第5話

8月20日。

私達、電話交換手たちは、震えながら仕事をしていました。

港の方から、大砲の音が聞こえます。

班長は、私達に言いました。


「いよいよ、ソ連兵が真岡に来るかもしれません。皆さんたちにとして、これを渡しておきます」


私達には小さな包みが、一人一包ずつ配られました。


その時、隣の建物から、ものすごい爆発の音が聞こえてきました。

電話交換室の隣には、郵便業務を行う建物があります。

そこに、ソ連軍の大砲の弾が命中したのでしょう。


私、死ぬのかな?

そう思いました。

私は恐怖のあまり、動けなくなりました。


大砲の音は、やみません。

あちらこちらから、ものすごい爆音が聞こえてきます。


班長は、そんな爆音にひるむことなく、淡々と電話交換業務を行っていました。

そうか……私は電話交換手だった……


「はい、交換です。何番ですか?」


私も仕事に戻ります。


また、近くに大砲の弾が落ちました。


私は、自分の身の危険を感じると共に、占守島で戦っているお父さんのことを思い出しました。

お父さんも、砲弾が飛び交う中、国を守るために戦っているんだろうな……


「お父さん、私も今、こうして国を守るために頑張っているよ!」


私はそう、つぶやきました。

その時、私の耳に飛び込んできたのは、聞きたくない話でした。


「ソ連の軍艦が、択捉えとろふ島や国後くなしり島に近づいているそうよ……」


え? それらは北海道のすぐ隣の島……

そんなところまでソ連軍が来ているの?

ということは、占守島は……


いや、そんなことを考えてはダメだ。

私は最後まで、樺太の電話を守るんだ。


そう決意した途端、港から聞こえていた大砲の音がやみました。

攻撃は終わったのでしょうか。


しかし、次に聞こえてきたのは、もっと恐ろしい音と声でした。


銃声と悲鳴です。


「ソ連兵が上陸してきた!」


銃声の後に聞こえる悲鳴は、さっきまで町を歩いていた人たちの声……

窓ガラスが割れる音や、手榴弾が爆発する音が、だんだんと近くなってきました。


班長は言いました。


「もうじき、ここにもソ連兵が来ます。みんな、よく頑張りました。最後まで一緒に働けて幸せでした」


みんなでうなずき合います。

私達、残っている9名の交換手は、護身のために渡された包みを手に持ちました。


この建物にも、銃弾が当たる音が聞こえてきます。

ソ連兵は、すぐそこまで来ているのでしょう。


班長は、真岡郵便電信局の「業務終了命令」を出しました。


本来なら、局長が出すべき命令ですが、局長はここにくる途中、ソ連兵に捕まったそうです。

もちろん、そんな事情は、その時の私達には知る由もなかったのですが……


班長からの指示で、私はをすることになりました。


私は、北海道の猿払さるふつ中継所に電話をかけます。


「現在、ソ連軍の攻撃を受けています。

 よって、真岡郵便電信局は現時刻をもって、業務を終了します。

 みなさん、これが最後です。

 さようなら……さようなら……」


樺太から内地への、最後の電話を切りました。


私の電話交換手としての仕事は、これですべて終わりました。




* * * * *




ソ連兵たちは、銃を手に真岡の町を闊歩している。

成人男性は、射殺されるか、あるいは捕虜となって、シベリア行きの船に乗せられた。

ソ連兵は地図を見ながら、ある建物を確認する。

それは、「真岡郵便電信局」だった。


電信局の扉は、板を内側から打ち付けられて封鎖されている。

ソ連兵たちは扉を破壊し、建物内になだれ込む。

通信施設は重要制圧目標であるからだ。


ソ連兵たちは銃を構えながら、電信局内を探索していく。


物音一つしない。

主電源は切られていた。

電話交換業務は行われていないようだ。

日本人は全員逃げてしまったのだろうか?


ソ連兵たちは、電話交換室に入る。


そこには、日本人がいた。

十代後半から二十代前半の若い女性たちが、9人だ。


その全員が、口から泡を吹いて死んでいた。


彼女たちの遺体のそばには、薬包が落ちていた。

それは、護身用として彼女たちが持っていたものだった。


彼女たちは、ソ連兵による強姦から身を守るために、全員が服毒自殺したのであった。




樺太はソ連に占領された。


真岡町はホルムスク、樺太はサハリンとなった。




< 了 >


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最後の電話 神楽堂 @haiho_

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