可憐な公爵令嬢が、婚約相手によって森に捨てられたという話だが。

みこと。

全一話

「グレイス・フェンデール公爵令嬢! 貴様は常に我儘放題で、兄のディアスにも相当な迷惑をかけているそうではないか」


 唐突に、カリクス王子から投げつけられた言葉に瞠目する。


(は?)


 彼はいま、なんて?


「……そんな事実は、カケラもございませんが」


 学園の討伐演習のため開放した、フェンデール領別館。


 数日に及ぶ魔獣討伐も無事終わり、最終日の今日は学生たちのパーティー会場となっていた。


(自分ちの宴席で、客人からいきなり指差しされる状況って何?)


 しかも王子のかたわらにいるのは、男爵家のリタ嬢。

 彼の婚約相手は"グレイス・フェンデール"のはずだけど、なぜにそっちリタをエスコートしてる?


(骨抜きにされてると聞いた通りの姿……)


 愉快なものではない。


 こちらの心情などお構い無しに、カリクス王子がなおも叫ぶ。


「言い逃れをするな! "グレイス本人には言えないけれど"、と、ディアスがリタにこぼしているそうだ! リタの優しさに、彼女に本音を打ち明ける人間は多い」


(はぁぁ?)


「あの、伝聞が過ぎませんか、殿下。まるで根拠のない話です」


「なんだと?! ではリタが嘘をついているとでもいうのか」


「はい」


 真っ赤な嘘を。


 身内への愚痴を、親しくもない令嬢に言うはずがない。


 それに、リタ嬢が優しい? 初耳だ。

 彼女に婚約者を奪われたと嘆く女生徒も多い。


(そもそも兄妹仲は良好。他者に家族関係を非難される謂れもないけど?)


 で、あるのに。


「なんと厚顔な! 素直に非を認めれば、改善の余地も見られようものを。その最悪な性根はどうにも直らないらしい! しかもリタをはじめ、周りの人間に様々な嫌がらせをしていると聞く」


(はぁぁぁぁぁぁぁ??)


 あり得ない。

 反論したいけど、仕込み・・・の都合上、あまり喋るわけにもいかない。


 逡巡しているに、王子は一方的に吐き捨てた。


「反省が必要なこの女を、今すぐ"演習場"に捨てて来い! "魔獣の森"に隣接する"演習場"に放置すれば、己が行いを悔いるだろう!」


「なっ!!」


 この言葉には、周囲も一斉に息を飲んだ。

 他の誰かが声を上げる。


「お待ちください、殿下! いくら演習で魔獣を狩りつくしたとはいえ、討ち漏らしたり、逃亡した個体もおりましょう! のみならず、普通に獣も生息する。そんな場所に、十四歳の可憐なご令嬢を放り出すなど、無体が過ぎます」

「そうです。討伐演習でも女生徒は薬草専科で、実戦には加わっていません。何かあったら、到底対応出来ぬかと」


「だからこそ、だ。普段は身分に守られているが、実は無力で何も持たない、卑小な身だと気づくだろう。誰も手を貸してはならんぞ」


 ククッと笑った王子は、彼の後ろでニヤつくリタ嬢共々、品無く見えた。





 


 ぽ──んと。


 カリクス王子の言葉通りに、"演習場"どころか。


 "魔獣の森"の中に、ドレス姿のまま転がされるとは想定外で。

 ことの次第に、しばし空を仰ぐ。



(あ────)


 

 のどかな青空に、白い雲がぽっかりと浮かんでいる。


(これはあれかな? 恋人のリタを新しい婚約者にしたいから、邪魔な婚約者は不幸な事故で亡くしました、みたいな筋書きにするつもりかな?)


 ──"安全なはずの演習場で、少し反省を促したら迎えに行くはずだったのに。グレイスが森奥に迷い込み、手遅れになりました"。


 言い訳はさしずめ、こんな感じで。

 

 でも後ろ手に縛って、口に布まで噛ませた状態で発見されたら、どう弁明する気なんだろう。


 結わえられた両手首を動かすも、ギシギシと縄がきしむだけ。

 ずいぶん固く、頑丈にくくってあるらしい。


(言葉を封じられているのはマズイ……)


 詠唱が出来ないと、魔術が発動しない。


 "別館で起こることには介入不要"と、家の者に釘を刺しておいたことが裏目に出た。


 "ヤバそうだったら来て"。

 そう言っておけば良かった。


(いくらフェンデール直系でも、限度があるって)


 代々国境を守るフェンデール家は、強靭な能力を持つ軍事家系。

 その武力の高さは、王国中から信頼を集めるほど。

 当然、血筋に繋がる者は、幼い頃から武芸を仕込まれる。大抵のことは切り抜けられるつもりだったけど……。



 昨今、国では王家に対して、民や貴族の不満が高まっていた。


 王家の求心力が弱まっている中、国防のかなめたるフェンデール家の娘を王子妃にすることで、軍や民心の離反を防ぎつつ、最強の剣フェンデールの力を手に入れる。


 そんな思惑でもってなされた縁組だったけど、王子殿下にはご不満だったようだ。


 彼は何かにつけ、"フェンデール家のグレイス姫は、傲慢な悪女だ"と吹聴して回っていた。


 名誉毀損も甚だしいが、相手は王子。言質を押さえず訴えても、揉み消される。


 今回のパーティーでは公開私刑リンチが行われるかもしれないという情報を掴んでいたからこそ、映像を記録する魔道具を仕込んで宴席に臨んだのに。

 抵抗せずに大人しくしてたら、ここまでやるとは。



(証拠は得たから、まずは森から無事に抜け出さないと。"王子が非常識だから、こっちから婚約破棄してやります計画"が頓挫とんざしてしまう)


