【短編集】ほら、いまも嫌な夢のなか【ホラー】

沙猫対流

レンズを覗く者は

やぁ、どうも、わたぬきさん。今日は連絡ありがとう。オフ会の予定合ったのわたぬきさんだけだったから、ほんとに来てくれてよかったです。

じゃあ、行きましょうか。これから陽も高くなるし、目的の店まで少し距離あるし、急ぎましょう。


いやしかし、ネットの写真垢仲間とこうして会って話すのは、楽しいもんですね。俺のSNS、写真上げるくらいしかしてないですけど、こうして同じ趣味の人と仲良くなれて嬉しいですよ。

その手に持ってるのは新しいスマホですか。この間、買い換えたって言っていたやつ。お花のチャームもワンピースとおそろいで——ああ、合わせてきたって、だと思いました。色とりどりの大きな花柄が、その……かわいいなと思って。

それ最新機種でしょう、カメラレンズも3つもついて、格好いいな。前のやつだと動作重くて不便だって言ってましたもんね。動物撮るのお好きだったでしょう。新しいの、シャッタースピード速くて画質も綺麗らしいから、撮りやすいそうですね。

へぇ、これを機に写真にもっとこだわってみようと思ってたって。わたぬきさんなら、きっと今より良いのが撮れますよ——いやいや、そんな謙遜しないでください。わたし形から入るタイプだしいいスマホ買ったついでだし、って、きっかけなんて気軽でいいじゃないですか。俺だって、始まりは仕事の延長なんですから。

え、俺のみたいに綺麗に撮りたいって。いやいや、俺だってそんなすぐにうまく撮れてたわけじゃないですよ。上げてるのだって、スマホのカメラで何十枚も撮ったうちの、一番「プロっぽく見えるなぁ」って思った1枚なんですよ——でも、なんか照れるなぁ。ありがとうございます。


へぇ、うまく撮るためのコツはあるかって。そうですねぇ。俺の場合は、周りに人のいないときを狙うってことですね。俺、前に言ったでしょう、なにげない風景を、あ、いいな、と思ったときに撮るのが好きだって。狙って撮るより自然な構図で撮れるから好きなんですよ。

そういうこともあって、人が映り込まない写真の方が上手くいくんです。集中できるし、周りの人の迷惑にもならないし、それから——ああ失礼、そこちょっと動かないで——ほら撮れた。ここの電柱の陰、この花を撮ったんです。むくむくした蜂が止まってたから、絵になるかなと思ってね。こういうときだと、こういうこまごまとしたモチーフも見つけやすいんですよ。

ほら、わたぬきさん、あそこ。かわいい小鳥が止まってますよ。撮りませんか。さっき俺がやったみたいに、こうやって構えて、よく目を凝らして——ほら、撮れた。ちょうど飛び立つ瞬間だ。上手いじゃないですかわたぬきさん。俺だって初めてのときはこんなにできませんでしたよ。よく撮れてるか、あとでよく見てあげましょう、色の調整とかもしたいですしね、さぁ行きましょうか……


……わたぬきさん。何かあまり嬉しそうじゃありませんね。どうしたんですか——さっきの「それから」の続きが気になるって。うーん、あんまり大っぴらに言うことでもないかなと思ってたんですけど……引きますかね、これ。


この写真、見てくださいよ。俺が浅草に行ったときに撮ったもんです。いや、ま、上手いとかは置いといて。

俺、人が映り込まない写真の方が好きって話したでしょう。なにげなく自然な構図で撮れるから好きだって。でも、このときは人ごみの中で撮ったんです。


8月の昼下がり、ごった返す仲見世通り。端に寄って休んでいた俺の前に、目の覚めるような『紅』が揺れるのがわかった。


(撮らなくては)


息を呑んで、俺は人の流れに飛び込んだ。観光客でごった返す浅草は、町全体が蒸し風呂になったようで。ふらつく頭で、前をよぎったものを探しましたよ。いい大人が恥ずかしい話ですが、熱に浮かされていたんでしょう。あの日は特別暑かったですからね。

目を凝らして、胸の前にはスマホをぎゅっと握ったまま走って、やっと、少し人の少ないところへ出た。少しは楽になるだろう。

足を止めた瞬間——あぁ、と吐息が漏れた。一人の娘の紅い着物に、花、花、花が咲いている。袖から衿幅にまで、白や黄色、浅葱色が、ぱっぱっと溢れている。右肩に預けられた薄桃色の傘も、やわらかな雰囲気を醸し出していた。その後ろ姿、いや、全身にまとった大輪が、俺の目をしっかり捉えて離さなかった。顔も見ちゃいないっていうのに、ねぇ。


スマホを掲げ、手探りで撮影ボタンに触れました。目を凝らして見据えるのは画面の外。シャッターチャンスは一期一会、彩度の落ちた絵は後でも見られるから、と。

かしゃり。午後2時半の浅草、透明なセロファンを握りしめるみたいな音がした。瞬きをした刹那、果たして、娘はそこにいなかった。

娘は通りを曲がって、路地裏にでもいなくなってしまったんでしょう。撮るものは撮れた、俺もちょっと傍に寄って出来映えを見よう、そう何気なく画面に視線を落としたとき。


「かわいくとれたあ?」


裏返った作り声が耳をかすめた。恐る恐る振り向くと、色とりどりの花が咲いた紅い着物に、薄桃色の傘。さっきの娘に相違ない。視線を上げれば、のっぺり白い顔に、両端のつりあがった紅い唇。極めつけに真っ黒な目が2つ空いている。白目まで黒の黒だ。

何か言おうと思ったが、俺の口からはひきつった吐息しか出てこなかった。やっとの思いで振り絞った掠れ声も、どやどやと横を抜けていく通行人たちにかき消されて——誰も俺たちの姿なんか見えていないようで、夏だってのに脚ががくがくするほど寒かったのを覚えてます。

大勢の話し声と足音で揺れる通り道。振動と照りつける日差しに頭がふらついたとき、またしても娘は消えていた。

それで、ほっと安心できたんです。ただ、ちょっとした後遺症みたいなもんは残りましたがね。

写真にあの娘の姿が、一瞬だけ見えるようになりまして。決まって他の人間が写ってるときです。あの華々が、あの黒い目がこちらを見ている。キリかなんかで開けた穴のような黒なんだ。俺を画面から離すまいと大きく見開いてた。

かと思えば、まばたきひとつすればもう消えている。いるようでいないんです。薄気味悪い話ですよ。あのとき一度会ったきりなのに、ねえ。

おかげでずいぶん人混みが苦手になりました。人のなるべく少ないところで撮らないと、不安になっちまうんですよ。少しでも人が写っていようもんなら、あの娘が……顔を出すんじゃないかって。

すいません、みっともないですね、いい大人が。


——あれ、わたぬきさん、何か言いましたか、よく聞こえなくて。あぁ、さっき撮った写真見せてほしいって。構いませんよ、あのお花のやつですよね。どれどれこの写真だったかな……


「かわいくとれたあ?」


画面に映り込んだ彼女のワンピースのすそ。浅草で見たあの着物に、そっくりな柄だった気がした。

〈おしまい〉

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