異星人の繭籠り
漣砂波
第1話 29XX年1月
地球では数百年前まで、宇宙の中の、銀河の中の、太陽系の中の、一種類の生き物、地球人だけが、文明を持つ知的生命体であると思われていたらしい。
また、科学はあっても魔術の類いはなく、もっというと魔力自体がないと考えられていたそうだ。
誰もが宇宙人であり、異星人であり、でもその「人」という種類で括るにはあまりに多様な生き様は、祖母からすれば異端なようだ。
ゆえに孫である僕のことも、理解はしても受け入れてはくれない。
僕からすれば、今や全宇宙的に見て1%もいない「
地球の衛星である月で
西暦29XX年1月7日
正月が終わった。
土鍋で七草粥を作り、鍋ごと食卓へ運ぶ。
「ばあちゃん、できたよ」
隣の部屋で刺繍糸を選んでいる祖母に声をかけた。
「七草の風習を守ってくれる孫がいて、ほんに私は幸せなばぁばだよ」
地球外生命との交配や遺伝子操作の末、純粋な地球ルーツの植物が少なくなっている今、それを栽培し守りながらも、人の遺伝子を変えられる原始の海を使った繭籠りの店を営む僕に、祖母はちくりと言葉の針を刺した。
窓の外には落葉した桜の木と、朝日に輝くガラス温室、遠くの丘には2mほどの高さで卵形をした真っ白な繭が点々と見えている。飼い猫のエリカはまだ姿を見せないが、カリカリを盛っておく。
「この後繭籠りの予約入ってるから、ご飯食べたら温室行くけど、ばあちゃんは?」
「私も仕事始めにしようかね。片付けはやっとくから自分の食器だけ水につけといてくれ」
「ありがとう」
家の外にはガラスでできた半円状の温室が6つあり、一つは常夏、一つは常冬、あとの4つは春夏秋冬の作物を常に育てられるように一季節ずつずらして作ってある。「春」の植物達に水をやっていると、入り口のベルが鳴った。
不安そうな表情でガラス扉をそろそろと開けた青年と目があう。
「10時にご予約のアサナギ様ですね。私が店主のイツキです。遠いところをありがとうございます。どうぞこちらのテーブルへ」
「あ......はい、よろしくお願いします」
ダークブルーのロングワンピースに同系色の靴を履き、左耳に赤いピアスをした彼は地球人の遺伝子が濃く出た見た目をしていて、しかし空色の羽が生えている。
僕は事前に記入してもらったカウンセリングの用紙をファイルから出し、テーブルに広げる。
「記入事項に間違いがないか、一度確認をお願いします。その後で詳しい打ち合わせをしましょう。お飲み物は何がよろしいですか?」
簡素なメニュー表を渡す。
「地球のものばかりですね。飲み物も...植物も」
「祖母が偏屈な人でして」
つい苦笑いが出てしまうが、青年はほっとしたように笑った。
「林檎ジュースをお願いします。本物なんてなかなか飲めませんから」
「今出回っているのはほとんどがアウロラ産のリアンですからね。かしこまりました」
キッチンで林檎をジューサーに入れ、二つのグラスに氷を用意する。絞り出された果汁で氷が滑らかに溶かされカランと音を立てた。レモンを少し絞り、軽くステアしてミントを乗せる。自分の分は冷蔵庫から作り置きのアイスティーを注ぎ、レモンを浮かべる。お茶請けはバタークッキーだ。
「お待たせしました」
祖母が刺繍を施した真っ白なコースターにグラスの影が揺らぐ。
浄化の紋様は白地に白糸で全く目立たないし、何か効果を感じたこともない。
でもどこか懐かしさを感じるのは受け継がれてきた遺伝子の名残か、あるいは単純に生まれてから暫くの間着る服すべてに浄化と守りの刺繍がしてあったそうだから、覚えていなくても分かるのかもしれない。
「書類に間違いはありませんでした」
「そうですか。では詳しい説明に入りましょう。繭籠りのご経験はありませんでしたよね?」
「はい、一回目です」
「それでしたら基本から重要事項まで再度お伝えします。途中質問があればいつでもおっしゃってください。お聞きになったうえで、繭籠り自体は本日でなくともできますし、当店でないところをお選びになってもかまいません。」
