後編

 次の日、私は時計塔の前のベンチに座り、コンビニで買ったホットコーヒーを飲みながら彼女を待っていた。今朝寮で彼女にばったり会ってしまったら気まずいだろうと思っていたが、彼女は朝早くからどこかへ出かけていたようだった。さっき3限の事業が終わるベルが鳴っていたから、きっともうすぐ彼女が来るだろう。

 すると、彼女と思しき人物が数十メートル先から近づいてくるのが見えた。これから和気あいあいとしたおしゃべりが待っているわけでもない。待ち合わせの人物が近づいてくるのが見えるのが、なんだかとてもつらく思えた。

 「お待たせしました」

 彼女は赤いマフラーを巻いて、白い包みを持っていた。彼女の長い黒髪がマフラーにゆるく巻き込まれている。

 「今来たところだよ」

 「……なんかドラマとかでよく見るあれみたいですね」

 と彼女ははにかむ。

 「実はちょっと意識してみたんだ」

 「ぜひ今後もその路線でいってください」

 「参考にするよ」

 私は彼女を先導する形で歩いた。目的地は近くの橋の上。小さなベンチが置いてある。この真冬の吹きさらしの中そんなところに行くものもいないだろうし、どこかの喫茶店に入るよりかは好都合だ。

 「さあ先輩、話してください」

 「そうだね。ここは寒いし、手短に済まそう。まず私が知っていることを話そうか」

 「はい」

 彼女は真剣な面持ちだ。

 「結論から言うと、三好さんが飲んだ劇薬を用意したのは私だ。しかし私は三好さんを殺したかったわけではない。自分のために用意したものだったんだよ」

 「つまり……先輩は、先輩は自殺しようとしていたんですか?」

 彼女は驚いている。

 「その通り。あの夜は寮性が私以外にいないだろうと思っていたんだ。忘年会は毎年長引くし、寮が近いから皆本館の方に泊まると思ってね。実際私が入学してから2年間はそうだった。だから自殺をするなら他の寮性がいないその日にしよう、と思っていたんだ」

 一呼吸おいて、私は?話を続ける。

 「それで私が劇薬――液体で、コップに入っていた――を用意した後、私は遺書を書いていないことに気がついた。そしてマグカップにラップをかけ、寮の冷蔵庫にしまった。遺書を書き終えた後、談話室に戻ったら……三好さんが亡くなっていた。私が用意したものを飲んでね。きっと忘年会でお酒を飲みすぎて、誰のものか、どんな飲み物か気づかずに飲み干してしまったのだろう……。直後に私は何をしたと思う?」

 「通報ですか?」

 「いや、その前だよ。私は、手に持っていた遺書を彼女の隣に置いたんだ。名前も書いていない、Wordで作ったものだったから、彼女が書いたことにもできるんじゃないかと考えたんだ」

 隣にいる彼女の目は大きく見開かれていた。

 「そして、その場を後にした……午前1時くらいだったはず。しばらくして、あの遺書を回収して警察に通報するのがいいと思い直して談話室へ戻ると、遺書が消えていた。君から河原さんが2時過ぎに寮を出たことを聞くまではそれがとても気がかりだった」

 私はコーヒーを一口飲んだ。口数が多いほうではないから、少し疲れてしまった。

 「残る疑問はあと一つ。なぜ河原さんはやってもいない犯罪の罪を被ったのか? というところだね。君はどう思う? どんな可能性があると思う?」

 「なんでしょう……残ったものから推察して、先輩が三好さんを殺したと判断し、自首することで先輩をかばった? それくらいしか考えられません。……ですが、先輩の表情から察するに、それはないんじゃないかなと思います」

 「その可能性を私も考えたよ。でも遺体があって隣に遺書があればふつうはその人が自殺したと考えるはずだと思うんだ。河原さんは三好さんが自殺したと思い込んでいたはず。じゃあどうしてわざわざ遺書を持ち出して、自ら犯人でると名乗りを上げたのか……。私が思うに、河原さんはアリバイを必要としていたんだと思う」

 「ちょっと待ってください、殺人のアリバイ作りはともかく、殺人でアリバイ作り? 一体どういうことなんですか?」

 「ここからは完全に私の推測になる。3日前から、テレビや新聞で話題もちきりのあのニュース。あそこに見える科学向上から高濃度の汚染物質が流れ出て、大問題になっているね」

 私は橋から見える。このあたり一帯を覆いつくすように建てられた工場群を指さした。

 「そうですけど、それが何か……そうか、もしかしてそういうこと……」

 彼女ははっとした顔をしている。私と同じことを考えているに違いない。私は続けた。

 「うん。可能性に思いあたってから少し調べてみたんだが、汚染物質が漏れ出したのはあの事件が起きた夜、その時だったんだ。河原さんは濃いか不作為かはわからないが、あの向上から汚染物質を流出させてしまった。もしくは流出する原因を作ってしまった。この川沿い一体の生態系を破壊した犯人になってしまうだけでなく、工場やその――グループ全体を含むと数十万人に及ぶ――関係者からの恨みも一心に浴びることになる。彼女はそれを避けたくて、アリバイ作りのために人を殺したことにしてしまった。殺人犯として刑務所の中にいるほうがよっぽどましと考えたのかもしれない。まあ、彼女がどうやってそんな重大事件を起こしたのか、私にはわからないんだけどね」


***


 彼女は黙っていた。私も黙っていた。しばらくして、彼女は持っていた白い包みを開けた。そこに入っていたのは――

 「三月堂のシュークリームじゃないか!」

 「そうです、先輩。またいろいろと詳しくお聞きした部分はありますが、とにかくいらいの報酬ということで?」

 「ありがとう……でもこれ、1カ月前に販売中止になったものじゃなかったかい」

 「よくご存じですね。熱心なファンがいると伝えておきます。三月堂は私の実家なんです。父がケーキ類を作っていて……今回特別に作ってもらいました」

 「もっと早く言っておけばよかったな、シュークリームにファンがいるって」

 「先輩こそ、自殺するほど思いつめていたなんて早く言ってくださいよ」

 と、和やかに話しながら2人でシュークリームを6個食べた。意外といけるものですね、と彼女は笑っていた。今日がいつまでも続けばいいのに。私は寒さでかじかんだ手をぼんやりと眺めたのだった。


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彼女と私と“シュークリーム” 柳村碧 @yanagimura_ao

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