 子ども同士は婚約を取り消したいのに、どちらも相手の有責せいにしたいせいで、ままならない。親は双方とも、利害優先だし。


 "破談にしたいなら、王家より有益な婚家を見つけろ"と、父からは言われている。


(ひとまず歩いて──。……って、ゴソゴソ?)


 背後で揺れた茂みに、くるりと振り返る。


「────!!!」


 声は漏れなかった。

 猿轡さるぐつわのおかげで。



(騎士団のアホッ! 学園教師のバカッ! 生徒の演習前に、近くの大物は駆逐してたはずではっっ?!)


 のっそりと立つ熊型魔獣に、絶対的ピンチを感じ取る。


 今の状態では、ハンデがありすぎる!


(熊って後ずさりして良かったっけ? 目を合わせるのはダメ。背中を見せずに、静かに離れる)


 刺激しちゃいけない……!


 

 そろり、そろりと一歩ずつ後退するこちらに、魔獣が反応する素振りはない。

 

(良かった。興味がないなら、このまま逃げきれる?)


 そう思った途端、魔獣の身体が大きく傾く。


「!!!」


 二度目の絶叫も声にならず、けれど魔獣は前のめりに倒れた。

 ドシンと重い音が響き、その体積に比例した土埃がもうもうと立ち上る奥には、新たな影が見える。


人間ひと──?)


 たったいま、剣を振り下ろしたであろう男性が、驚いたようにこっちを見ていた。


 わあ、身分高そうな装身具。





 ◇





「では、お父君の薬草を探して、国境の森へ?」


「ええ、いつの間にか迷ってしまったようで……。ここはもう、ヴァノン国ですよね」


 相手からの確認に頷く。


「お察しの通り、ヴァノン国です。"魔獣の森"と呼ばれ、フェンデール公爵領になります」


 熊型魔獣の遺骸を後に、森の出口目指してテクテク歩きながら、出会ったばかりの青年と会話を交わす。

 布と縄を外して貰ったおかげで、清々しい。


「しかし驚きました。よもや貴族家のご令嬢が拘束されて、奥深い森にひとりで……。しかも盗賊の仕業でもなく、婚約相手からの所業とは」


 わずかに肩が震え、怒りを押し殺しているように見えるお兄さんは、正義感の強いタイプなのかもしれない。

 隣国の騎士とのことで、病気の父親のため、自ら希少な薬草を探しに来たそうだ。


「悪辣な婚約を解消すべく我が身をオトリにしたら、相手のタガが思った以上にぶっ飛んでまして、一時はどうなることかと。本当に助かりました」


「こたびの偶然、守護女神のお導きがあったのかもしれません。けれど気づかぬうちに国境を越えていたとは──。密入国になってしまいましたね」


「あ、それなら館に戻り次第、公爵家の権限において旅券を発行しますのでご心配なく。何といっても恩人ですし。今もこうして送ってくださってますでしょう?」


 にっこりと微笑むと、あたたかく微笑み返された。

 爽やかな笑顔で、世の女の子たちが騒ぎそうなイケメン。


(魔獣を一刀でほふるなんて、剣の腕も良い。上背もあり、隙なく鍛えてある。年は三歳上。うん。いいんじゃないかな。あとは家柄だけど)


「失礼ですが、旅券記載のために家門をお尋ねしても──」

「ご令嬢、少しお下がりください」


 急な構えに彼の視線を追うと、凶悪な怪鳥が木の上から、こちらを睨んでいる。


「ああ。人肉を食べるヤツですね。剣では届かぬかと。ここはお任せください」


 イケメンより一歩前に出ると、呪文を結ぶ。

 狙い定めた鳥に向かって、魔道の火矢が放たれた。焦げた鳥が、ドサリと地に落ちる。


(口さえ自由なら、このくらいはね)


「ご令嬢は……、魔術師であられたか?」

「魔術も剣術も、それなりにたしなんでいます。フェンデールなので」


「なるほど……。世に名を馳せている騎士たちは、フェンデールで研鑽を積んだと聞きますが、噂にたがわない武門のご様子ですね」


 と、真剣な表情のイケメンから。


 ぐぅ。という音が突然、漏れ聞こえた。

 思わず目が丸くなる。


「あっ、お恥ずかしい。私のお腹の音、です」


 照れるように言うイケメン。


(まさか怪鳥のローストで食欲を刺激されたとか、肝太すぎない?)