繭籠りは当人の考えがほぼそのまま結果に表れる。多少の操作、誘導は繭に入ってからこちらでできるにしても、不安や疑問があるまま入るのはリスクがある。
「まずはこの繭籠りの協会が発行している資料の中で、事前に読んでいただいた地球ルーツの方向けのものを使いながら繭籠りとはどのような行為かからご説明します。
繭籠りとは、フィバスタという星に生息するスピデ蜘蛛から作られる細い糸を幾重にも巻くことで作った空間に
もちろんリスクはあります。ある程度の年数……純地球人で60歳を超えた頃から、他星人でもそれぞれの年齢を超えた頃に繭籠りをすると、イレギュラーな変異が増えるという報告があります。アサナギ様はご両親が地球のクォーターでしたね。星人ごとのリスク年齢表と計算式はこちらです。イレギュラーが軽微なものであれば、繭から出たあとに原始の海を経口摂取し、1日1時間浴槽で浸かるケアをすることで、7日~10日ほどで改善します。程度が重いと数週間から数ヶ月、ケアが必要なこともあります。
地球人が繭籠りを始めたのは200年ほど前からですが、地球人の実施件数が多いことと、他の星では数千年、数万年前から行われていることですから、安全性のデータは取れています。繭籠りによる死亡事故はありませんが、イレギュラーが重度で長期繭籠りのし直しになる……という事故が5000件に1件ほどの割合で起きています。とはいえこれは正規でない店で行われた杜撰な繭管理によるものが含まれているので、適切に行えば数万件に1件ほどだそうです。
……方法とリスクについてはこんなところでしょうか」
真剣な顔で資料の冊子を見ている彼は小さく頷きながら顔を上げ、ジュースを飲んだ。
「両親も一度繭籠りをしているので、話は聞いてきました。でも私の年齢だと友人たちも経験者が少なくて……少し不安だったんです」
「確かに、適正年齢は20~60歳と言われていますから、22歳のアサナギ様は早いほうですね。デバイス面談では婚約者との遺伝子が遠いためと仰っていましたが、どの程度で」
「遺伝子検査の結果、30%と言われました。50%以上でないと遺伝子操作でも子供を授かるのが難しいそうなのですが、彼女が先に繭籠りを終えていて最低ラインは超えました。今回でできれば90%以上を希望しています。」
「おそらく問題ないでしょう。任意のものに近づけるためには、はっきりとイメージを作ることがまず第一、第二の要素として羽や髪などその物質そのものを原始の海に溶かすことがあります。人が想像できるのは、自身が考えられる範囲でしかありませんから、物質があればより確実です」
それを聞いたアサナギは愛おしそうに左耳に触れた。真っ赤なルビー色のピアスを外しそっとテーブルに置く。
「彼女の血で作ったピアスです。見かけだけでなく遺伝子そのものを近づけるなら血液が一番だと聞いたので」
手に取って光に透かしてみる。カボションカットのような丸みを帯びた形に固められている。加工された血液は原始の海に溶けるまで少し時間がかかるのだが、このくらいなら1日で馴染むだろう。
「このあとこちらを繭に溶かし、明日繭籠りを始めたとして、数週間浸かっていただき、その後数日は経過観察で滞在していただくので、最短3週間、長い方で2か月程かかります。いかがしますか?」
事前に打ち合わせ、資料で写真なども見ただろうが、自身の身体が溶けて組み変わるというのは心理的にためらいがある人も多い。
「一度、見に行ってもいいですか?」
「もちろんです。当店ではあちらの丘に繭を置いています。ひとまずピアスはお返ししますね」
ガラス扉を開けて丘へ続く桜並木の小道を歩く。
いくつか繭籠りに関する質問を受けながら進んでいると飼い猫のエリカが尻尾をぴんと立てながら早足で寄ってきた。
「おはよう、エリカ」
