しほさんとパラパラチャーハン



 しほさんが『男子高校生が腹をすかして作ったようなチャーハンを食いたい』というので作った。


 

「……このチャーハンおいしいね」


「まあ、俺もたまにチャーハン作るので」


「……パラパラで口当たりがよく、焦がしたバター醬油の風味が食欲をそそる」


「ええ、がっつり系をご所望とのことだったので」


「……具材もシンプルなのがいい。卵と豚バラ肉のみ。これが嫌いな人間はいないだろうね」


「ああ、ありがとうございます」


「――でも、こういうのじゃないねん」



 そして、なぜか僕は現在進行形でなじられている。


 エセなのを隠そうともしない棒読み関西弁のしほさんに。



「はあ、すみません」

 


 彼女はその後も淡々とスプーンを進め、時折、「んめ、んめ」と感想を挟みながら、やがて、僕の作ったチャーハンを完食した。


 ごちそうさま、の一言のあと、しばらくは満足げな顔で食後の余韻を楽しんでいたようだが、突然、脱力して背後のベッドにもたれながら天井を仰ぐ。

 

 

「誰にでも悩み事を打ち明けられないのは、優しいからとか、不器用だからとか、たぶんそんなんじゃなくて、自分がありふれた人間だと気付きたくないからなのかもしれない――そんなの誰だってそうだと、云われてしまうことが怖いのだ」


「えっ、急に何……?」


「このチャーハンはそういうチャーハンだという話だよ! お高く留まりやがって! 私はもっとこう……『昨日の晩御飯の残り物を適当にご飯にぶっこんで焼き肉のタレで炒めました』みたいな油まみれでべちゃべちゃのチャーハンが食いたかったのに!」


「でも、おいしかったんですよね……?」


「おいしかったよ! だからこそ気に食わない!」


「狂ってやがる」


 

 またいつもの『発作』か、と僕は嘆息した。

 


「君と私とでは、どうやら『男子高校生』の解釈が異なるようだ」


「でも、たぶん最近の男子高校生はこのくらい作れますよ。ティック〇ックとかで出てくるんで」

 

「事実の話はしてないもん! この野暮男!」


「いいことじゃないですか。若い時分から大人びた子が増えて」


「何を云う、愚かであってこその思春期でしょうに! ゴイステとか聴けよ!」


「最近の若者はミセスとか歌い手さんとかですよ」


「ちくしょう! しゅっとしやがって!」



 多角度な偏見と多大な偏屈に満ちたアラサー二人の会話がここにはあった。


 テーブルにそっとコーヒーの入ったマグカップを置くと、しほさんは「ありがと!」と受け取った。



「以前にツトムには話したでしょう。『最近の若者は』って議論に対する私の持論」


「ええ、『根性がなくなったとよく云われてるけど、大人の世代より損得勘定が上手くなっただけだよ』ってアレですね」


「うん、そういう意味では――その一部分だけを切り取れば――良い発展、心の成熟の結果だと私は思うんだけどね」


「たしかにそんな文脈でした。それは悲観でばかり捉えられるべきことではない、とかなんとか」


「その通り」

 

 

 云いながら、しほさんは熱いコーヒーに息を吹きかけている。


 僕はカチャカチャとティースプーンで自分のにミルクを混ぜていた。

 

 

「だけど、だからこそね。そこには大人たち――前の世代の人間とは異なる壁や苦悩が立ちふさがってるんだと思うんだよ」

 

「壁、ですか」


「そう。『【正義】の壁』っていうかな」

 


 しほさんは一瞬マグカップに口をつけるが、すぐにまた冷ます行為を再開した。


 今度から渡す前に氷の一つでも入れてみようか。

 

 

「人はいつだって、自分自身の中にある【正義】のためにしか生きられない。そして、【正義】とはいつだって『これをしてはいけない』を自分自身に強制する相対的な戒律だ」


「また難しい話が始まりましたね」


「まあ聞いてよ。私が思うに、早すぎる心の成熟は、人を【正義】の奴隷にしてしまう」



 いつの間にかマグカップをテーブルに置いていたしほさん(いったん諦めて冷めるまで待つことにしたらしい)は肯定するでも否定するでもないような粛々とした口調で続けた。

 


「【相克】――そんな言葉を残した人もいたっけな。『正しさを求める』ということは、ある意味で戦いのようなものだ。『正しくない』他者を規定し続けることによって、人は『正しさ』を勝ち取るんだよ。奴隷の道徳とは、つまるところ、他者への恨み辛み・妬み嫉みなくしては成り立ちえない」


 

 これはヘーゲル批判ではないよ、と、しほさんはよく分からないような注釈をつける。

 

 

「たまに思うことがあるの。『人は誰しも、自分自身にとっての奴隷でなく、王様であるべきなんだ』って」


「つまり、べちゃべちゃのチャーハンを自信満々に作れる人間であれ、と?」


「うん、つまりそういうコト。他人の評価を軸として自分を作り上げることももちろん大事なんだけど、そればっかりにかまけていたら、最終的に人間は『本当に自分がやりたいこと』を忘れちゃう。人間がみんな他人と同じことしかしない世界なんて、退屈でしょう?」


「まあ、それはそうかもですけど、やっぱりその話をチャーハンと結びつけるのは無体では?」


「だからもう、野暮だなぁ! いいでしょ、思い至っちゃったんだから! あのねぇ、この話は君にこそ――」

 

 

 それからもしばらく『【正義】の壁』の話は続いた。


 それは、口にして語るまでもない、すでに昔の偉い識者たちが言葉として残していた思考についての話。


 今は取り留めがなくとも、いずれ、ふとした時には思い出すかもしれない論理と経験の断片たち。


 そんな場面の中で、あえて言語化しておくとすれば、そういうことについて話している時のしほさんは、いっそう美人に見えるってことくらいだろう。

 

 マグカップが空になったころ、そんな話も終わりを迎えた。

 

 最初こそ激昂していたが、話すうちに落ち着いて、今ではすっかりすまし顔である。

 

 

「――まあ、しほさんの云いたいことは充分理解できました。今度はご要望にお応えして、俺もべちゃべちゃのチャーハンを作ることにしますよ」


「いや、作んないでいいよ」


「はい?」


「今日のヤツ、また食べたいから」

 

 

 本日の所感。


 僕は――こんなに王様みたいな人を見たことがない。


 


▲▲~了~▲▲

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しほさん 山田奇え(やまだ きえ) @kie_yamada

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