彼女と私と“シュークリーム”
柳村碧
前編
「すみません、少しお話したいことがあるのですが」
軽い数回のノックの後、ドアの向こうから声が聞こえた。時刻は夜7時。自室で過ごす大学生を訪ねるのにはちょうどいい時間だ。この間起きた事件のことを考えると少々不用心な気もするが、私は自室のドアを開け、彼女を招き入れた。
「こんばんは。特に今日は何も用意していないけど、とにかく上がりなよ」
「お邪魔します」
と言って彼女は私の部屋に入った。
彼女の名前は川中弥生。私と同じ大学に通い、同じ女子寮に住んでいる、1学年下の2年生だ。部屋が隣ということもあって、大学内外で交流がある。腰まで伸びた長い黒髪を結った、可愛らしい顔つきの女性だ。グレーのパジャマを着ている。
「まあ座ってよ。あまりきれいじゃないけれど」
私は彼女に、自室に置きっぱなしだった缶ジュースを渡した。
「ありがとうございます」
「それで今日は、どうしたの? この間のことがあったから、一緒に過ごそう、とか?」
「いえ、そういうわけではないのですが……先日起きた件のことです、犯人が自首したんです」
「そ……本当に?」
私は心の底から驚くとかえって反応が薄くなってしまう節がある。彼女が口を開く。
「それで、自首した人物っていうのが、河原先輩となんです!」
「驚いたな、私はてっきり自殺だと思っていた。殺人なんて……しかも河原さんが犯人だったなんて」
「びっくりですよね、さっき下で寮母さんに聞いたんです。それにしても先輩、これっておかしくないですか?」
「何が?」
「河原先輩が三好さんを殺すなんて、考えられますか?」
「まあでも自首したってことなら、殺してしまったということなんじゃないかな。私も、にわかには信じられないけど」
「そんなあ! 絶対河原先輩は殺人なんてしないと思います。第一動機がありませんよ」
「確かにね。でも当人同士にしかわからない確執があったのかもしれない」
「それにしても、おかしいですよ。おかしい……おかしいです」
「何か知ってるの?」
「いえ、特には……。先輩、私からお願いです。どうして河原先輩が三好さんを殺したのか、調べてください」
「まいったな。そういうのはやってないんだよ。うちのサークルでは」
私は大学のミステリ研究会に所属していて、その一環で過去に探偵の真似事のようなことをやっていたのだ。それを知ってか彼女はこんなことを言い出したのだろう。
「ミステリ研でやってなくても、先輩個人にお願いしているんです。河原先輩が三好先輩をなぜ殺したのか? 調べてください。私も一緒に調べますから」
「……報酬は?」
「先輩の好きなもの、おごってあげます」
「三月堂のシュークリーム、6個でどうかな」
私は半ばなげやりに言った。彼女が三月堂ではシュークリームの販売を1カ月前に終了していることを知っているのだろうか。
「いいですよ。お安い御用です。それにしても先輩、結構大食いなんですね」
どうやら知らなかったようだ。なぜか勝ち誇った顔をしている彼女に、後で報酬なんかいらないと言っておかないと。
「2人で食べるためだよ」
「それにしても、1人3個は多くないですか?」
「おいしいから食べられるよ」
「そうですか、先輩がそんなこと言うなんて意外でした。じゃあまた明日、事件について2人で調べてみましょう。よろしくお願いします」
「わかったわかった。じゃあまた明日、談話室でね」
「はい。お邪魔しました」
「おやすみ」
「おやすみなさい」
彼女が私の部屋から出た後、私は2日前に起こった事件を思い返した。
***
2日前のことだ。午前2時を少し過ぎた時間。私は冷蔵庫の中に置いていた飲み物を飲もうと、寮内の談話室に向かった。学生が使える冷蔵庫は談話室にしかないのだ。談話室に入ると、机に突っ伏している女性が見えた。冷蔵庫の中を覗いた直後、私は彼女のもとへ駆け寄った。首元が、手が、足が、彼女の肌が不自然なほど真っ白に変色していた。ぴくりとも動かない。明らかに様子がおかしかった。私は彼女に触れた。
彼女は冷たくなっていた。
それから先のことはあまり覚えていない。第一発見者ということもあってか警察に事情聴取を受けた。私はありのままのことを淡々と刑事に伝えた。詳細は知らないが、彼女は致死量の劇薬を飲んで亡くなったそうだ。
事故と自殺の両面から捜査が進められていたようだが、犯人が自首した今、彼女……三好睦美は殺されたらしい。河原由紀に。
川中弥生と同じく、私も疑問を覚えた。なぜ河原由紀は三好睦美を殺したのだろう?
