魔王×OL~降ってきたのは最強ポンコツ魔王でした~

雨神王雷

第1話 魔王様、空から降ってくる


 スーパーの惣菜が半額になる頃、やっと最寄駅に着くのはいつものことだった。

20時にはご飯を食べて好きなアニメを見たいところだが、定時の18時真近にクライアントから無理な要求が飛んでくるのは日常茶飯事である。


 あまりにも近頃残業が多いので直属の上司にも訴えてみたのだが、「今は忙しい時期だからねえ、もう一踏ん張りだよ」とはぐらかされるばかりだ。その「もう一踏ん張り」はいつまで続くのだろうか。システムエンジニアの仕事は楽ではない。


 ため息をつきながらスマホの画面を見ると22:30の文字。電車の窓から見える外も真っ暗で、満月だけが見えるようだ。やっと最寄駅につくと、改札を通り抜けてすぐ側の大型スーパーに駆け込む。


 狙い目は唐揚げ、イカゲソ、などなど揚げ物各種。今日は金曜日。買うべきは「ビールのおとも」一択。

「朝から晩まで客の奴隷なんだから、これぐらいの楽しみないとやってらんないよね」

 とやけくそ気味にビールのロング缶と唐揚げを買い物かごに突っ込んだ。これで今日忙しかった自分も少し報われる気がする。レジ袋に商品を詰めて、軽い足取りでスーパーを出た。


 明日は休みだ、今日は酒もある。大丈夫、まだまだ私は頑張れる。

そう自分に言い聞かせる。


 新卒入社して3年。周りからはさすがに慣れただろうといわれるが、そんなことは決してない。突然エラーの起こるシステム、無茶な仕様変更を要求してくるクライアント。どこにも気の休まる暇などない。はぁ、と思わず深いため息が出た。一体いつまでこの日々は続くのだろうか。


 そんなことを考えながら夜道を歩く。私の家は駅から10分ほど。

繁華街を過ぎれば人通りの少ない裏通りにつながっている。


 暗くて夜に歩くのは少し怖いが、これが一番近道なので夜空を見上げながら毎晩通り抜けていた。


「月がきれいだなあ」


 今日は満月。真ん丸なお月様が私の心を癒してくれる。昔から夜空を見るのは好きだ。上京してからはあまり見なくなったが、それでもたまに夜空の星を数えるのである。


「星もよく見えるなあ、1個2個……」


 うっすらと輝く星々が見えた。辺りの電灯のせいか、はっきりとは見えない。


「もうひとつあった、3個……」


 3個目の星は少しだけ大きい。赤っぽく光っていて一際美しかった。


「あんな色の星、久々に見たな」


 その星は徐々に輝きを増す。まるでルビーのような光沢だ。仕事疲れの頭でうっとりと眺める。


 どこか様子がおかしいと思ったのはその30秒後のことだ。この星大きくなってないか?それも2倍ほどの大きさに。


 星は加速度的に大きくなっていった。まさかこちらへ向かって落ちてきてはいないか?


「え、何あれ、流れ星?いや、隕石?逃げないと!」

 

 猛ダッシュで家の方向に走る。走る、走る。だが、流れ星との距離は縮まるばかりだ。


「だめだ、逃げきれない!」

 

 流れ星の落とす影はすぐに大きくなり、辺りを一層暗くした。そしてその影はついに頭上に正体を現した。


 見上げるとそこにあったのは星ではなく大柄な成人男性だった。


 それは一瞬の出来事だった。


 地面に衝突したらこの人死ぬのでは?!とパニックになった私は落ちてくる影に駆け寄り抱きとめるため、腕を差し出したのだ。思わず目を閉じて衝撃に備える。これは死んだかもしれない。


