intro.後
『何者のものでもない手』
いい加減、それを見咎めておくべきだな。
あなたは、彼女の家に訪問する機会があった。
その時点であなたたちは男女の仲であった。加えて、
仕事に疲れて帰宅したときに、例えば飼い猫が部屋中を滅茶苦茶にしていたらどうだ? 怒りや焦りよりも先に、疲労が胃の腑から湧き出るのではないか? それと同様の感情をあなたは当時覚えた。これを先に認めておいて欲しい。
あなたが
それ以外は、全くなかったのだと
何者のものでもない手。
明るい部屋。地下の密室。
彼女が天才であることを知っている大人はそれなりに多かった。出資を名乗り出るものもいて、ここは、そういった事情から設置された彼女のラボである。
おどろおどろしい研究室などではなく、至極フランクな、
その卓上に宝物のように置かれていたのが『手』であった。
溶液に満たされ密閉されたガラス器に
「紋甲イカって、知ってる?」
あなたに、彼女は言う。
あなたは辟易としている。
「細胞の色をコントロールできるイカ。これを人間に移植することが医療的に有用だと思うんだけど、マウスから先に進むのが難しいでしょう?」
あなたに、彼女は言う。
あなたは辟易としている。
「だから、ヒト細胞から遺伝子を拝借して、ミックスして、そこから弄ってちょっとだけヒトじゃなくして作ってみた。倫理的な問題はこれでクリア」
あなたに、彼女は言う。
あなたは辟易としている。
「パパとママの細胞を借りたの。だから
いいや、それは『何者のものでもない手』である。
あなたはそう、胸中にて断言をした。
/break..
「……、……」
あなたがこの夢を見るのは、これが、あなたにとっての彼女であるためだ。
名状しがたき邪悪。或いは犯しがたき神聖。アレが弟だというのは、天才なりのジョークなのかもしれない。だってあれは、言葉を借りるなら
あなたは、自分の肩がゆすられるのを感じた。
比喩ではない。そしてそれは、すぐに止んだ。
……あの光景は確かに悪夢であった。
結論から言えば、それでもあなたは彼女から離れなかった。
離れないまましばらく経って、そして、悪夢はその意味を変えることになる。
あなたは初めから彼女を、名状しがたき邪悪か犯しがたき神聖であると解していた。意味が分からないほどの天才が相手なのだから、自分の視座で分かるわけがない。電波の波長で人を殺す殺人兵器だったはずのものが電子レンジと呼ばれているなんて当時の誰にも予想は出来ぬように、当事者が見れば悪魔の所業でしかない何かは、時折世界を救うことがある。ゆえに神聖。犯しがたい。
意味が変わったのも、それに由来している。
誰のものでもない半透明の手がおどろおどろしく出てくる夢はしばらく見ていない。見るのは、今は決まってあのニュースである。
――
彼女があなたに『実用化された透明化細胞』を披露してより八年目のことである。
あなたはそれを、彼女と共に朝食を囲んでいるときに知った。
透明且つとてもグロテスクなボロネーゼ. SaJho. @MobiusTone
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