intro.中



 ああ。

 始まるとは言ったが、それにしたって順序は必要だ。


 まず、彼女の名前は淡井蓮子。

 その時点では高校二年生。まずあなたには、彼女をそのシネマの中心に据えていただきたい。


 その内には狂気こそ宿しているが、周囲は彼女を平凡と考える。

 加えて言えば、特別でもないと。高校生の世界は社会同様に狭いから、彼女のクラスメイトらは同じ学級に日本で最も理数に長けた人物がいたとて、それを当たり前と捉える。


 或いは、淡井蓮子が表彰の類に興味がないことも影響しているだろうか。高校生の視野は社会同様に狭いから、授与されたステータスのない彼女は周囲にとって、あくまで秀才止まりであった。

 全国模試で複数回最上位成績を取ったからなんだというのだ。模試程度なら自分たちだって受けられる。天才と呼ばれたいならせめて数学オリンピックにでも出るか、論文でも発表してくれ。


 すなわち、クラスメイトにとって彼女は異物ではなかった。

 彼女は排除されることなく、学生生活を謳歌していた。……と、思う。


 天才の考えることなど分からない。

 ましてや、彼女がバカに囲まれていた時の考えなど。


 分からないというのは、遠慮や皮肉ではない。本当にあなたは分らないはずだ。

 あなたは、彼女が年末のお笑い番組を見て窓が割れるんじゃないかってくらいに大笑いしているのを、見たことがあるはずだ。











 ――さて、『何者のものでもない手』











 あなたはこれを目撃する。

 秋の頃。学生が帰る時分には、空は美しく陽に灼ける。


 あなたは、周囲のクラスメイトよりも多少なり彼女に近しい関係にいた。

 まず、家が近所であった。小学校も中学校も彼女と同じところに通っていた。同じクラスになったことは、確かなかったように思う。初めて彼女を認識したのは夏休みの朝のラジオ体操のことだったが、二度目に彼女を認識したのは中学生活の過半を終えた頃。まだ一年以上も先の受験を見据えたミーティングにて。


 あなたは、

 ――いや、






「……、……」






 ……まぁ、あなたで良いか。

 あなたは、そのミーティングで彼女と初めてコミュニケーションを行った。


 驚いたのを覚えている。彼女はもっと特別な学校に行くんだと思っていた。それがまさか、市内にしか威張りの利かないハリボテの進学校を選ぶとは。あなたはそう思ったが、教師は違った。

 その進学校を選んだのは、その中学ではあなたと彼女だけであった。それからしばらく、あなたたちは、例えば図書室で偶然相手の後ろ姿を見つけた時には隣の席を借りるような、見知った程度の仲になっていた。


 それ以上の距離にはならなかった。あなたたちには共に既に友人がいた。ただし、あなたに多少の下心があったことは隠さずにいるべきだろう。そのまま秋は冬となり、しばし待てばまた秋となる。


 三年目の秋だ。もはや色恋にうつつを抜かしている場合ではない。

 そうして冬も終わって、春。あなたたちは予定調和的に高校の正門で再会した。


 さて、ここであなたは心を決めた。

 彼女ともっと近づいてみよう、と。ここまでがあなたの青春である。











 


 驚いただろう? そうだろう。

 まさか身の回りにいただけの人間が、自分の感性を容易に飛び越えて凡夫には善悪さえ測れぬほどの天才であったなどと、誰が予想して近付こうか。


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