 だが、予測した衝撃はなかった。


「バカめ、我は落ちはせぬ」


 声にはっと目を見開くと自分が差し出した腕の上で、こまねきながら浮いている大柄な男がいた。


 男はこちらをチラリと見下ろして口角をにやりと上げた後仰々しく笑った。


「人間よ、よくぞ身を呈して我を護ろうとしたな!誉めてやろう」


 男は嬉々とした声で喋り出した。


「あなた……一体何者?」


 空から降ってきて、宙に浮いている男。只者な訳がない。何かの超能力者か、はたまた宇宙人か。恐怖に思わず後ずさったところを赤色の眼光がとらえた。


「我は魔王、ゼノフォード。訳あって人間界に来た!」


 身を翻し、地面にパタリと足をつく。着ていたマントが夜空になびき、白銀の髪は月光に照らされている。


 なんと綺麗な人なのだろう。褐色の肌は艶めいて美しい。赤色の目も宝石のように輝いている。まるでお伽話から抜け出してきたようだ。

とはいえ、この状況。どうしたものか。


 逃げ出そうと思ったが、男の鋭い眼光に捉えられ身体が強張る。人間は理解不能な恐怖を感じた時、身体のコントロールを失うのだと初めて理解した。

とはいえこの自称魔王をどうにかせねば。


 やっとのことで声を絞り出す。そうして自分の口から出てきたのは何とも馬鹿げた質問だった。


「……あの、空から降ってきましたがお家、帰れますか?」


 空から降ってきたなら帰り方などわかるまい。きっと彼は迷子だ。迷子なら警察だ。警察に押し付けるしかない!パニックになった頭ではそんな考えしか浮かばなかった。


「我は魔界より参った。なにぶん、人間界は初めてなのでな。帰り方はわからん」

 

 男は随分と緩急のある声で喋る。帰れないと言いつつもどこか楽しげな様子だ。


「そうですか、迷子のようなので警察にお連れしましょうか?」


 力が入らず震えた声で、可能な限り優しく伝えた。だが、警察という言葉を出すと男は急に眉を顰める。


「待て、警察などいらん」

「ですが、私では貴方のお家まで案内できませんし、トラブルに巻き込まれたくもないです」


 男の目をまっすぐに見上げ、そう伝える。すると男は途端に高笑いした。


「ふむ、魔王に対してその物言い!大した度胸だ。だが、我を警察に突き出すようなことがあればこの人間界が一夜にして滅ぶと思え」


 彼の口は弧を描いたままだが、目は笑っていない。鋭い眼光で私を見つめている。


「我はこの人間界に棲家がない。そして帰り方も分からぬ」


 一呼吸置き、男はそのまま言葉を繋げた。


「—そこでだ、人間。我を貴様の家に泊めろ」

 

 空気が凍りついた。泊めろ、だと。そして下手なことをすれば人間界を滅ぼすとも、目の前の男は言っていた。どうしよう。男が何者かもよくわからない。下手な返答をして挑発してはいけない。とはいえ、素直に泊めますというわけにもいかないのだ。


「泊めて差し上げたいのは山々ですが、私家事が苦手でして。部屋は散らかっていますし、何より単身用のアパートです。魔王、様を泊めるには手狭かと。ここはひとつ、他の方にお願いされてはどうでしょう?」


 息継ぎもほどほどに、早口で吐き出した。早くここから逃げ出さねば。


「貴様、我から逃げる気だな?だが、我は貴様の家に泊まると決めたのだ。我の決定を変えることはできない」


 男は震える私の頭に手をかざす。ひっ、と声をあげて目を瞑る。打たれるかと思ったが、何の痛みもなかった。


 閉じた瞼の裏に、見知らぬ土地の映像が流れ込んできた。黒く淀んだ空の下、弓や槍を持った大勢の軍人が眼前に広がる。かかれ!という指揮官の声が響き渡った。数千人の兵士たちが一斉に攻撃を仕掛けようとしている。その瞬間。現れたのは先ほどまで私と話していた「魔王」だった。


 魔王はただ1人、兵士たちの前に立ち、指をパチンと鳴らした。その瞬間軍の周りが赤い光に包まれた。光は徐々に強くなり、兵士たちを覆う。魔王が歯を食いしばると、兵士たちは次々に膝を折っていった。どうやら、魔王の放つ光が兵士達の力を吸い取っているようだ。やがて、数千の兵達は皆地面に倒れ、誰も立ち上がらなくなった。