 あっけにとられつつ、ふと気づいて尋ねる。


「もしかして迷子になられてから、何も召し上がってない……?」


「ああ、いえ、木の実とか、いろいろと摘まんではおりましたが、さすがに魔獣は食べる気が起きず」


「賢明ですね。魔獣は瘴気を纏ってますから、お腹を壊してしまいます。良かったらこれを」

 

 言いながら、懐に手を差し込んだ。


「っつ!! ご令嬢、今どこからこれを? というか、お、お胸が片方無くなっていますが?!」


「今朝焼いたばかりなので、まだ柔らかいはず。パンです。大丈夫、布に包んでましたから」


「ああああ、いえいえ! そういうことではなくっ」


 激しく狼狽させてしまったけど、偽乳なんてよくあることじゃん? リタ嬢なんか、かなり盛ってる。王子が気づいてないのが、憐れなくらい。


(んん、バランス悪いかな。二個ともあげた方がいい?)


 もうひとつを取り出そうとした時だった。


「あ──っっ!! ディアス兄様っ、見つけた──!!」


 馴染みのある声が、耳朶を打った。



「グレイス!?」


 目を向ければ間違いなく、ウチの双子の妹・・・・で。


「お前、なんでここに。"魔獣の森"に、まさかひとりで入ったのか?!」

「だって兄様が私の代わりに、森に捨てられたと聞いたから、心配で……! "任せとけ"っておっしゃってたのに」


 ぐじぐじと涙をぬぐわれると、言葉に詰まる。


「うっ。まあ、や父上がいると、カリクス王子は大胆な手には出てこないから、お前のフリして……。大事な妹を、危険な目に遭わせるわけにはいかなかったし……」


 聞き比べるとバレるけど、俺の声はグレイスより低かったりする。パーティーで喋れなかった理由。



「えっ、え? ご令嬢が、ふたり──?」


 鏡のように対なす俺たち・・・に、イケメンが困惑の声を上げた。


「あ」


(そういえば、"令嬢"だと思われてたままだった)



「こんな格好なりですみません。名乗るのが遅くなりました。フェンデール家次期当主、ディアス・フェンデールと申します」



 胸元からもう一個パンを出しながら、隣国のイケメンに遅すぎる自己紹介をしたのだった。






 ◇





 "フェンデール家が、王家との婚約を破棄し、ラザイン大公国と結んだ"。



 そんなニュースが、あっという間に国内を巡った。


 原因は、カリクス王子による婚約者の扱い。

 王子は虚偽の報告を真に受けて、婚約相手であるフェンデール家の可憐なグレイス嬢を拘束、"魔獣の森"に投げ捨てた。


 それら蛮行の一部始終が、グレイス嬢の髪飾りに仕込まれた魔道具に記録されており、貴族家のみならず王国中が衝撃を受けた。


 王子は、"森ではなく演習場"と言い張ったが、たとえ"演習場"でも悪逆非道な行いであり。


 指示を受けた者たちが"森だった"と自白したこと。


 また、"魔獣の森"でグレイス嬢が出会った人物の証言より、いかに危険な状況に公爵家の令嬢がおかれていたかがつまびらかにされ、王家には非難が殺到した。


 国王はフェンデール家に謝罪を表明し、婚約破棄を受け入れるとともに、カリクス王子の王籍を削った。


 王族としての自覚も無く、騎士道精神も無く、王家への信頼を大きく損ねたことが理由とされたが、国民感情の矛先を息子に押し付けたに過ぎない。


 どちらにせよ、"身分に守られていたが、実は無力で何も持たない"カリクスの今後は、険しい人生になるだろう。



 一方、グレイス嬢は"魔獣の森"でラザイン大公国の大公子リアムと運命の出会いを果し、リアム大公子に守られて無事に帰還。


 その後、グレイス嬢の調合した薬でラザイン大公の病が完治し、"グレイス嬢の知識と勇気に惚れた"というリアム大公子からの希望で、縁談が整う。


 大公子によると、グレイス嬢は"大切な家族のため、危険な場所にも単身で挑める度胸の持ち主"との言葉であったが、それが何を示唆しているかまでは語られてはいない。

 花嫁の成人を待ち、挙式の運びとなる予定だ。


 グレイス嬢は薬草学に精通しており、軍事家門フェンデールを治癒面から支える才女と名高い。

 ラザイン大公家とフェンデール家では、薬草を中心とした取引も開始されることになった。


 両家の関係の立役者は、ディアス公子との呼び声も高く、若きフェンデールの次期当主にも注目が集まっている。


 今後"フェンデールはラザインにつく"という噂も大きく、ヴァノン王家は戦々恐々としているらしい。



 なお、余談だが、王子の浮気相手だった男爵家リタ嬢は、公爵家嫡男ディアス公子の名を騙って、元王子に嘘の証言をしたとがで、多額の賠償金を課された。

 結果、実家から勘当されて平民となったばかりでなく、借金返済のため奉公に出されたという話だ。




 頃合いを同じくして。


 "パンを胸元で温める"という習慣が、ラザイン大公国で広まったそうだが、こちらの来歴は定かではない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

可憐な公爵令嬢が、婚約相手によって森に捨てられたという話だが。 みこと。 @miraca

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