第2話・2月

 29XX年2月6日



 昨日から雪が降っている。

 今シーズンすでに何度かちらついていたが、初めての積雪だ。飼い猫のエリカはストーブの前から動かない。一度窓から外を眺めたあとは、餌のカリカリすらストーブの前に置けという始末だ。

「こんな日にタイミング悪かったかな......いや、逆か」

 今日も繭籠りの予約がある。

 普段なら天気の良い日に、と思うが、今日の客は暑いよりは寒いほうがありがたいらしい。


 祖母は早々に朝食を済ませ、来月使う予定の刺繍服が足りないと早々に仕事場にこもってくれている。3月は普段より予約が詰まっている。繭も多めに仕入れておかないといけない。

「春」の温室で客を待ちながら、発注書を送り、他にもいくつかの書類仕事を片付けていると、温室のガラス扉が開いた。

 扉を開け、

「こんにちは、店主のイツキです。アローネ様と、ポロ様ですね」

「こんにちは。しばらく世話になるわ」

 風の遮られた温室内で身体に積もった雪をはらう1人と一匹は、使役獣の白熊ポロと、その背に乗った人魚のアローネだ。

「ポロのために冬にしたけれど、私にこの空気はちょっと冷たいわね」

 しかめっ面で水かきつきの手に息を吹きかけるアローネは、薄紅色の髪の毛から、レースのように重なって上半身を覆うヒレ、鱗に覆われた下半身、柔らかく垂れた尾びれの茜色までが紅のグラデーションになっている。

 デバイス面談の時にも感じたが、人を惑わすといわれるオーセンジーの人魚の中でもかなりの美人だ。

 ポロは地球にいたシロクマよりも柔らかそうな、白くふわふわした毛並みをしている。アローネが使役するために魔力を与えて育てたからなのか、それともポロ自身の素質と努力か、通常の白熊の2倍ほどの体高がある。

 アローネは地面に伏せたポロから器用に降りて椅子に座る。

「まずは先日ご記入いただいたカウンセリング用紙等、書類のご確認をお願いします。お飲み物はスピルリナのスムージーをご希望でしたね」

「えぇ、お願い」


 キッチンでグラスを2つ用意して、冷凍のスピルリナをミキサーにかける。

 一つのグラスにはそのまま注ぎ、残りの液体に林檎とバナナを足して再度ミキサーにかける。

 味見をしてみたが、うん、見た目はほとんど一緒だが果物を入れれば悪くない。

 ポロ用に水とフルーツもいくつか持っていく。


「......あなたも飲むの?」

 2つのグラスを見たアローネが怪訝そうな顔をする。

「私の分はフルーツも混ぜていますから甘いんですよ」

「そうよね。人魚以外でスピルリナをそのまま飲む人はほぼいないって聞いていたから驚いたわ。ポロのおやつまでありがとう」

 書類の確認や追加をしながら話をする。

「アローネ様は初めての繭籠りでしたね」

「ええ、そうよ。でもオーセンジーの人魚は7つになるくらいまで繭の中で育つの。繭籠りの繭と違って半透明な膜のようなものだから外の世界はなんとなく伺えるけど、自分を個として認識し、海で生きられる力を蓄え、膜を食い破って出てくるまで、親はその繭を更に大きな繭に入れてまとめて子供たちを運ぶのよ」

 まぁ私は5つの時に出てやったけど、と得意げに言う。

「オーセンジーの人魚にとって繭籠りはこれと同じような感覚だと聞いたわ」

「確かに、自分の身体を意識し、一塊の繭で力を持って変化を起こすというのはなんとなく分かりますね。……今回は脚、でしたか」

 美しい尾びれを見る。

「えぇ、そうなの。父が魚人、母が人魚。私は母に似たのね。弟妹の中には魚人もいるわ。魚人はみんな左足に自分で作った護りのアンクレットをつけるの。今回イメージする象徴はこれ」

「でしたら溶かすより持って浸かったほうがいいでしょうね。溶け込まないように阻害の刺繍をした巾着をあとでお渡しします。あとは、原始の海へ馴染みを良くするために刺繍服を着ていただけばすぐにでも繭籠りを開始できます」

 ひとつ頷いたアローネは、ポロの毛並みの中をわさわさと探り鞄を取り出した。

「あなたにこれをお願いするわ」



「ポロの食べ物なのだけれど、基本的には何でも食べるから、あるものをあげてちょうだい。ただひとつ特殊なのはこれね。この瓶の中身は私の魔力を液状にしたものよ。寝る前に1日1目盛ずつ、原始の海で10倍に薄めてポロにあげてちょうだい。私が目覚めるまでにどれくらいかかるかわからないから10本用意したわ。これで100日分ね」

「ずいぶんありますね」

「余った分はあなたにあげようと思って持ってきたのよ。私の父が以前ここで繭籠りした時にも同じように置いて行って、今もうちから買っているんでしょう?」

「『オーセンジーの魔力瓶』はお父様のところのものでしたか」

 僕の父がこの店を始めた頃、店の温室を作るために大量の魔力を必要とし、また今も維持のために魔力を使っている。もう数十年になるだろう付き合いで、今日も発注をかけたところだ。

「下手に気遣ってくれなくてもいいように黙っていたのだから、他の客と同じように扱ってちょうだい。ポロも、宿への移動が済めば小さくさせるけど、それでも並の番犬より強いから使ってくれても構わないわ」

「うちには飼い猫が1匹いるので、仲良くしてくれるといいんですが……」

「あら、猫ですって?名前は?」

「エリカです」

「そう。……ポロ。主として命じます。ここにいる間エリカと敵対しないように」

 一瞬ポロの毛がぶわっと逆立ち、数秒で戻る。

「これで喧嘩はしないでしょう。仲良くは......わからないけれど」

「お気遣い、感謝します。あとは、繭籠りの場所ですね。見てお選びになりますか?」

「雪に埋もれているけど、起きる頃にはまた景色が変わっていそうね。とりあえず見に行くわ」

 アローネは再びポロの毛並みに埋もれる。ポロは伏せたまま動かず、こちらを見る。

「あなたも乗っていいそうよ」



 雪道も、白熊の足ならさくさく進む。

「オーセンジーからですと、星間タクシーでもずいぶん遠かったでしょう。退屈ではありませんでしたか?」

「普通に来れば10日くらいかしら。途中で他のお得意様のところにも寄って色々見て回っていたから面白かったわよ。キャビネルのドワーフ連合協会とか」

 ポロのひときわふわふわした毛並みの首元に埋もれたアローネがくぐもった声で話す。

「釘一本から家一軒まで、のドワーフ製品は質が良いですからね。私も年に一度は行って色々購入しています」

 白熊の背中は、安定感はあるが、いつもより視線が高くて少し怖い。

 見えてきた丘の上、置いてある繭にも雪が積もっている。、それぞれの側に木が立っていなければ、雪と鈍色の空に溶け込んでわからなくなりそうだ。

「今回の繭がこちらです。他の繭と距離をとっていただければどこでもいいですよ」

「広いし白いわね......あの赤色はなにかしら」

 顔と右腕だけ出して指差す方向には、紅色の花が咲いている。

「あれは梅の花です。周りが白いと一際輝きますね」

「梅?たしか実を漬けて食べるのよね。前にアウロラの市場で食べたわ」

 思い出して酸っぱそうな顔をしている。

「この木は花を楽しむための品種なので、そんなに美味しくないんですよ。実梅は温室の中にあります。」

「ふぅん。でもあの色は良いわね。私の尾びれと同じ色。あそこにするわ」

 紅色の花が散る横で白銀の繭から現れるアローネは、さぞかし美しく輝くだろう。



 家に戻ると、いまだストーブの前にいたエリカが伸びをして起き上がる。緊張の一瞬だ。ポロとエリカは鼻先で挨拶をし、互いに匂いを嗅ぐ。暫く顔を見合わせたあと、根負けしたように顔をそらしたエリカは部屋の隅に置いた毛布を敷いたかごの中に収まった。