「おはようございます」
「おはよう」
事件があった談話室だ。捜査のため立ち入り禁止だったのは事件当日だけで、その後は普段通り開放されていた。テレビやキッチンが併設されていたから、使うことができるようになったのはありがたかった。もっとも、人が亡くなった現場で生活を送るのはあまり良い気分ではない。引っ越しを考える者もいると聞いた。家賃が安くなるかもしれない、と話している者もいた。のんきなことだ。テレビからニュースが聞こえる。近所の川から高濃度の汚染物質が検出されたらしい。
「それじゃあ先輩、事件があった日のことをできるだけ詳しく教えてください」
「できるだけ詳しくといっても、事件当日に刑事に言ったとおり……既に君に言ったとおり、夜中に談話室に行ったら、三好さんが亡くなっていた。机に突っ伏していた。それ以外は普段通りの談話室……いや、ほかの誰もいなかったのは普段通りとはいえないね」
「そうですね。あの日は本館の寮で忘年会が行われていました。この寮の生徒はほとんどがそちらに参加していましたし、閑散としていたでしょうね」
本館というのはこことは別の寮で、規模が大きく、大学に近い。私たちが住んでいるのは本館の寮から徒歩10分ほどの場所にある、小さい寮だ。本館と区別して、別館と呼ばれている。大学へは少し距離があるが、本館の後からできた建物なので設備が新しく、人気がある。もっとも、今回の事件によってその人気も落ちてしまっただろうが。
「そう。私はああいう場は苦手だから一度も顔を出していない。君は出席していたんだろう? 誰がいつからいなかったか、教えてくれないか?」
「はい。私は当初予定していた時間より早めに自室に帰りました。午後8時ごろです。……たぶん私より先に会場を出た人はいないと思います。でも人数が多かったので、見落としがあるかと」
「その会場には何人くらい参加者がいた?」
「30人から40人ほどでしょうか。参加予定者名簿を見ればある程度人数の把握はできるでしょうが、なにせ途中参加・途中退室自由でしたから、いつだれがどこにいたかは参加者全員に聞いてみないとわかりませんね。その聞き込みも、皆お酒が入っている状態でしたから正確性の高さは保証できません」
「そうか。後で参加者に聞き込みをしようか。多少不正確でも何かわかることがあるかもしれないし」
「そうですね」
「じゃあ続きを聞いてもいいかな。午後8時ごろ、自室に戻ってから何か不審なことはなかったかい? 例えば、人が争うような声とか、怪しい足音とか」
「午後8時ごろ自室に着いてから、私はベッドの上でうつらうつらしていました。ゼミの友達とLINEのやり取りをしたり、YouTubeの動画を見たりして過ごしていました。先輩もご存じの通り、私の部屋、出入り口に1番近い場所にあるじゃないですか。人が出入りすると結構響くんですよね。自室に入った後、足音が聞こえたのは1回、寝る直前だったから……たぶん午後11時ごろです。三好先輩が誰かと電話しているのが聞こえてきました」
「じゃあそのタイミングで三好さんは忘年会を抜け出してきたんだね」
「そうだと思います。話し声は足音よりかなり響くので、話し声が三好先輩1人分だったのは間違いないはずです」
「その後ほか不審な点はあった?」
「その後はすぐに寝ました。夜中に1度目が覚めて……朝起きたのは8時ごろでしょうか。少し寝すぎですね」
と、彼女は苦笑した。
「じゃあ河原さんが三好さんを殺したのなら、大体午後11時から午前2時の間、ということになるね。2時過ぎには私が彼女を……見つけたから」
「そうなりますね。ただその、聞いてください、私が1度夜中に目覚めたとき、河原先輩が階段を下りるのを見たんです」
「本当か! 何時くらいだった?」
「正確には何時だったかはわからないのですが、おそらく午前2時より後のはずです。毎日つけているエアコンのタイマーが切れていたので。私は寝る前に必ずエアコンのタイマーを3時間後に消える設定にして寝るんです。ですのでエアコンが消えていたということは、少なくとも2時より後になるかと」
「それで君は私に『依頼』をしたんだね? 河原さんが三好さんを殺した、というのが不思議に思えてしょうがなかったのかな?」
「はい」
「じゃあもう一つ質問。君はこのことを警察に話した?」
「いいえ。話していません」
彼女は私をまっすぐ見つめた。
「どうして?」
「自首したということは、河原先輩にとって何か事情があったのかもしれない、と思ったからです。例えば、誰かが三好さんを殺したのをかばいたかった、とか」
「うん。私も君の立場ならその可能性をまず考えるね」
「ここまで言ったらさすがに先輩もお気づきかとは思うんですけど」
彼女の手は固く握りしめられていて、真っ白だった。まるであの晩のことのようだ、と私はぼんやり考えていた。
「わかってる。言っていいよ」
「私は先輩を疑ってます。先輩が三好さんを殺して、河原先輩がそれを見てしまった。先輩は何らかの形で河原先輩を自首させた。例えば脅したとか、河原先輩と先輩は濃い中で河原先輩が身代わりになったとか……どうなんですか? 先輩……」
「結論から言うと、私は三好さんを殺していない。いや。正確に言うと殺して“は”いない。というところになるね。まだ自分でも整理できていない疑問があるんだ。明日少し外を歩きながら君に私の推理を話したい。いいかな?」
彼女はしばらくした後、
「いいですよ」
とちいさな声で呟いた。
「じゃあ明日の3限後に、時計塔のあたりに集合で」
時計塔というのは大学内にあるちょっとした待ち合わせスポットだ。
「絶対来てくださいよ」
「もちろん」
疑っている相手の言うことを聞くなんて、彼女はなんてお人よしなんだ。こんな自分に振り回されていてかわいそうだ。
明日のお昼過ぎまでに彼女に話す内容を整理しなくては。
***
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます