第3話

 こんだけ重傷だ。しばらく彼は目覚めない。

 だから、バレる心配がなくなった。

 ちゃちゃっと空を飛んで、ぜぇぜぇいいつつクレイブを隠れ家に連れ帰った。

 寝ている間に傷を癒してあげる。

 猿の指とか、猪の鼻とか、熊の肝とか。家に蓄えてた供物をぜんぶ使い切っても足りなくて、あたし自身の血もけっこう使って、やっとだ。

 体の傷は治してあげられた。

 あとは、火傷だけ。

 両目の。

 でもなぁ……

 これを治しちゃうと、目覚めたときにあたしの正体とか、もろもろバレる――

 あれ?

 なんだろう……

 このモヤモヤした気持ち。

 なんで、魔女だとバレたくなかったんだっけ。

 クレイブの顔を見ていると、なんというか、守られたいって感じる。それでいて、守ってあげたいな、ってなる。

 そういえば、供物をいただく予定だったはずのに、逆に、ぜんぶつぎ込むようなことしちゃってるし。

 好きになるって、こういうことなのかな。

 嫌われるのが恐い。

 だから、彼の目は、このままにしておかなくちゃ……

 いや。

 そもそも。

 繊細な器官。目を治すのはとっても難しい。治すにしても、半端な供物じゃ足りない。

 だから、このままにしておくしかない。

 うん。

 しょうがないんだ。


 ということで、そろそろ昏睡を解いてあげましょう。

 ずっとあたしのベッドを占領していた彼が、お目覚めになる時がきた。

 まず、彼は傷が治ってることにかなり困惑しているみたいだった。

「どう? 具合は?」

「信じられん……」

「いやぁ、だいぶ寝てたからね。もう一年くらいかな。けっこう長かったけど、人間の治癒力もなかなかだね。医者の腕がよかったおかげもあるかな。とはいえ看病大変だったよ。あ、でも、心配しないで。恩に着せたりしないから。助けてもらったのはあたしだし」

 あくまでも真っ当な治療で、時間をかけて治ったんだよ、という印象づけをする。

 あらかじめ考えておいたセリフだ。

 ……うん。

 無理があったね。

 怒り。それと、恐怖心を感じた。

 彼はいきなり起き上がって、あたしに掴みかかってくる。

「魔女だったのか」

「ちが……う」

 首を掴まれて、うまく声が出ない。

「騙されぬぞ。一晩寝て、あれほどの傷が綺麗さっぱり癒えているだと? 魔術でなければ、我が体、説明がつかぬ!」

「違うの……」

「この目さえ塞いでおけば無害と思ったか! 騙し切れると思ったか! わざわざ治療までして……人を生きたまま供物にするとは、本当だったのだな」

「信じて……」

 あたしの声が届いたのだろうか。徐々に、クレイブの力は弱まっていった。

 あたしから手を離し、うなだれる。

 もう、気力を失くしたように。

 もう、諦めたように。

 魔女に捕らわれた人間の行く末を、見定めたかのように。

「好きにしてくれ」

 投げやりに、そう言った。

 たぶん、彼なりの、けじめ? みたいなのもあったんだと思う。命を救われたのは事実だから、代価に差し出そうとしてる。

 自分の体を。

「……じゃあ、横になって」

 花の蜜を詰め込んだ瓶を開けて、匂いを嗅がせる。

 そうして、彼をいざなった。

 深い、深い、幾月も目覚めない眠りへと。


      §


 おそらく、ここで眠りから覚めるのは二度目だ。

 一度目は暗闇だった。

 二度目にして、どんな場所なのかが分かった。

 ひとり暮らしにしても、少々手狭そうな家だ。木造で、床板の隙間からはところどころ雑草が顔を覗かせている。ベッドの向かいには棚があって、空の瓶が幾つも並んでいた。

 供物を保管するのに使っていたのかもしれない。今は何もないということは、使い切ったのか。

「見える……」

 一度目は暗闇だった。けれど、分かった。

 そばに彼女がいると。

 二度目は光がある。けれども、分からなかった。

 彼女がどこにいるのか。

 部屋の中央のテーブルには、荒々しく縫い繕われた私の騎士服があった。武器や食料もある。

 ひとまず家を出てみた。

 やはり、ここは村ではない。森だ。まわりに人などいない。医者などいるはずもない。

 あれも魔術なのか。花々が光って、道標のようになっていた。

 支度を整え、標に沿って歩いてみる。

 一日以上かかって無事に森を出た。獣除けでもされていたのか、道中、やけに安全だった。今、目の前には街道が続いている。

 これで、帰れる。

 生還して分かったが、私はもの間、行方不明ということになっていたらしい……

 奇跡の生還だ、と。騎士団の面々が、私のために祝いを催してくれた。

 が、愉快ではなかった。

 魔女に助けられたと正直に説明したのだが、依然として皆は恐れていたのだ。

 憎しみは、すべての魔女へ、等しく注がれている。

 何も変わらぬ、故郷へ帰ってきたのだ。

 そう、実感した。

 彼女を招くことは、許されそうになかった。


      §


 クレイブを置いていってから、たぶん、半月くらいしてからのこと。

 放棄した隠れ家に帰ってみた。

 会うのが恐い。

 けど、会いたかった。

 逃げたのはあたしなのに、振り切れない。会いたいと恐いとが行ったり来たりして、時間が経ってしまった。

 あんまり期待せず、だけど、淡く期待したりして、すでにちょっと懐かしい我が家に到着する。

 彼はいなかった。

 まあ当然。人間じゃ、こんなところで暮らしてけないからね。

 でも、テーブルに見知らぬ物が置かれていた。

 初めて届いた郵便物。

 きっと、差出人はクレイブだ。彼しかいない。彼しかここを知らないはずだから。

 一度、人間たちのもとに帰ってから、また来てくれたんだ。

 ちょっと期待して、包みを開いてみる。

 中身はたくさんの銀貨だった。

 それはいい。大事なのは、添えられている手紙の方だ。

 内容は、怪我を治してくれたことへの感謝と善意を疑ったことへの謝罪だった。それ以上の意味は見出せない。

 読み終わってから、あらためて贈られた物を見る。

「お金……」

 なぜだか、涙が出てきた。

「うっ……うぅ……」

 会いたいって、書いてなかった。


      §


 私は、遠巻きに森の家を眺めていた。

 片道、馬を使っておよそ一日。ここへ来ては、とんぼ返りするという、無意味な時を過ごしている。

 もう二十度目くらいか。よく数えていない。いつも空振りだ。

 しかし、今日は違った。

 馬を降りて呆然としていたところ、不意に背中から声がかかった。

「ねぇ、何してるの」

 心を落ち着け、振り返らず、ゆっくり応じる。

「私の家と、君の家を往復している」

「もう、ここはあたしの家じゃないよ」

「そのようだな」

「なんで、わざわざ往復してるの」

「ここに戻っていることがないか、と。確認するため」

「戻ってたら?」

「会える」

「よかったね。会えたね」

「…………」

 何か言えないのか、私は。

 この日を待っていたのに、ろくに言葉が見つからない。早まる鼓動に焦りを覚える。

 黙っていると、向こうが切り出してきた。

「なんで会いたかったの」

「君に会いたかったから」

「は? 理由になってないじゃん」

「会いたいから、会いたかった」

 なかなか返事がなく、まだそこにいるのか不安になって、振り返りそうになる。

 そのとき、返ってきた。

「……それならそうとさ、書いといてよ」

 すぐに思い至った。何を言われているのか。

 置手紙を用意するとき、悩みに悩んだから。

「書く……勇気がなかった」

「それで、なんも残さず、ふらふら行ったり来たり? バカじゃん」

「まったく、君の言う通りだな……」

「もう! バカ! 臆病者! きらい! 百年の恋も冷める!」

「……だよな」

 恐れていたことが現実になっていた。というより、私の行動が現実にしてしまったのだろう。

 後悔しても、もう、おそ――

「いやいや、そこ落ち込む? 知ってるでしょ? あたし、嘘つきだって」

「……そういえば、そうだったな」

「言わせんなよ……あんたが目を覚ますの、どんだけ待ったと思ってんの。まあ、待たずに逃げたんだけど……でも、あたしの方が、ずぅぅっと、会いたかった。起きてるクレイブに」

 言って、彼女は私の腕を引っ張り、振り返らせた。

 すると、合う。

 目と目が。

「あ」

 初めて、見た。

 これがエルンか。こんな顔をしていたのか。私の、命の恩人は。

 魔女の目。

 その片方が、無い。

 虹色に輝く右の瞳に対して、左は、眼球ごと消失しているようだった。暗い、窪みだけがそこにある。

 身体の喪失。

 すなわち、魔術の供物にでもしたのだろうか。

 だとすれば、大きな代価だ。それほどの支払いをして、彼女がしたこととは何か。


 聞くまでもない。


「なんか言ってよ」

「君は、、私に魔術をかけているのか?」

「は? なんで?」

「人の目を惑わす幻術……私の目に映るものを、この上なく綺麗だと思わせる魔術を」

「…………」

 俯いて、今度は彼女が黙ってしまった。

 しばらくそうしてから、顔を上げてくれる。

 紅い頬を見せ、少し上ずった声で、こう答えた。


「うん。かけてる」


 なるほど。

 彼女は噓が下手だ。

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ライアーウィッチ 松井千悠 @chiharu_matsui

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