健康観察がてら撫でてやると、なにごとか言いながら腹を出して寝転がる。
砂まみれになりながらごろん、ごろん、とするたびに、エリカはあからさまに視線をアサナギの方へ向けている。
「子猫の時に貰われてきて、色んなお客様にかまってもらえるからか逆に僕にはあんまり寄ってこなくなりました」
アサナギがしゃがむやいなや、エリカは僕の手をするんと抜けて立ち上がると鼻先を近づけて挨拶をし、アサナギの足にまとわりつく。
「エリカさん、こんにちは」
そのあとひとしきり撫ででもらって満足したのか、エリカは伸びをして丘のほうに向かって歩きだした。
「行きましょうか」
丘には今、9個の繭が置かれている。そのうち、現在繭籠りに入っているのは6個だ。
「今回ご用意した繭がこちらです。他の繭と10m以上離れたところなら、移動させることもできますよ」
丘と家の周辺は、祖母の故郷である日本の気候にあわせて四季を設定している。今は冬、朝は霜が降りて、たまに雪も積もる。
丘の一番上には一際大きな桜の木が立っていて、他にもいくつかの樹木を植えている。
「あちらは月桂樹ですか?」
「そうです。まだ植えてから年数が浅いですが、いい木ですよ」
アサナギは膝を突きまだ細い幹に両手を添え
「ここにします。明日から、よろしくお願いします」
柔らかな日差しを浴びる葉も、彼の決意を歓迎しているようだ。
予定の繭を設置して、ピアスは彼自身に入れてもらった。
「明日の午後から、原始の海へ馴染みをよくするための刺繍をした服を着て、ここに入っていただきます。水は直前まで飲んでいただいてかまいませんが、他の飲食物は消化しきれていないとノイズになりますので朝までにしましょう。
当店でお預かりする服や荷物は、明日の昼、リストに書いてお持ちください」
帰り道も、エリカの後を続いて歩いた。
夜はアサナギが書き物をしたいというので、夕飯は部屋に運んだ。メニューは白米と味噌汁、漬物、煮物と和風で簡素なものだ。
朝になると、一通の封書を渡された。
「私が繭に入ったあとで、これを出してもらえますか。婚約者に宛てたものです。」
「ケルティンですか、いい星ですよね。お預かりします。朝食は和洋どちらがお好みですか?」
「昨日の晩ご飯が気に入ったので、和食がいいです。煮物、最高でした」
「用意しますね。エリカと遊んでお待ちください」
アサナギは足下を離れないエリカを抱き上げて毛並みに顔を埋める。
そのあとも温室見学をしながらかまってもらったエリカは、ご満悦で散歩に出かけた。
僕はピアスが溶けきっていることを確認し、繭籠りが始まった。
「なりたい姿、変えたいことをよくイメージしてください。始まってからは、寝て、夢を見て、また寝るような感覚が続きます。終わりは自然に繭が開き、眩しさで目が覚めると思います」
「よろしくお願いします。いってきます」
いってらっしゃい。
そう聞こえたような気がした。懐かしい地球訛りの言葉。
ここから考えるのは彼女のことだけ。愛しい、幸福に包まれて生きるロゼシアーナ。
どうか隣に並び立てるように――――
よく晴れた寒い朝、繭の糸がほどけて天に吸い上げられていくのが見えた。誰かの繭籠りが終わったのだろう。丘に向かうと月桂樹の隣から、次から次へ白銀に輝く糸が昇り、やがて全て消えた。
原始の海で濡れているアサナギに、用意した上着をかぶせ顔色を見る。
「おかえりなさい。今日は1月31日、繭籠りから3週と2日経ちました。身体に違和感はありませんか?」
「変わったとは思えないほど違和感はないです。眩しいのと、冷たいだけ……」
「お風呂に入って温まりましょう、その後で詳しい検査ですが、おそらく大丈夫だと思いますよ」
彼の額には、以前にはなかった空色に輝く宝石のような結晶が嵌め込まれていた。
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