「これは過去の戦いの記憶だ。我にかかれば、数千の兵すらこのザマだ」


 眼前の魔王と目がカチ合った。一瞬恐怖に怯えたが、意外にこの男、力強くも優しげな眼差しをしている。数千の兵を打倒した恐ろしい魔王の目には見えないが、この柔らかな表情は強大な力を持つゆえの余裕から来ているのか。


「人間よ、悪いことは言わぬ。我を貴様の家に泊めろ」


 私は躊躇った。この男の力は恐らく本物だろう。要求を無視すれば、この世界がどんな目にあうか分からない。先ほど見せられた兵たちのように、一瞬にして世界の人々が地に臥すのかもしれない。とはいえ、私の家に泊められるような相手ではない。私が返答に悩んでいると、男は再び口を開いた。


「選択肢はないぞ。我を貴様の家に泊めるのだ。……そうだ、今なら願いをひとつ聞いてやってもいい。またとない機会だろう?」


 そう言った彼の手が赤く光り出す。先ほどの映像で兵士たちを滅ぼした光だろう。どうやら私に選択権はないらしい。私は静かにため息をついて口を開いた。


「……分かりました、あなたを私の家に泊めましょう」


 それは渋々の選択だった。私が泊めると言った途端、目の前の男は赤い瞳を輝かせる。


「それは有難い!して、貴様は我に何を望む?」


 望みなどない。少なくとも突然現れた魔王と名乗る怪しい男に望むことなど。だが、男がもう1人家に暮らすとなれば、食事の準備に洗濯に…やることは満載だ。仕事も忙しいのだからそんな暇はない、となれば。


「………家事、をお願いします」


 これしかないと思い、思い切って伝えた。すると、魔王はキョトンと目を見開いた。そして次に破顔し、大口を開け、面白がって手を叩き出した。なんとも愉快な男だ。


「フハハハ!!面白い。このゼノフォードにかかれば家事など容易いこと。我の力を見せてやろうではないか」


 パチン!魔王が指を鳴らすとどこからか見知らぬ文字で書かれた紙が現れた。彼曰く、契約書のようだ。彼に手を取られ、言われるがままに拇印を押した。すると、その契約書は赤く光ってすーっと夜空の彼方へと消えていった。


「これで契約完了だ。貴様は我を家に泊める。我は代わりに家事をする。この契約が破られた場合、契約書に込められた魔力によって制裁がくだる。いいな?」


この男、なんとも楽しそうだ。


 私が家に向かって歩き出すと、嬉しそうに闊歩して着いてきた。喜色を浮かべたままの彼は、まるで親しい友人に聞くかのような声色で尋ねてきた。


「聞いていなかったが、名前は?」

「剣崎みことです」

「我はゼノフォードだ。これからよろしく頼む、みこと」


 そう言って彼は、最初とは別人のようにニコリと笑った。


 金曜日の夜。レジ袋の中にあるビールはすっかりぬるくなっているだろう。1週間の締めくくりはキンキンに冷えたビールではなく、大柄な自称魔王を連れ帰る仕事で終わってしまいそうだ。なんという一日だろう。


 そうして歩いているうちに、自宅アパートのエントランスに辿り着く。コートのポケットから鍵を取り出して、鍵穴に差し込み自動ドアを開ける。すると何やら隣の男が興味深そうにこちらを見ている。


「みことよ、戸に触れずしてどのようにしてこのドアを開けた?」

「……は?」

「我はいつも魔法で戸を開けていた。その方が手で押すより容易かったのだ。しかし、みことのそれは魔法ではないだろう?一体どのように扉を開けた?!」


 どうやら、この魔王。鍵を使うのは愚か、手で戸を開けることも知らないらしい。彼曰く、力加減がわからずに扉の取手を破壊して以来、魔法で戸をこじ開けていたようだ。


 もしかして、この男。力が強いだけで、一般常識は全くないのでは……?


 そんな不安を抱えながら私たちは部屋に向かうのだった。

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