁王立ちのままえい、えいと何度も指をはじいた。だが、手が赤く光ることもなければ物一つ動きはしない。
「どういうことだ」
焦りを含んだ声だった。ゼノフォードは必死で指を鳴らし続ける。上がっていた口角は窄み、眉間に皺が寄る。あんなに綻んでいた彼の顔は徐々に険しくなっていった。
パチン、パチンという音を何十回聞いたころだろうか。何の魔法も生まない自らの指先をぼんやりと眺め、ゼノフォードは表情をなくしていった。
「困ったな」
彼はぼそり、とそう溢す。赤い瞳が強く揺らいでいる。自信のなさそうな表情は、外で見た彼とは別人だ。
重いトーンのままゼノフォードは言葉を続ける。
「……みことよ、どうやら我は魔法が使えなくなったらしい」
消え入るような声でゼノフォードはそう告げた。思考が止まる。
私は一瞬、彼が何を言っているのか理解できなかった。ついぞ私を魔法で脅してきたのは、この男ではなかったか?
「でも、外で会ったときは使えてたよね?」
思わず怪訝な声で尋ねる。
「それは補充した魔力が残っていたためだ。魔界では、大地の力によって常に魔力が体内に供給される。我の場合、余程のペースで魔法を使わなければ、魔力が尽きることはない。だが、状況から察するに人間界では魔力が得られないようだ」
魔界について知らない私を気遣ってか、ゼノフォードはゆっくりと、子供に教えるかのように説明する。
「空間転移魔法ーー我が人間界に来る際に使用した魔法は莫大な魔力を消費する。そのあと、記憶転送魔法も使った。それで魔力が切れたのだろう」
話から察するにゼノフォードはもう人間界では魔法が使えないらしい。なんということだ。そうだとしたら、彼はこの世界でやっていけるのだろうか?扉すら魔法でしか開けられない男だ。ましてや家事なんて魔法なしで本当にできるのだろうか。思わず不安と心配の眼差しを彼に向ける。
それを察したのか、ゼノフォードはこちらを見つめ、ゆっくりと口角を上げた。
「だが心配せずとも良い!我とて世を統べる魔王。魔法がなくとも、どうとでもして見せる」
そう言ってゼノフォードは唐突に自らの服に手をかける。
「服もドアと同じで、魔法で脱いでいた。だが、幼い頃服の脱ぎ着は習ったことがある」
なるほど、彼が先ほど使おうとしていたのは服を脱ぐための魔法だったらしい。彼は得意げな顔で自らのブラウスの第一ボタンに触れる。さすが魔王というだけある。黒の下地に金の装飾が施された、華美なボタンだ。
「安心しろ、見ているがいい!」
ゼノフォードは何故か誇らしげに、ボタンを外す様を私に見せつけようとしている。緊張しているのか、彼の手は異常なほど強張っていて面白い。
「ええい!」
掛け声と共にゼノフォードはより一層、ボタンに触れた指の力を強める。そして手を大きく引いた、次の瞬間。
パチーン!!
突如BB弾でも弾けたような音がした。
「痛っ」
何かが顔面にぶつかる。
ハッと物が落ちた音の方向を見ると、そこにあったのは先ほどまでブラウスに縫い付けられていたボタンだった。
床に落ちたボタンはコロコロと転がってゼノフォードの足元に到着する。それをボタンと認識するや否や、自称魔王はみるみる表情を暗くした。そして、その長い脚を折ってへたりと膝をつく。
「まさか、ボタンの外し方はこれであっていたはずだ!」
男の悲壮な叫びが部屋に広がる。
「いや……力が強すぎるんじゃないかと」
まだ彼との距離感が掴めない私は小声でぼそっと呟いたが、焦った彼の耳には届かなかったようだ。ゼノフォードはそっとボタンを拾い上げる。それを上下左右から眺めながらふむふむ、と考え込んでいる。それから数十秒経った。突如ゼノフォードは、「ああ!」という声を上げ勢いよく立ち上がる。
「やり方が違ったようだ。正しくは右と左の布地を持って強く引けばするりと外れる仕様であったな!」
—それはボタンじゃなくてマジックテープじゃないかな?!
そう言ってまさにブラウスを引き破ろうとするゼノフォードを止める暇はなかった、彼は勢いよく自らの服を左右の方向に引っ張る。ああ、折角高そうなブラウスなのに。勿体ない。
プチプチプチン!と言う音と共にブラウスのボタンは無惨にも部屋中に飛び散らかってしまった。
そこからのことはもうよく覚えていない。
散らばったボタンを集め、風呂場にゼノフォードを押し込んだ。だがシャワーの使い方がわからんとすぐに呼び立てられ、挙句の果てには水圧を上げすぎた彼にシャワーの水をかけられて私はびしょ濡れだ。当の本人は風呂を終えてすぐ私のベッドの上で、大の字で寝息を立て始めている。
その健やかな寝顔を眺めながら、私は深いため息をつく。服も脱げないポンコツ魔王。しかも魔法が使えないときた。私はとんでもない事故物件を連れ帰ったらしい。
ますます憂鬱な気持ちになり、ベッドの横に敷いた客用布団に身体を預ける。
頭上を見やると、枕元のカーテンの隙間から満月が覗いていた。
—ああ、月の使者たちよ。まさかとは思うが、屈強な男のかぐや姫が逃げ出してはいないかね。どうかそうならば、十五夜と言わず今すぐ迎えにきておくれよ。
ゼノフォードの寝息が響く部屋で、そう願いながら微睡の中で意識を落とした。
魔王×OL~降ってきたのは最強ポンコツ魔王でした~ 雨神王雷 @orai_amagami
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