「喧嘩するなよ」

 鼻筋を撫でると右足一閃。ギリギリかするくらいに爪を出しているのが憎らしい。

「私の食事は持ってきているからいらないわ」

「では明朝、明日着る刺繍服と一緒にお飲み物だけお持ちしましょう。明日は午後から繭籠りですから、水以外のものは朝までにしてください」

「分かったわ」



 翌朝、ポロのためのフルーツと祖母が刺繍をした巾着と服、飲み物に去年作った梅シロップを炭酸で割った梅ジュースを持って行く。昨日の反応を見る限り、市場で食べたというのは梅干しだろう。しかも、希少なものを駄目にしないよう、かなり酸味強め塩分濃度高めのもの。せっかくだから他の味も試してもらいたい。

 部屋のドアノッカーを鳴らすと、開いてるわ、と声がした。

「おはようございます」

 アローネはベッドの上でポロのブラッシングをしている。

「暫くかまってやれなくなるから、ポロが満足するまでこうしているわ。時間になったら呼んでちょうだい。……その飲み物はなに?」

「梅ジュースというものです。梅干しは塩と紫蘇に漬けますが、これは氷砂糖に漬けているので甘みがあって爽やかですよ」

 香りを暫く嗅いでから口に含む。

「これはいいわね!あの酸っぱくて塩辛かった梅干しとは大違いだわ」

 喜んでもらえたようでなによりだ。



 午後、一時雪がやんだ瞬間を見計らって外へ出る。

「アンクレットは持っていますね。繭籠りの間は夢を見ているような感覚だと思います。なりたい姿を強くイメージしてください」

「わたしはわたしのためならなんでもできるわ。ポロのこと、お願いね」

 白い刺繍服を着たアローネは最後にポロを一撫でして、繭籠りに入った。

「さて、帰りましょうか。毎日の見回りには付いてきてくれると嬉しいのですが、どうですか?」

 ちらりとこちらを見たポロは、主がいなくとも僕を背に乗せてくれた。




 十日後の朝、まだいくらかの雪が残る丘で、糸がほどける様子が見えた。

 赤い花が散る下に走ると、眩しさに顔をしかめたアローネがよろよろと立ち上がり……、ぽてんと転んだ。梅の花の絨毯に座ったアローネは、尾びれが変化してチュールスカートのようになった脚を驚いたように見ている。

「おはようございます。今日2月17日、繭籠り開始後10日です。やはりお目覚めが早かったですね。お加減はいかがですか?」

「……体調は、悪くないわ。でも……歩くのって難しいのね。人魚だから水中でも空気中でも呼吸ができる、あとは脚さえあれば、パルともっと自由に、どこへでも行けると思っていたの。……先は長そうね」

「いままで歩くための身体になっていなかったのですから、すぐには難しいでしょう。でも結局これも、自分の骨、筋肉、関節の動きをどれだけイメージして動かせるかです。すぐに立てたアローネ様なら、習得は早いでしょう」

 ポロが、自由にならない自身の脚を撫でるアローネの手を舐め、地面に伏せた。

「まだしばらくは、背中に甘えてもいいのではないですか」


 家に帰ると、背中から降りたアローネはつたい歩きでぐらぐらと数歩進み、椅子に座った。

 伏せたままのポロの背に、ストーブの前にいたエリカが飛び乗り埋まった。

「まぁ、ずいぶん仲良くなったのね。これなら安心してここでリハビリできるわ」

 不安げだった顔に笑みが浮かび、薄紅色の瞳が宝石のように輝いた。





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異星人の繭籠り 漣砂波 @sa_na_mi

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